5月, 2022年
2022-05-18
ときどき報道番組などで“限界集落”と呼ばれるものがクローズアップされる。そういう時、一時的には誰もが関心を示すが、要するにそれで終わって、やがてその記憶も薄れていく……。そういう町の一つが山口県阿武町だった。ちなみに「限界集落」とは住民の50%以上が65歳以上で構成されている地域だ。したがって比較的大きな町や市であっても、若い人が居なければ“限界集落”になる。その阿武町だが、ここに来て急に全国から“注目”を集めている。どうしてかというと4630万円の誤送金があったからだ。本来は町内の463世帯に振り込むべき「非課税世帯への救済金」が行政側のミスにより、ただ一人の住民の預金通帳に“誤送金”されてしまったのだ。行政側として、ありえないミスを犯してしまった。この送金が行われたのは4月8日で、13日にはすでにそのことを職員が送金された本人に伝えている。本来なら、その時点で、町長など関係者が出向いて相手に詫びて引き出させるべきだった。4630万円もの大金を銀行口座に“誤送金”しておいて、直接の関係者たちが“手土産”の一つも持って謝りに行かなかったのは、報道機関への発覚など怖れたためではないだろうか。あまりにも初歩的なミスなのだから、平謝りくらいはすべきだった。もっとも、その“誤送金”された方の人物も、元々が“行政のお金=税金”であるのだから、自分のお金と言えるわけがない。本来であれば、自らが積極的に“引き出し作業”を手伝うべきである。ところが、この男性というのは、ここが“限界集落”だということを知って、別なところから移ってきた住民だった。もしかすると、家賃25000円で古いが豪邸に住むことが出来る特典付きの集落に惹かれてなのか、やって来た24歳の若者だったのだ。彼は知人によれば、元々ギャンブル好きで収入の多くはパチンコに消えていくタイプの人物だったらしい。つまり「誤送金した相手」が悪かった。大金を送金されて、黙って「お返しします」というタイプではなかったのだ。彼にとっては“天から降り注いだお金”であり、元々やりたいと思っていた「オンライン・カジノをやりなさい」と誘っているように思えた。こうして彼はわずか2週間もたたないうちに、誤送金された4630万円のほとんどをギャンブルで失った……というのだ。警察にも事情聴取を受け、携帯電話を渡してあるというから、おそらくその証拠も残されているに違いない。しかも彼自身は「罪も償いたい」と言っているから、あくまでも「カジノをやってみたかった」という単純な動機なのに違いない。ただ、私は思うのだ。この一件によって阿武町は日本中に知れ渡った。限界集落ではあるが、低家賃で豪邸まで用意してくれる。若い人達で、リモートで仕事が可能なら「こういうところで暮らしたい」という人が今後沢山出て来る可能性もある。その「宣伝費」と思えば、4600万円は意外と“お安い”ような気もする。
2022-05-17
走行中の車が対向車線方向に向かってノロノロと動き出す。その車に向かって、一人の女性が叫びながら走り出す。明らかに何らかの異常事態が発生。女性は必死に叫びながら、車を押し止めようとしている。車は明らかにノロノロだが制御が利かない。女性の叫びに反応して、周囲から見知らぬ人たちが4~5人、飛び出してきて、その車を一緒に押し止めようとする。4~5人の力で、ようやく止まったが、ドアが閉まっていて中の運転手を救助できない。走行中に運転手が意識を失ってしまったのだ。誰かがダンベルを持ってきた。それによって窓を壊し、ようやくドアが開けられ、完全に運転中意識を失った女性が救出された。未知の人たちが「不測の事態」に対して本能的に救助の手を差し伸べ、連携して事故を未然に防いだのだ。アメリカのフロリダ州で起きた出来事である。アメリカ人はこういう時、だれかれ関係なく、とっさにチームワークを組む性質が強い。それはおそらく、元々が多国籍人種の集まりで成り立っている国だからかもしれない。私が思うに、日本人はなかなかこのような時、未知の人のために車から飛び出しては来ない。一つには「おせっかいなこと」と思われたくないのだ。けれども、ノロノロではあっても対向車線に向かっていけば確実に事故となる。そして意識を失った女性は危険な状態に置かれる。そうであれば、知らない人だから…と放っては置けない。それが本能だ。ところで、無事救出された女性は、どうして意識を失ったのか。その日、検査のため胃を空っぽにして高血圧の薬を飲んで運転していたら、急に意識を喪ったのだという。放って置けば大事故になる可能性もあった救出劇に参加した人達には、地元企業から「カリブ海クルーズ8日間の旅」がプレゼントされたようだ。日本でもときどき「命の救出劇」が行われる。人は予期せぬ場所で直感的に「助けなければ…」と思うような場面に出くわす。その時、思うより先に身体が動いていて“救出行動”に踏み出せる人こそ「真の勇者」なのだ。
2022-05-16
エンゼルスの大谷翔平選手が日本人最速の100号ホームランを記録した。文字通り、日本でもアメリカ大リーグでも「二刀流として大活躍」である。前にも書いたことがあるが、私は彼がまだプロ野球選手になる前、つまり高校生の指名選手として日ハムが獲得した時点で、それを新聞紙上で予言していた。もちろん、当時はまだ日ハムへの入団が決まったくらいの時点で、しかも、その予言は「来年の予測」という形で、占い師が4名ほど取材された形の中での発言であるから、大きく扱うわけがない。私の予言は元々なんでもそうだが、後になって効く。最近だって、例えば「日本の場合にはインフレは一気に進む」と前々から言っていたが、ようやく昨日あたりの報道で、同じような表現が使われていた。そういう風に、私の予言は、早すぎることも多いので、その当時は“不当に扱われる”ことが多い。とにかく、その時の新聞の年末記事では「日本でもアメリカでも二刀流で活躍できる」というふうなコメントが片隅に載っているだけだ。そして、そのことは、本人が出演したTV番組の時にも、番組では使われていないが「日ハムに入る前から、日本でもアメリカでも二刀流で活躍できると言っていますから…」と、彼にではなく司会を務めたブラマヨの吉田敬氏に対して述べている。ちなみに、この時には大谷氏の翌年の「野球運」に対して「脚に支障が生じるので思うように活躍できない」と断言し的中させている。ところが、この予言すらも、そのほんの一部しか流されなかった。まあ、そんなことはどうでも良いが、大谷選手には或る種のオーラがあって、それが“大成功”を裏付けていた。但し、怪我とかハプニングとかに遭いやすい傾向も見受けられるので、球場以外のところでは注意が必要である。また彼が唯一、私に反論したのは「将来的には太りやすい体質なので注意が必要」と言ったとき「その点は食事など改善したので大丈夫だと思います」と遮った。私は「将来的に…」と言ったのだが、本人は気にしていたのか“今の状態”だと思ったようだ。現在はメジャーに行ってボディビルダーのような肉体に変わった。ホームランを量産できる体質に変わった。けれども、同時に“アメリカ人型”の体形に変わったということは、中年以降太り出しやすい体質に変わった、ということでもある。私の予言はいつでも長期的なのだ。
2022-05-15
ことわざの中には、すぐ納得がいくものもあるが、なかなか納得のいかないものもある。例えば「人を呪わば穴二つ」ということわざも、なかなか即座には同意しがたい。人は誰でも、理不尽な眼に逢った時など、その相手を“呪いたくなる”のが普通だからだ。そうしないと自分の心がいつまでも晴れない。もっとも、じゃ“呪った”ら晴れるのかと言えば、そうではないのだが……。とにかく人間は誰でも、その奥深いところで本当は“呪いたい”気持ちを秘めて暮らしていたりするものだ。アメリカのサウスカロライナ州に暮らしていた60歳の男が5月7日の早朝、自宅裏庭で死亡しているのが発見された。裏庭の土を掘り起こし、そこに何かを埋めて、ようやく一息ついた…そんな雰囲気が残っているかのような状況だった。近隣の住民が倒れていた男に声を掛けたが、返答がないために110番通報された。警察による状況見分の結果、男は自宅庭の土を掘り起こし何かを埋めて、再び元通りに整地してスコップを土に立て、ホッとしていた時、心臓麻痺に襲われたようだった。そこで、その土に埋めた“何か”とは何なのか、一応、掘り起こしてみた。その結果、そこにはゴミ袋に袋詰めにされた女性の遺体が出て来たのだ。近隣の証言などから、その女性は男と一緒に暮らしていたパトリシア・デント氏(65歳)であることが判明。彼女は男に首を絞められて殺害されたことまで判明した。こうして、あらゆる状況からみて、心臓麻痺で死亡した男は、自分が殺害した女性の遺体をゴミ袋に詰め、裏庭に穴を掘って埋めてしまおうとし、それがほぼ完成した時点で、まるで死者から“呪われた”ような形で死亡した。男が同居女性に暴行している現場を近隣の住民たちは何度も視ていた。ことわざである「人を呪わば穴二つ」は、こうして実際に一つの穴だけを掘っていた男に、ほんとうは「穴」が二つ必要であったことを、暗黙のうちに教えようとしていた。
2022-05-14
どこか「マスクをしていたのに感染した」という現象と似ているような気がした。「防犯カメラ」が設置されているのに、万引きをする人たちが減らない現象だ。何気なく“万引きGメン”によって摘発される“万引き常習者”たちの報道映像を観た。現代は昔と違って、どのスーパーでも「防犯カメラ」が設置されている。したがって、普通に考えれば“万引きの場面”も映像で押さえられている。言い逃れが出来ないのだ。それなのに、その「防犯カメラ」有る店内で、大胆にも次々と万引きしていく。30代の専業主婦の女性は38点もの品物を、買い物かごからマイバックへと移し替えていた。既に8回目くらいと言っていた。夫から月5万円の生活費を渡され、それだけでは子供二人いるため賄いきれない。その結果としての万引きのようだった。「お金のことで夫に相談できない」と言っていたが、犯罪者となって夫に引き渡されることを考えたら、相談というか交渉はできるはずだ。普通に考えて月5万で親子4人の食費のやりくりは難しい。夫の収入がどのくらいか判らないが、もう少しはアップできるはずだ。「防犯カメラ」を設置してあるスーパーは、万引きGメンを置いていなくても、基本的に“常習犯”については把握しているはずだし警戒している。同じ店で何度も“万引き”した場合は、捕まって当たり前なのだ。最近はいたるところで「防犯カメラ」が活躍している。どのような店でも、公共の場所であっても、防犯カメラを設置していれば、盗難や万引きだけでなく、何かのトラブルや事件が起こった時でも“証拠品”として提出できる。事件によっては警察官よりも「防犯カメラ」の方が“お手柄”を揚げることもある。それでも、犯罪は無くならない。特に万引きの場合、或る種の“スリル”や“興奮”や“ゲーム的勝利感”を味わうことが出来る。したがってゲームやギャンブルによってストレスを発散させるようなタイプの人が嵌まりやすい。そうして、いったん不可思議な誘惑に嵌まると抜け出せなくなる。単なる「生活苦からの万引き」だけではないところに、この問題の深刻さが窺われる。
2022-05-13
わたしは元々あらゆる動物の“保護活動”というものを疑問視している。大自然の生態に対して、人間が「手を加えようとする」こと自体が“神の領域”を犯すことになるような気がするからだ。自然界には“自然界のルールや掟”があって、それは人間が決めるべきものではなく、大自然に任せておくべきもののような気がするからだ。あらゆる“生き物”は、結局、大自然の“計らい”の中で生きている。これこれの動物が乏しくなっているから「保護してあげるべき」というのは、傲慢な人間の発想のような気がする。このほどアフリカ南部ジンバブエにおいて今年になってゾウに襲われて亡くなった人が60名となったことが報告された。昨年は年間を通じで72名が亡くなっているそうだから、今年の亡くなり方のペースは速い。実はジンバブエでは一時期「ゾウを守る」という名目での保護活動が行われていた。その結果ゾウはどんどん増えて今や10万頭に達する。この数はアフリカに生息するゾウの4分の1であり、世界で二番目に“ゾウの多い国”となっている。ただ、当然のことながら巨体であるゾウは広大な面積の“生息域”を必要とする。徐々に増えてきたゾウは、今やジンバブエの“人間の生息領域”をも脅かすようになってしまったのだ。つまり、このままでいけば、今後ゾウに襲われて亡くなる人間は増えることはあっても減ることはない。農作物も各地で荒らされているし、住宅街にも頻繁に出現するようになりつつある。「保護活動が成功した」などと言って喜んでいる場合ではないのだ。現地の野生生物管理局のファラウォ氏によればジンバブエで賄いきれるゾウは4万5千頭までで、それ以上になると人間領域に支障が生じて来るという。このままでいけば「危険な状態がやって来る」と警鐘を鳴らす。今後「殺処分していく」となった場合、またどこぞの動物保護団体などが騒ぎ出しそうで、大いに危惧する。われわれ人間にとって、一番に守らなければならないのは「人間」なのだ。その人間が「身勝手に増やした」のだから「殺していくしかない」のだ。だから、いたずらに“保護活動”などすべきではない。大自然のことは大自然に任せるべきなのだ。
2022-05-12
富山市の「空港スポーツ緑地」と呼ばれる公園内に、その木はある。樹齢40年以上の木だが、その周囲で特別“大きい木”というのでもない。たくさんの木が植えられていた中の一本に過ぎない。誰でもそうだと思うが、もし、外出中にどうしてもオシッコがしたくなったなら、道脇にそれて若干“隠れた感じ”のところでするだろう。丁度、そういう感じで「オシッコをしている」のが樹齢40年のメタセコイアの木なのだ。ただ、この木の場合、よほど溜まっているのか“ずっとし続けて”いる。その“しているところ”を5月3日、地元の子供たちに見つかった。こうして緑地の管理事務所の方から確認作業を依頼された方々が来て、いろいろと調査をして、その理由が判明した。「メタセコイアの木はオシッコがしたかった」のではなく「このメタセコイアの木は水道管の真上に位置していた」のだった。したがって、おそらくその根がだんだん大きくなって水道管の亀裂から入って、樹木の空洞を使って無意識に水を汲み上げ、地上60㎝くらいの位置から勢い良く外部に排出する作業を行っていた……。したがって、その木は「オシッコをしていた」つもりではなく、真面目に「働き続けていた」つもりなのだ。ただ来週中にも水道管工事が行われるということで、もう「オシッコ姿」は視られなくなってしまう。どうして“保存会”とかが出来ないのだろう。この木を“聖なる水を湧き出させる霊木”として売り出そうとする霊能者が表れなくて良かった。むかし私は知人だった女性がスナックをオープンするというので、その店の命名を頼まれ「ルルド」と名付けた。「聖母マリアが出現した」とされているフランス地域の名で“奇跡の洞窟と泉”により、さまざまな病気が奇跡的に癒されたといわれる。その事象から“癒しのスナック”となるように拝借させてもらった。もっとも、スナックは名前だけで成功するほど甘くはない。彼女に“癒されたい男性”はそれほど多くなかったと見えて長続きはしなかった。それでも、そのお店を開いたことで彼女は、素晴らしい相手と出逢うことになり結婚が決まったのだった。
2022-05-11
5月9日、ニューヨークで行われたオークション会場で落札された故マリリンモンローの肖像画「打ち抜かれたマリリン」はアメリカ人の描いた作品としてはもっとも高額な250億円で落札された。1964年に制作されたもので、背景が色違いとなる作品が大量に作られている。シルクスクリーンという技法を使っての作品で、一般の肖像画とは異なりポスターのような感じで大量に作ることが出来る。この作品はモンローが急死して2年後、画家ウォーホルは映画「ナイアガラ」の宣伝用写真を観ながら、モンローの顔を描いた。当時としては最先端の技法であったシルクスクリーンによる作品は、背景の色を違えて大量に作ることが出来るのが特徴だ。実際、そういう手法でウォーホルは笑顔のモンローを描いた。したがって同じような作品は市中にたくさん出回っているはずだが、この作品を含む4枚だけは“特別な作品”として高額で捌かれることとなった。それは、この作品も含めた4枚だけは、その笑顔の額の部分を弾丸で撃ち抜かれたからだ。ドロシー・ポドバーというパフォーマンス・アーティストが制作中のウォーホルを訪ねて「一瞬だけ貸してほしい」と言った。写真を撮りたいのだとOKを出した途端、ポドバーは銃を取り出し、4枚の肖像画の額の部分を撃ち抜いていったのだ。この事件があって“撃ち抜かれた4作品”だけは「撃ち抜かれたマリリンたち」という名称で“特別の作品”となった。その背景が「赤」「オレンジ」「青」「セージブルー」と、それぞれ違っている。今回オークションに出されたのはスイスのトーマス&ドリス・アマン財団が所有していたもので、競売によって得られた250億円は、子供達の医療と教育のための支援活動に使われる。こうして、本来であれば、それほどの価値を持ったとは思えないマリリン・モンローの肖像画がモンローと同じように“施設で育っている子供達”のために使われる。「撃ち抜かれたマリリン」は、だからこそ“笑顔のまま”撃ち抜かれていたのかもしれない。
2022-05-10
海外に関するレポートやニュースを読んでいると、その国に行ったときのことを想い出すことがある。たまたま今日読んだのは、バックパッカーとして世界中を旅しながら“面白ニュース”も日本のネット上に寄稿している女性の最新レポートだ。彼女は現在エジプト滞在中でバックパッカーとしての貧乏旅だが、時には“優雅な気分”も味わいたい、ということでリゾート地として知られるフルガダを訪れているらしい。日本人にはあまり知られていない高級ホテルが立ち並ぶ地域らしいが、同時に世界に名だたる「シャネル」「グッチ」「エルメス」「ロレックス」「ヴィトン」の看板があちこちに点在するところでもあるらしい。それらの写真が掲載されているが、確かに「GUCCI」「HERMES」「D&G」などの文字の店が……。彼女は果敢にもそれらの店に入って棚や床に無造作に並べられた商品などを撮影している。そうして、ついにはエスメスの店でバッグの価格を店主に問い質す。すると「特別に634円(日本円で)でどうか」と胸を張ったのだ。もう買うしかない。ということで、その下手くそなツタンカーメンの胸像が描かれたエルメスのバッグを購入したらしい。なかなか良い話ではないか。それを読んでいて、私は昔行ったエジプトのヌビアで受けた「コーヒー占い」を想い出した。占いを行ってくれたのは、その地方で現存しているただ一人の伝統的コーヒー占い師の老婆だった。彼女がヌビア語で話し、それを現地の通訳がアラビア語でガイドに話し、さらにそれをガイドが日本語に通訳する。したがって多少おかしな伝わり方になることもある。現地のコーヒーを飲まないと判断できないので、煮出し型の苦いコーヒーを7割り方飲み干し、そのカップを手渡し伏せたまま呪文を唱え、その中に出来る文様などを、占い師が眺めまわしながら判断を下す。私は彼女に「工場を持つ」と言われた。「……工場⁉」どう受け止めて良いか判らなかったが、工場経営をするようになるらしい。そのほかにもいろいろ言われたが「工場を持つ」と自信をもって言われたのが、いちばん記憶に残った。もちろん、これは現地ガイドの方に特別お願いをして、その占い師の元まで船で連れて行ってもらって、ヌビア語の通訳迄手配してもらって、特別オプションとしての料金だった。あの時、日本円で請求された金額は日本円で「42円」だったと記憶している。いまは円安なので、もう少し高いか、或るいは、もうその“占い師”の方は亡くなっているか、どちらかに違いない。
2022-05-09
世界が混とんとしている中でも、わが日本では若者たちの政治への関心度は相変わらず低い。そこへいくとフィリピンでは若者たちの政治への関心度はきわめて高いのが興味深い。その若者たちの多くが、9日に行われる大統領選挙で、かつて長期独裁政権を誇った故・マルコス大統領の長男であるフェルディナンド・マルコス元上院議員を熱狂的に支持する。同じく大統領選挙に立候補している“現副大統領”や、“元プロボクサー世界王者”や、“元俳優マニラ市長”よりも、元独裁者の長男が良いというのだ。前大統領ドウテルテ氏は「麻薬撲滅戦争」を掲げて次々に麻薬密売人たちを摘発したが、その一方、強引捜査で多数の犠牲者も出してきた。一応、その継承を誓っているのが故・マルコスの長男なのだ。いまのところ大差でリードしているので、マルコス氏が大統領となるのは間違いがない。一時期、あれだけ世界的にも注目を浴びた独裁政権で、その腐敗ぶりがマスコミの注目を浴びた大統領だったが、それは父親で「息子に罪はない」という考え方のようだ。フィリピンというのはアジアでは珍しい“キリスト教国家”である。別に“国教”としているわけではないが、国民の大多数が熱心なカトリック教の信者だ。そのためか「罪」というものに対しては、総じて“寛大”な傾向を持っているよう私には視える。麻薬密売だけでなく、闇取引とか、闇商売とか、賄賂とかが暗黙的に継続されやすい。私は昔フィリピンへ一人で行ったとき、タクシー料金ひとつでもケンカ腰で交渉する女性に驚いたことがある。「金を持っているとみると、いくらでも吹っ掛けて来るから、喧嘩腰でないとタクシーも乗れないの」と笑っていた。その一方で、誰かが困っていると言えば、知人・友人がこぞって援助の手を差し伸べようとする。近年のマニラなどは大都会で、かつてのフィリピンではなくなりつつあるが、それでも“過去の腐敗”を知らない若者たちから高い支持を得て大統領になる「独裁者の長男」は、どのような国家へと自国を導いていくのだろうか。
2022-05-08
中国で高架橋の上から今まさに“飛び降りよう”としていた女性を、フードデリバリー配達員の若者がバイクを投げ出して救出する動画が大きな反響を呼んでいる。その女性は最初は赤子を抱いていたのだが、その児を道脇に置いて橋の欄干を飛び越えようとしたのだ。その時、たまたま橋を通過中だったフードデリバリーの配達員が瞬時に自らのバイクを放り出し、その女性の身体に飛びついた。本当に1~2秒遅かったなら、飛び降りていたに違いない。動画で見ると、なんの躊躇もなく女性にしがみついて静止した様子が判る。おそらく彼は走りながら状況を眼にして何の迷いもなく仕事を放りだしたのだ。もし彼が乗っていたのが乗用車なら、止めるのに時間がかかり間に合わない。フードデリバリーの乗り物だったから良かったのだ。もっとも、車体は完全に横倒しになったから、デリバリーの食品が大丈夫だったかは保証できない。とにかく彼は“飛び降りようとした女性”の命を救った。それが「衝動的な行為」だったように思えるのは、直前まで赤子を抱いていたからだ。いや、もしかすると本当は“抱いたまま飛び降りる”つもりだったが、橋の欄干が高く抱いたままでは無理だと知って、子供だけ歩道脇に置き、一人で飛び降りる形に切り替えたのかもしれない。赤子だけ置かれていたら発見しにくい。歩道はあっても人通りはほとんどない。つまり、デリバリー配達員の若者は、母親である女性の命を救っただけでなく、赤子の命も同時に救ったのだ。中国は近年、経済的に目覚ましい発展を遂げているが、個々の経済的な“格差”は日本よりもずっと激しい。習近平政権はその是正に取り組んでいるが、理屈通りにはいっていない。急激な発展は遂げたが、さまざまなところで“ほころび”が目立ち始めている。日本にもさまざまな問題はあるが、少なくとも“福祉制度”に関してはまだ日本が上回っている気がする。けれども、この中国の若者のように「とっさに救い出そうとする勇気」を持っている若者は多いだろうか。やや欧米化してしまった日本は、どうしても他人のプライバシーに対して“踏み込んで行けない”場合が多い。人間には、時に強引なほど“荒々しく助ける行為”が必要な時もあるのだ。
2022-05-07
われわれ日本人にとって、ロシアのウクライナ侵攻より、もっと解かりにくいのが“パレスチナとイスラエルの戦い”だ。しかも、この戦いは古代からずーっと続いていて、未だに終わってはいない。その「戦いの本場」ともいうべきパレスチナ自治区のガザ地区で、農業を営むニダル・アブエイド氏は自分の農地を掘り起こしているうち奇妙なものを発見した。泥にまみれた彫像の頭部だった。家に持ち帰って泥を洗い流してみると、それは何となく貴重な彫像のように思えた。その後、考古学者の調査によって、それが4500年前のフェニキア時代、この地で信仰されていたウガリット神話に出て来る主神バアルの妹で“愛と闘いの女神・アナト”の頭部であることが判った。むかしは農地などから古代遺跡や彫像などがよく出現したが、現代はよほどの幸運でもない限り、農地などからの遺跡や彫像の発見は難しくなっている。そういう点でも実に貴重な発見と言える。ガザ地域はイスラム組織ハマスが実効支配していることで有名だ。イスラム教というのは基本的に“偶像崇拝”を認めない。認めないどころか破壊しようとする。その結果として世界各地で、古代遺跡や彫像が無残にも破壊されてしまった歴史を持つ。思想だから認めないのは仕方がないとして、わざわざ破壊しなくてもよいものを、イスラム原理主義者は必ず破壊するのだ。もっとも、似たようなことはキリスト教徒も行ってきた。かつて欧州から中南米にやって来たカトリック教徒たちは、マヤ王国やインカ帝国を崩壊させていったが、その時に彼らの神々やその遺跡・彫像・記録など、そのほとんどを崩壊させた。記録文書は燃やされてしまった。天文記録などが記された貴重なマヤ文書の多くは灰となったのだ。どうして異教徒が占領した時、遺跡や彫像や信仰文書など徹底的に打ち砕くのか、それは「神秘の力」「信仰の魔力」を怖れるからである。つまり、どこかで“その不可思議な力”が存在することを認めていて、それを怖れているのだ。その結果として、一時的に栄えていた世界のさまざまな文明は破壊されてしまったのだ。
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