3月, 2022年

人間だものー秋篠宮&紀子妃・海老蔵&麻耶⁉

2022-03-31
みんな苛立っているんだなぁ……とときどき思う。コロナが長引き、ウクライナが長引き、そりゃ誰だって苛立って、どこにもぶつけようのない“怒り”も出てこようというもの。だから、だれが悪いとか、だれが正しいとか、そういう問題でもないんじゃないの。秋篠宮さまと紀子妃との間が“一触即発”の危ないところに来ているという報道があった。それこそ、お二人の場合はどこにもぶつけようのない“怒り”が出て来るのは当然かもしれない。これで「離婚する」なんてことにでもなったら、週刊誌は悦ぶだろうなぁ。まあ、日本の皇室はどこかの国と違って、簡単には「離婚」も「再婚」も出来ないようになっているような……。そんでもって、眞子さまのところと“親子共演”で「合同離婚記者会見」とか絶対盛り上がると思うし、週刊誌も、国民も、最近は“忘れたいこと”多すぎるから、もう大盛り上がりさ。もう一組の市川海老蔵氏と小林麻耶氏とのバトルは、やっぱり海老蔵氏が口を開いて“本格バトル”に参戦してくれないと、週刊誌はもう一つ悦べないだろうなぁ。なにしろ海老蔵は歌舞伎役者で“大見えを切る”のは慣れているから、やっぱり今回も“大見えきって”大衆をうならせてくれなくては……。それも、これも「人間だもの」そりゃ、いろいろとあって、ぶつかり合うこともあって、罵り合うこともあって、殴り合うこともあって、その方が「人間だもの」いいんじゃないの。そして、今年の年末はだから「格闘技大会」でやっぱり「秋篠宮vs小室圭」そして「市川海老蔵vs國光吟」の闘いが“熱い”と思うんだけど、どう思う⁉ お前はバカかって……そりゃないでしょ旦那、あっしはこれでもブンヤの端くれ「週刊ナミキ」の編集長でっせ。よーく眼かっぽじって耳を塞いでくだせい。あっしがこれまで、うそを言ったためしが、ありゃせんかいなぁ……。人には「宇宙人」と指を刺されながら、それでも、まともに、いやまともらしくよそぉって、生きて来てるじゃ、ござぁせんか。そりゃ、あっしだって、ときには「人間だもの」のひとことが、ほしいときだって、ありゃせんかいなぁ……

一文字違い「学校印」“発見した”卒業生が偉い

2022-03-30
学校を卒業すると「卒業証書」がもらえる。だが、もしそこに押されていた印鑑が“ぜんぜん違う学校の印鑑”だったら、深い悲しみに包まれるだろうか。いや実際には、そんなことはない。なぜなら、だれも「その間違い」に気付かなかったのだ。気付かなければ、その卒業証書は“正しいもの”として世の中にまかり通る。だから誰も悲しまないのだ。ただ気付いてしまった人物がいた。漢字マニアの卒業生だった。彼も最初は気付かなかった。けれども、彼は漢字の中でも「篆書」と呼ばれる書体に興味を持っていた。だから押されていた学校の角印をじっくりと眺めていた。そのうち、ひょんなことに気付く。「あれ、この角印、おかしくないか⁉」それに気付いたのは兵庫県尼崎市内に住む小学校の卒業生だった。もう卒業から何日も経っている。彼は慎重だった。ほかの文字は合っている。一文字だけあきらかに異なるのだ。だから、まずは篆書体の辞書で調べて「有り得ない」と確信してから学校の方へと連絡をした。現在でも公的文書の多くには「篆書体」の角印が使用されている。「印鑑など止めてしまおう」と言った大臣もいたが、その後はどうなったのか知らない。とにかく未だに“印鑑廃止”の機運は盛り上がっていない。卒業証書には“印鑑”が使用され続けている。その小学校の卒業証書は横書きである。現代的だ。だが印鑑は廃止されていない。左上に、その学校の証明である“大きな角印”、そして右下には卒業時の校長の“小さな角印”。まるでセットのように“二つの角印”が押されている。正確に言うと、押されているように見える。なぜなら、その印鑑は印刷されたもので、実際に印鑑を押した証書ではないからだ。どの学校だって、そうである。ただデジタル印刷に切り替える時に、見本として付けた印鑑の篆書が、そのまま印刷時にも使用されてしまった。その見本は当然ながら別の小学校の卒業証書だった。一文字だけ違っている小学校名の“篆書体角印”だったのだ。もちろん校正時に発見できていれば、こんなことにはならなかったのだが篆書体なのでスルーしてしまったのかもしれない。4年間、553名、誰ひとり気付かなかった。卒業生はもちろん、その父母や担任教師たちも、誰ひとり気付かなかったのだ。篆書体というのは、秦の始皇帝の時代に考案された文字である。つまり、2200年前の文字なのだ。一般の漢字よりもデザイン化されているのが特徴で、或る種、記号のようにも視えないことはない。広大な中国を統一した秦の始皇帝は、われわれにまで影響を与えていたのだ。

同じ「壬」日生れで「金星180°天王星」なのに

2022-03-29
ときどき共通点のある二人が、偶然にも“同じ日”にニュースとして取り上げられる。まったく異なるニュースなのに。けれども、そこに“運命の不思議さ”を私は感じる。例えば昨日、一方では村上春樹原作の映画「ドライブ・マイ・カー」がアカデミー賞の国際長編映画賞を受賞した。映画界における最高の名誉であり、その作品の原作者である村上春樹著『女のいない男たち』も100部を突破した。その中に「ドライブ・マイ・カー」が収録されているのだ。村上春樹氏は「壬寅」日の生れで、今年の“年干支”と全く同一である。60年に一度訪れる“人生の転換期”なのだ。謂わば“再評価”を与えられる年。もしかすると長年叶えられなかった「ノーベル文学賞」も、今年であれば授賞する可能性がある。ただ月干「傷官」月支蔵干「正官」の組合せで、どこか世間から“隔絶した領域”を持っている人の命式だ。実は同じ「壬」日生れで、月干「傷官」月支蔵干「正官」で共通している人物がいる。この日、所属事務所から契約解除で解雇された木下ほうか氏である。これまでベテラン俳優として活躍してきたが、週刊誌にふたりの女優から「性行為強要」を暴露された。NHKのドラマも急きょ降板して差し替えのようである。実はホロスコープの方でも、村上春樹氏と木下ほうか氏には共通点がある。出生図で金星と天王星とが180度位置にあるのだ。さらに二人とも、その金星はドラゴンヘッドに対しても120度位置で一致している。この二つの共通性から考えると、彼らの愛情観には“偶然の出逢い”と“偶然の別れ”が関与し、そこには或る種の“過去世的ともいうべき運命が作用する”という考えが根底に息づいている。もちろん、両氏が実際にどんな考えを持ち、どんな過去を持っているのか、私は知らない。私は、どちらの作品も、あまり見たり、読んだりしていないからだ。あくまでもホロスコープの上から言えば、そういう共通性を持っていると言いたいのだ。そして偶然にも、その二人が、同じ日にぜんぜん違う事柄でニュースとして報道された。人間は、ちょっとした“違い”から、まったく異なる人生を歩みだす。

井上公造氏去って「芸能リポーター業」消滅⁉

2022-03-28
さまざまな芸能事件のリポーターとして活躍した井上公造氏が3月いっぱいでリポーター業を退く。26年間出演した「おはよう朝日です」や23年間出演した「クギズケ」を卒業した。彼自身は今後はハワイ関連の事業を行うそうである。元々雑誌編集や新聞記者からスタートしているだけに“地道な取材網”に定評があった。最も印象に残っている事件として「ビートたけしバイク事故」「宮沢りえ・貴乃花の婚約解消」「島田紳助氏の芸能界引退」を掲げた。確かに、どれも日本が「華やかだった時代」の“裏返し”のような事件ばかりであった。或る意味で「日本」は、だから“平和”だったのだ。「芸能界」というのは、或る意味では“その国の今の象徴”と言える。だから、くだらない“ささやかな出来事”が大きく報道されて、人々の関心を集めている方が良いのだ。それは、その国が「平和」であり「豊か」であることの象徴だからだ。大衆が“くだらないこと”に関心を持つのは、それだけ暇と金を持て余していることを意味する。寝る時間も惜しんで働いているとか、食べるものも不足して必死になっているとか、そういう時には誰も“くだらない出来事”には興味を持たない。人間というのは、生活に余裕が生まれて初めて“芸能界の出来事”に関心を持つのだ。そういう意味では、近年はしだいに“芸能界の話題”が乏しくなってきている。芸能人絡みでの“大きな事件”とか“目立つ出来事”が乏しくなりつつある。特に最近は、コロナとか、戦争とか、地震とか……世の中そのものが“危うい方向”へと向かいつつあり、言ってみれば“芸能どころ”ではなくなりつつある。それを察知したかのように井上公造氏はリポーター業から身を引く。SNSの時代に、もはやリーポーターとしての“活躍どころ”が無くなってしまった、という意識も手伝ってのことに違いない。けれども、人間の歴史を振り返っても「芸能界」の出来事が大衆の関心を集めている時代は「平和で経済的にも恵まれた時代」であることは間違いがない。そういう意味では、早く、懐かしの70年代~80年代の“華やかさ”を、日本が取り戻せるようにならなければいけない。「正義感」を振りかざして、世界戦争に引きずり込むような輩は絶対に信用してはならない。

本当に「多様性」認めているのか“教育委員会”

2022-03-27
東京都の教育委員会が24日、制服を導入している都立高校、及び中高一貫校において「女子用スラックス」のある学校が「8割に達した」と誇らしげに公表した。2016年まで“約半数の学校”でしか認められていなかった女子用スラックスが2021年には“8割の学校”で認めるに至ったのだから、教育委員会としては「いち早く多様性を取り入れている」と言いたいのだろう。ところが、今回の調査の問題点は“そこ”にあるのではない。「完全自由選択性」の学校は、実はまだ1割にも達していないのだ。例えば、女子のスカート丈の長さだ。これを、なぜ“完全自由”にしてしまわないのか。一方でスラックスを穿く女子生徒がいるなら、その一方で極端に“短いスカート”や極端に“長いスカート”があっても良いじゃないか。さらに男子で「スカートを穿きたい」男子がいれば「それもOK」と、なぜ出来ないのだろうか。女子の方には選択させながら、男子の方には“選択を許さない”ような方式は、フェアーとは言えない。髪型だって、化粧だって、自由にさせてしまえば良い。その代わり、すべての部分で「自己責任の重さ」を徹底的に“叩き込む”よう指導すれば良い。そうすれば、服装とか外見とかには関係なく、ほんとうにそれぞれの個性や嗜好を認めたうえで、周りとどう一緒に交わっていくか、仲良くしていくか、自然に考え、認め合うような方向へと変わっていく。そういう指導の仕方をしない限り「イジメ」とか「差別」とかは無くならない。世界で、争いが絶えないのも、結局は「多様性を認めない」人たちが多いからである。宗教とか思想とか生き方とかが違っても、外見や暮らし方が違っても「人類みな兄弟」の考え方が浸透していけば、それぞれが微妙に譲り合って、仲良く生きていけるはずなのだ。幼い頃から、もっと「さまざまな人達」が居ること、そして「さまざまな生き方」があること、その“選択は自由”であること、それらを学ぶ機会を増やしていかないと、ほんとうの「平和」からは遠のいていく。

全国販売すれば、大ヒットの「おしり石鹸」⁉

2022-03-26
最近は“プロ”よりも“アマチュア”の方が「すごい‼」と思うような作品が注目を集めることも多い。その一つが岡山市の女子高校生たちが開発して、じわじわ売れ行きを伸ばしている“石鹸”だ。一昨年“商品開発”の授業を受けていた西大寺高商業科の3年生4人が、岡山市主催の「お土産物づくりプロジェクト」に参加して、西大寺観音院を訪れる人向けの“商品”を製品化した。それが「おしり石鹸」だ。どんな石鹸なのかというと、裸祭りとして有名な「西大寺会陽」で、その祭りに参加する10000人の男衆たちは全員、厳冬の深夜、ふんどしの“締め込み姿”となって、本堂福窓から投下される“2本の宝木”を奪い合う。その時の“男衆のピンクに紅潮したお尻”を「石鹸の形」としたものなのだ。したがって“裸のお尻”ではなく“締め込みのお尻”となっている。しかも、その「おしり」だけを“切り取る形”でピンクに色付けしてあるから、妙にリアルなのだ。しかも、そのお祭りの時の匂いに近いビャクダンの香りを閉じ込めてある。さらに「宝木」ではないが「おみくじ」まで一緒に添えてある。それを西大寺観音院を訪れた人たち向けに“お土産”“記念品”として1000円として販売したのだから、180個はあっという間に完売し、その後の継続を望む声が多く、いまも継続販売し続けているのだ。商品として、確かなものとなっているのは、一つには地元の“石鹸作家”が協力・指導してくれたおかげでもある。私が思うに、この石鹼は別に“お土産”としてでなくても、普通に“ユニークな商品”として販売しても必ずヒットするような気がする。なぜなら「お尻で身体を洗う」という感覚が、何となく愉しい。そして、ちょっぴりエロい。だからといって“神聖な祭り”を題材としているので、ただ単に“エロい”のとは異なるし、或る種の「神に近づける感覚」というものがある。“お尻”以外の余計な部位が付いていないことも、高校生の発案らしくて素晴らしい。このような形で商品化されて全国に知れ渡るのであれば、神様は微笑んで許してくれるのではないだろうか。

「店」と「客」の“縁”&“相性”は確かにある⁉

2022-03-25
どんな商売でも、その「お店」と「お客」との間には“微妙な相性”のようなものがある。特に現代のように、情報が世界を駆け巡り、あっという間に知れ渡っていく時代においては、なおのこと「店」と「客」との“微妙な相性”は双方の人生を大きく変える転機となったりする。茨城県水戸市内には「中華そば いっけんめ」という名のラーメン店がある。その公式ツイッターに一枚の写真が投稿された。その支店の店主が投稿したもので、自分が注文したラーメンを食べずに、その運ばれてきたラーメンどんぶりの中に、テーブルに置かれた爪楊枝や調味料など大量にぶち込んで帰った客の“そのままの姿”を証拠写真として投稿したものだ。店主は客を追いかけ「警察には通報しないが、もう二度と店には入れない」と言い渡したらしい。それにしても、客は、なぜ、そんなことをしたのか。実は、その客は半年ほど前から、その店の常連となっていて、必ず、あとから「トッピング注文」を追加する。最初に「トッピングはありますか」と訊いても、その時には答えず、出来上がった段階で追加注文をする。面倒でもあり、余分な時間がかかる。したがって二か月ほど前から、注文後の“追加トッピング”については「お断り」の注意書きを出した。それなのに、その後も追加注文を止めようとはしない。そこで、今回はトッピングに応じなかったら、腹いせに爪楊枝や調味料をぶち込んで、そのまま帰ろうとしたらしい。何とも“幼児発想的なキレ方”だが、どうも、本人はトッピングされるモノの量が、最初だと「少ししか入れて貰えない」ような思い込みがあったらしい。だから、あえて、出来上がってから“追加する”という方式を択んでいたらしい。仮に、それで多少、量が増えるとか減るとかしたところで、それは「ほんのわずかな違い」であるはずだ。この客、あまりにセコくないか。だいいち他の客への迷惑でもある。店側が憤慨するのは無理からぬ話のような気がする。この客と店との場合は、あきらかに客側に問題があるが、こういう場合、双方に“言い分のある場合”も多い。私は昔、まだ20代の頃だが、注文した品物が、あとから入って来た客たちには次々出来て来るのに、いつまで経っても出て来なくてキレたことがある。おそらく40分以上待っただろうか。もはや限界が来て、店主を呼び「一体どうなっているのか」と怒鳴った。店側は謝るばかりで、その理由を語らない。その部分が知りたいのに、どうしてなのかを語ろうとしないのだ。まあ、いまなら、あんなに怒らなかっただろうな。別に、店に来ていたお客さんたちは、悪くないのだから……。

「3回の豊胸手術」で“得たもの”&“失ったもの”

2022-03-24
ひとことで言えば「アメリカ人」は“単純”で「日本人」は“複雑”である。もう一つ「アメリカ人」は何事にも“オープン”で「日本人」は“閉鎖的”である。その違いが表れた現象として「アメリカ最大級の胸」という“触れ込み”でモデルとして活躍してきたネイリーン・アシュレイ氏(33歳)が、このほど3回の豊胸手術で大きくしてきた胸のインプラントを「除去する決断をした」と公表した。日本であれば、3回もの豊胸手術をわざわざ公表しないと思うし、その挿入していた1250㏄のインプラントを“除去する”ということも、わざわざ“宣言”はしないと思う。ちなみに、この1250㏄というのがアメリカで認められている最大のインプラントの大きさで多分それゆえに「最大級の胸」なのだ。彼女は、胸を大きくし、それを“売り”にしてフォロワーを増やし、現在250万人以上ものフォロワーがいて、その数を活かしてインフルエンサーとしても活動している。だが、3回目の手術を行ったあたりから、偏頭痛がひどくなり、もはや耐えきらないほど重症化しているらしい。そこで、やむなく“大きなインプラント”を取り、“小さなインプラント”に入れ替える決断をしたというのだ。“大きすぎる胸”が「肩こり」や「腰痛」を引き起こしやすいことは広く知られているが、それに加えての「偏頭痛」が重症化してきたのでは止もう得ない。ところが医師たちはこれに反対しているらしい。つまり、彼女の場合、胸を大きくしたことで、同時にその周辺の皮膚なども伸ばされて拡張しているので、ただ単に“入れ替え手術”だけでは済まないというのだ。そういう点では日本の「叶姉妹」などは、その辺の痛みなどは大丈夫なのか。ちょっと気になる。アメリカ人は単純であるから、とりあえず「大きければ大きいほど良い」という考えをしがちである。実際、それによって彼女は3度の手術でフォロワー数を250万人まで伸ばした。けれども、その結果、身体に負担が掛かって偏頭痛となり、その痛みに耐えかねて“小さな胸”に戻そうとしている。同時にそれは今度は他の部分に「支障が出る」可能性を指摘されている。つまり、胸を大きくして得たファンも多かったのだが、その代償も大きかったのだ。なんでも「適度なところで止める」ということが、いかに大切か、この出来事から学ぼう。

「円安・電力・原油・食品・漁業」日本窮地⁉

2022-03-23
多くの人は気付いていないが、実はウクライナへのロシア侵攻で、もっとも打撃を受けるのは「日本」かもしれないのだ。それは日本がエネルギー源の多く、また食料品原材料の多くを海外からの輸入に頼っているからだ。ここ数日の間に「円安」が一気に進んだ。本来、日本にとって“緩やかな円安”はプラスに働く。輸出産業の多い日本は、円安の方が繫栄しやすいよう出来ている。けれども、数日のうちに一気に「円安」が進むのは良くない。輸入に依存しているガソリン・灯油・ガス価格が高騰するからだ。さらに食品の中でも小麦粉などの原材料には輸入に頼っているものが多い。それらが高騰すると、食品全般に値上げラッシュがやって来る。それでなくても、今年は各種の品物が値上げし始めていた。私は前に、日本の場合には「インフレは一気にやって来る」と書いた。現在、まさにそれが生じ始めている。何度も持ち出して悪いが、どうも首相が「首相公邸」に“お引越し”されてからロクなことがない。日本が「ロシア制裁」を打ち出したことで、当然のこととしてロシアの方からも「日本制裁」が打ち出された。今日、ウクライナの大統領のTV演説を行うことで、ますますロシアは「日本」を“敵”とみなすだろう。そうなると、どうなるか。ロシアからの各種輸入品だけでなく、漁業に対して深刻な打撃を受けるはずなのだ。政府は誰一人として、そのことを予知していない。さらに、前にも言ったように、北方領土は120%かえってなど来ないし、むしろ「北海道」が危機にさらされるようになる。どうして、だれも、そのことを指摘しないのか。アメリカは、実はロシアとウクライナの衝突が長引いた方が石油産業にプラスに作用し、より“お金持ち国”になれるチャンスがやって来る。だから、武器だけ提供して長引いてくれると「国が潤う」という図式なのだ。日本人はあまりにも単純に「正義」を信じすぎる。今回の演説だって、最終的には日本から「支援金をもっと出すこと」を要求される。TV演説でドイツを批難したように、日本も批難される可能性が強い。だから“戦争当事国”の加担などしない方が良いのだ。つまり、どう転んでも“利上げの出来ない日本”は「インフレまっしぐら」に突き進んでいく可能性が強く、とても一律5000円や10000円を配って喜ばれるような状況ではなくなってきているのだ。

次々燃え上がる“心霊スポット”「廃業ホテル」

2022-03-22
世の中には「嘘のような本当の偶然」が時々ある。例えば「心霊スポット」と呼ばれている廃墟では何故か“火災が発生しやすい”という噂がある。3月12日の午前3時頃、岐阜県養老町の廃業ホテル「フルー」で火災があった。もう廃業してから8年ほど経っているが、だれでも侵入可能な状態のまま放置されていたので“放火”とみられている。3月19日の午後9時頃、愛知県南知多町の廃業ホテル「プルメリア」で火災があった。発見が早く7回のカーペットが焼けただけで火は消し止められた。これも侵入可能な状態だったので“放火”とみられている。3月20日の午前5時頃、三重県菰野町の廃業ホテル「鶯花荘」で火災があった。このホテルは湯の山温泉の旅館ホテルとして昔は繫栄していたが、最近はときどき若者たちが深夜にやって来て、騒ぐ声や物音などが近隣の人々に知られていた。いずれのホテルも廃墟となったまま放置されていて、近年は「心霊スポット」として一部のマニアに知られていた。三重県も、愛知県も、岐阜県も比較的近いが、それぞれ県を跨いでいるし、街中ではないので、放火だとしても関連があるのかどうか微妙なところではある。ただ、興味深いのはいずれの廃業ホテルも「心霊スポット」として地元の人に知られていた、という点である。これらはただ単に廃業ホテルとしての共通性だけなのであろうか。たまたま“偶然の連鎖”で放火が続いたという“それだけのこと”なのであろうか。そして、ほんとうに「放火」なのだろうか。マスコミ報道は「放火ではないか」という言い方で共通しているのだが、確実な警察発表ではない。もちろん、普段は“火の気”となるものがなく、だれでも侵入可能な廃墟となれば、そういう風に見るのが妥当ではある。ただ「心霊スポット」の“噂”というのは廃業ホテルならどこでもそうなのかと言えば、そうとは言えない。通常、誰かが何かを視るとか、聴くとか、出遭うとか、何かしらの“不吉”なことが生じて、そういう風評になる。そういう意味では近隣で、もう一軒、似たような放火事件が続いて起こったなら、慎重に捜査を行うべきだろう。

最期も「立つ鳥跡を濁さず」キラー・カーン⁉

2022-03-21
年齢が行くと誰でも、あちこちに故障する箇所が出て来る。元プロレスラーと言えども同様である。ということで元プロレスラー・キラー・カーンの小沢正志氏がS状結腸がんで手術を行うことを公表した。8年前にも“大腸がん”での手術は体験済みで、そういう意味では“再びの挑戦”となる。腸系統のがんは再発しやすいので、どうしても出来たモノを取り除いたから“安心”というわけにはゆかない。それでも、よほどのことがない限り、大腸がん自体で死ぬことはない。この人を取り上げたのは別のところにある。キラー・カーンは人気絶頂時に突如引退したのだ。プロレスだけではない。最初、大相撲に入って力士となり「越錦」という四股名で幕下40枚目まで上がった。“これから”というときだが、その時点で突然、自ら廃業してプロレスの世界へと身を投じた。プロレスラーとしては最初はあまり活躍できなかったのだが、海外修行で欧州を転戦、さらにメキシコも経由して、アメリカのWWFと契約し「悪役キラー・カーン」を名乗って人気を出した。このころ、プライベートでもアメリカ女性シンディと結婚。まもなく女児を授かった。こうして公私とも充実した中で、家族を連れ日本に戻りキラー・カーンとして活躍した。ところが、妻と娘さんは日本に馴染めず、アメリカに帰ってしまった。そこで彼も追いかける形でアメリカに渡って、再びWWFと契約し活躍し始めたのだが、なぜか突然「引退」してしまう。奥様に「私たちの生活はどうなるの」と懇願されたらしいが、聴く耳を持たず独り日本へと戻って、その後は居酒屋経営などを始める。ところが、居酒屋も一時期は6店舗など経営して盛んだったが自転車の「ひき逃げ事故」など起こしたことで客足が減り突然閉店。現在はYouTuberが主軸のようでもある。これは、あくまで大まかな足取りだが、実際にはもっと「突然辞める形」での履歴が多い。結婚生活にしても、実際には35年間も妻子に逢っていないという。「立つ鳥跡を濁さず」というが、いろいろ事情はあるにしても、もう少し“きれいな辞め方”をしないと師匠たちが泣く……

明菜の「十戒」は、今の中国女性を虜にする⁉

2022-03-20
日本の80年代歌謡曲は、総じて海外での評判がいい。どこへ行った時だったか忘れたが、海外の路上でどこからか流れて来た「昴」の美しい旋律と歌声に感動したことがある。海外で聴くと、より“日本らしい情緒性”を感じさせてくれたものだ。そのせいか、80年代歌謡曲は未だに海外の人たちを魅了し続けていることがある。例えば中国だ。最近になって、もう一度「中森明菜」が脚光を浴びているというのだ。どうしてなのかと言えば、若い“美容系のインフルエンサー”が「十戒」の曲を歌っている時の“中森明菜の儚げな化粧法”を猛烈アピール。ほかにもアイドル歌手などが「十戒」をまね、急速に“現代の明菜ファン”が拡散中であるという。昔の中国では「山口百恵」が圧倒的に受けたのだが、もはや“過去の人”になっている。25年以上前だが、初めて香港に行ったとき、雑貨店で「毛沢東」などのCDと並んで「山口百恵」や「中森明菜」が売られていて驚いたことがある。奇妙なことには、中国では「中森明菜」だけが現代に蘇えったということかもしれない。もちろん「蘇えった」とはいっても、それはあくまで「十戒」の頃の明菜であって、現在の彼女ではない。しかも、それは彼女の“歌声”というよりも、その化粧法とか“お人形的なボディライン”にあるらしい。また、あの“儚げな雰囲気”は、どんなに頑張っても中国の若い女性たちには“作り出せない”らしいのだ。確かに、彼女の“はかなげ”な部分は、あの頃の彼女自身の“私生活”とも深く関係している。いまの中国で芸能界や美容界で“生き抜いていく”人々が、彼女をまねてもマネでしかないだろう。もっとも「はかなげ」も程度問題で、数年前の中森明菜氏の歌声はいま一つ迫力不足で、歌唱として成り立っていなかった。そういう意味では、迫力を持ちながらも“儚げ&憂い”を秘めて歌唱するというのは並大抵の技量ではないということが判るのだ。それにしても何十年も経って蘇える「十戒」は、文字通り「呪術的な掟」なのかもしれない。 « Older Entries