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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「ささやかな娯楽」としての側面も…


何年か前から「カジノ」の合法化とともに、“ギャンブル依存症”への対策が叫ばれるようになり、その一環として警察庁はパチンコ出玉規制の強化に乗り出す方針を固めたらしい。現行4時間で10数万円となる出玉を、その半分にも達しない5万円以下まで減らそうというのだ。そうすれば“パチンコ依存症が減る”と思っているらしい。もし、これを実施した場合、どうなるか、間違いなくパチンコ店が続々倒産していくだろう。もしかすると、それが狙いなのだあろうか。ただパチンコの遊戯人口は1070万人とも言われる。単純に言えば、続々とパチンコ店を廃業に追い込み、1000万人から“ささやかな娯楽”を奪ってしまうことになる。なぜ、倒産するのかといえば、ほとんどの遊戯者が行かなくなるからだ。遊戯人口が一気に半分となったら、企業として成り立たなくなるだろう。なぜ半分に急減してしまうかといえば、最初から“勝てない”ものに、人は挑まない。勝てるかもしれない、と思うから行うのがギャンブルである。通常、4時間もの長い時間、パチンコを打ち続けていた場合、まったく“当たり”が出なければ最大5万円くらい負けることになる。もちろん、この金額は人によって異なり、打ち方によっても、貸し玉の金額によっても一様ではない。もっと、少ない金額で楽しむ方もいるだろう。ただギャンブルは総じて短時間でお金を失うように出来ている。その代わり、勝った時には、その“何倍もの金額”が手に入るのがギャンブルの常識なのだ。それが“5万円”失うものに対して、最大で“5万円以下の勝ち”しか得られないのであれば、誰が、そんな割の合わない勝負を挑むだろうか。大体、負ける方が圧倒的に多いことは誰でも知っている。それでも行うのは、勝つ時は何倍にもなるからだ。私自身は、今は滅多に行かなくなったが、人生に絶望していた一時期、よく通ったものである。無心に球を打つことで、すべてを忘れられる。そういう“人生の一時期”もある。だれしもそういう時期があるから、人生は素晴らしい。運命は或る意味で平等でもある。それを確かめたくて、パチンコ台に向かうのだ。実際、そういう時期ではないかと思えるサラリーマン、OL、風来坊、主婦、おじいちゃん、おばあちゃんが一堂に集う。或る種、無言の社交場でもある。そういう“ささやかな娯楽”としての側面もパチンコにはある。おそらく1000万人のうち、900万人以上は、お金だけが目的で打っているのではない。“依存症”は、仮にパチンコを規制したなら、それで無くなるという単純な話ではない。

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