12月, 2022年

「短時間と低予算」が“死”を招く「美容整形」

2022-12-19
最近は何でも「短時間」や「低予算」を“売り”にするところが多い。確かに忙しい現代人にとって、財布に羽が生えている現代人にとって「短時間」や「低予算」は魅力的だ。けれども、ものによっては時間をかけた方が良いものもあるし、お金をかけた方が好結果につながることもある。インドのテレビ局で出世頭と目されていたアラル・ラシード氏の場合、低予算というのも魅力的だったが何よりも短時間で済むという“殺し文句”に弱かった。彼のスケジュールは忙しい。丸一日、時間を掛けなければならないような手術は避けたかったのだ。出世頭だった彼は、若くして豪邸を建て、自分のふたりの兄弟(姉妹)を“嫁に出す”ことにも成功した。次は“自分の番”だった。ただ30歳の彼は“頭が禿げている”ことにコンプレックスを持っていた。近年は若くして禿げてしまう男性が多い。ストレスが原因だった。だから“若禿げ”は決して珍しいことではないが、それでも“結婚の条件”として「禿げていないこと」を掲げる女性が多くなっていた。「お見合い結婚」の多いインドでは近年“見た目重視”の女性が多くなってきた。そこでラシード氏も“植毛手術”を受けることにした。TV局に勤めている彼の情報網は広い。最近できたばかりだが「短時間・低予算」を謳っている施術師が居ることを知った。彼はこれに飛びついたのだ。何よりも「短時間」で済むのが良い。実際に施術を受けてみて、思っていたより痛みが強かったのが気になったが、その代わりに早かった。ところが、彼の頭部の手術個所からの痛みは日を追うごとに強まっていった。何かがおかしい。やがて頭部全体が腫れてきた。今度は普通の病院に相談した。そこではじめて彼の受けた施術が違法なもので「危険な状態にある」ことを知った。無免許の素人施術師たち4人が逮捕された。だが、彼らが逮捕されたからと言って、ラシード氏の病原体が無くなるわけではない。彼の痛みと腫れとは全身に及び、肝臓などの機能も低下していった。こうして苦しみぬいた末に敗血症で亡くなってしまった。インドでは最近YouTube動画から手術技法を学んでヤミ開業する者があとを絶たない。完全な素人が“頭部の手術”を行うのだ。実際の“植毛手術”は長時間に及び、大体6~8時間はかかり、その費用も60万円ぐらいかかる。インドでは極めて高額な手術費用だ。そこでどうしても“ヤミ施術師”の登場となる。近年、韓国やインドでは“美容整形大流行り”だが、安すぎ、早すぎの手術は“要注意”なのだ。

「未来」に対して「脅えすぎ」の金満家たち

2022-12-18
時代というのは、ときどき“不可思議な現象”を引き起こす。例えば「未来」とか「将来」に対する捉え方の違い。性格的な違いの場合もあり、世代的な違いの場合もある。金銭観感覚は“世代的な違い”よりも“性格的な違い”の方が大きい。雑誌からネット上に転載された“お金に関しての相談事”に対してファイナンシャルプランナーが回答していく記事内容だ。そこには56歳の専業主婦の女性から、おおよそ次のような相談事が寄せられていた。《夫は公務員で62歳だが、60歳で定年退職して、その後も別なところで“単身赴任のカタチ”で働き続けている。自分は専業主婦だがお小遣いもなく毎日スパーをはしごし、電気代節約のため階段の電気もつけず怪我ばかりして、真っ暗な中で食事している。旅行にも遊びにも行ったことがなく、将来的な希望もなく、やがてやって来る年金生活で“赤字”となって貯金が底をつくことを怖れ続けている》まあ、おおよそ、そういう感じの内容の相談事だ。もっと節約できる方法を教えて欲しい、とまである。一時期、老後資金として「2000万円が必要」という“根拠なき説”が世間に出回った。あの時にも思ったのだが、情報化時代の弊害というか“余分な計算”というか、将来を脅えさせるような仮説は多い。ところが、この相談者の場合には、なんと現段階で既に7700万円もの預貯金を保有しているのだという。持ち家一戸建てに暮らしていて、特別の持病もなく、夫は定年後も単身で働き続けていて、ご夫婦とも“真面目”を絵に描いたような人柄に違いない。それでいながら、必死で預金を続けている。どうやら“年金生活になった後”を心配しているらしいが、そのためにエアコンもつけず電気もつけず階段から落ちるなど……まるでコントのようだ。そこまでして「未来に備える」必要性があるだろうか。未来など、ハッキリ言って誰にもわからない。占い師の私にもわからない。だから良いのだ。だから「いまを楽しく」生きれば良い。極端な話、明日、交通事故に遭って死ぬかもしれない。コロナに掛かって死ぬかもしれない。これまで旅行とか遊びとかにまったくお金を使ってこなかった“超節約カップル”だが、それだからこそ未来に希望が持てなくなってしまうのだ。もっと、まず“今を楽しむ”ことを憶えなければ…。この相談者は死ぬまで節約をし、貯金を重ね、結局、だれが使うのかわからない「1億円近くのお金」を遺して死んでいくのに違いない。多少、不安をあおったマスコミにも責任があるが、なにより“心が貧しくなってしまっている”本人に問題がある。なんと、もったいない人生であることか。

作品「家を壊す」は、舞台を壊したのか…疑問

2022-12-17
福島県で16日から上演される予定だった舞台「家を壊す…」が、上演当日になって急きょ取りやめになった。この舞台を作・演出していた谷賢一氏に対して、彼が主催している劇団女優である大内彩加氏からの“セクハラ告発”がネット上で注目を浴び、それを主催者側が考慮して“舞台中止”を決定したからだ。いろいろと解らないことが多い。大内氏によると谷氏によるセクハラ行為は2018年6月~2021年3月にわたって続いていたという。つまり3年弱という長い期間に及ぶものだが、それからもう1年半以上も経過している。どうして今に至っての告発なのか、まず、それがよく解からない。もしかすると、谷氏が作・演出を担当する舞台が始まる“いま”だからこそ「復讐するのに相応しい」とでも思ったのであろうか。だが、舞台というのは当然のことながら単独で行うものではない。一つの舞台には相当数の人数が加わる。私は昔、短期間だが“アマチュア演劇”をやっていた時期があるので、その辺の事情がよく解かる。一つの舞台を上演にまで持って行くためには相当数の日数も必要であるし、それなりの資金もいる。それに、彼はこの舞台における“劇作家・演出家”ではあるが、舞台そのものに登場するわけではない。つまり、作品は“彼のもの”ではあるが“舞台上の演劇”は“上演に関わる全員のもの”であると思う。もし、これが上演の半月前とか、或いは一週間前とか言うなら、まだ「致し方ない」と納得させることも出来る。だが完全に出来上がって、いざ上演の初日となっての中止である。それまで上演に向けて練習をしてきた役者たちや裏方たちの努力、或る意味では“仕事そのもの”を踏みにじってまで急きょ取りやめにする必要があるのだろうか。近年、この種の中止や変更が多い。確かにハラスメントは指弾されるべきことだが、刑法的に裁かれるまで至っていない段階で、他の人たちの“晴れ舞台(仕事)”までも“奪ってしまう行為”が「正義であれば良い」と言えるのだろうか。それに、告発女優である大内彩加氏は、どうして3年近くもセクハラを許し続けたのだろう。その間に警察に相談するとか、同じ劇団の先輩に相談するとか、何か方法はなかったのだろうか。いや、もっと根本的なことを言えば、どうして“他の劇団に移る”という手段を考えなかったのだろう。そして、セクハラ行為が終わってから1年半以上も経って、なぜ“今になっての告発”なのだろう。とにかく「家を壊す」という舞台は、その“上演を壊す”ことによって一幕が終わった。

ジョンソン“返り咲き”首相なら英国は富裕国⁉

2022-12-16
興味深いデータが英国で公開された。今年9月に辞任したボリス・ジョンソン元首相が辞任後の数か月間だけで、実に1億6800万円もの収入を得ていたというのだ。英国は政治家の資産に関しては“公開する”ことを義務付けている国なので隠しようがない。ジョンソン氏自身も自らの“講演による収入”で不正なものではないので、堂々と公開している。米ニューヨークでの銀行家たちの会合、米CNNが行った会合、インドでの会合などにゲストとして出席、それらにおいての講演による正当な収入である。何しろ1回の講演料が3600万円~4700万円と、日本人の感覚からすればべらぼうに高い。日本で人気政治家などが講演して得られるギャラは、せいぜい200万円~300万円程度で、それですらも高額だと私などは思ってしまう。もっとも、イギリスの政治家たちの収入は多くないので、講演の上手い政治家は“そっち”を本業にした方がはるかに儲かる。そういえば日本でも“ハマコウ”こと浜田幸一氏などは“そっち”の方が本業のようなところがあった。それではジョンソン氏の場合も“そっち”を主体にしていこうとしているのか……実は、これが“大違い”で彼はあくまで「首相としての返り咲き」を狙っている。2024年以降に行われる可能性が強い総選挙で勝利して、再び首相となる日を夢見ているのだ。そして、運命学的な観点から言えば、今回の短期間による高所得は、或ることを予感させる。つまり、もし彼が再び首相となって長期政権を握ることが出来たのなら、英国は必ず「富裕国」として再浮上してくる可能性が強いということだ。一国の運命は、一国の首相が握る。トランプ氏が大統領になった時、アメリカの株価は急浮上して国民を潤わせた。消えたとたんにアメリカの株価が今度は急落してしまった。もちろんこれらは偶然である。だが、奇妙なことに、その国のトップの金運は、そのまま国民の金運につながる。私は大昔、中曽根政権が誕生する前、彼の手相掌紋を書籍で観て、こんなにクッキリ太陽線が刻まれているなら、もし首相になったら日本国も飛躍するのではないかと思った。その予感は的中してバブルがやって来た。国のトップの金運は、そういう意味でとても重要なのだ。果たして現在の日本のトップはだれだったか……

3年以上の「ひきこもり」には「大きな代償」

2022-12-15
あまり話題になるケースは少ないが、日本国内には相当数の「ひきこもり」が存在している。その人たちには大きく分ければ二種類あって、その一つは明らかな理由があって“ひきこもっている”人々。もう一つは特別“大きな理由”は存在していないが、或る時期からなんとなく“ひきこもり”出して、それがずるずると継続している人々。前者に関しては、ここでは重要視しない。問題は後者のひきこもりなのだ。昨日14日に“長期のひきこもり生活”の果てに両親を殺害した松本淳二被告の初公判が開かれた。被告は検察による殺害に至るまでの過程をおおかたで認めた。それによれば、大学を中退して以降、一時的には実家の家業を手伝ったりもしたが長続きせず、通算35年間にも及ぶ“ひきこもり生活”を続けていた。その間、本人の供述によれば、母親以外とはほとんど会話していないのだった。もちろん、そういう生活は心身の葛藤を招き、しだいにストレスが溜まっていく。父親が老齢になって病気となり、寝たきり状態に近くなると、自宅で“介護的な役割”を演じなければならず、被告への負担が掛かってくる。殺害当日も、何度もトイレに行くため夜中に起こされて、我慢の限界が来ていたらしい。したがって、父親殺害後もそれに対しての後悔は乏しいようだ。母親の場合には、その殺害現場を目撃されたからで、母親まで殺してしまったこと対しては“大いなる後悔”が残っているようだ。元々被告の実家は“酒蔵・酒屋”である。既に廃業して長いのだが、業務用冷蔵庫はそのまま残っていた。その業務用冷蔵庫に二人の遺体を押し込んだのだ。殺人は相手の首に電気のコードを巻く形で行われた。当然、父親は不自由な身体ながら必死の抵抗を示した。それでも狂気と化した彼には、父親への怒りが勝っていた。客観的には“35年間の恩恵”だが、身勝手な彼には“35年間の怨念”でしかなかった。自分の責任を両親に向けていた。こうして“ひきこもり”続けていた彼は「殺人者」という形で“公の場”に登場した。誰でも人生において一年や二年の“苦悶煩悶する日々”が続くことはある。そういう“試練の時”を乗り越えて、人は人間的に成長していくのだ。精神的に“生まれ変わる”ことが出来れば、どのような過去があり、どのような汚点があっても、世間は徐々に受け入れていく。あくまで徐々にだが、受け入れていくものなのだ。ところが、この“徐々に…”というのを待てない“過去ある人々”が多すぎる。だから、また元に戻ってしまうのだ。運命学的には3年以上“ひきこもり”が続く場合には何らかの“大きな代償”を払わなければならない。

「物流・運輸・外食」倒産が一気に加速する⁉

2022-12-14
心配なデータが帝国データバンクから発表された。11月の倒産が570件で7か月連続で前年同月を上回り、リーマンショック時直後の様相に似てきたというのだ。倒産件数が急に増えたのは“物価高”や“円安”や“人手不足”といった表面上の理由もあるが、もっとも強く作用しているのは今年9月で中小企業向けの“無担保融資”や“コロナ補助金”などが終了になっているからだ。日本には無数の中小企業がある。中小とまでも言えない数人で仕事をしている零細企業も多い。お店などでもそうだが、一人だけでとか、数人だけでとか、何とか商売を切り盛りしている企業が山のようにある。或る意味では、そういうところが沢山あるから“大企業が成り立っている”のが日本の実情なのだ。そこで問題になるのが、原材料費の値上げとか、輸送費の値上げとか、人件費の値上げとか……なのだ。何しろ、ギリギリ回しているところが多い。だからアメリカのような大幅な値上げではなくても、ちょっとした値上げでも“辛い状態”に陥りやすいのが「日本」の現状なのだ。特に物流業界は、ガソリンの値上げ、タイヤの値上げ、梱包材の値上げ、それらが三つ巴になって襲ってきている。似たような影響がある分野として、運輸業界も、外食業界も、ピンチが続いている。それでなくても外食産業は“コロナ”によってアップアップの状況だった。いままた原材料費の値上げラッシュが続いていて、もはや土俵際といった状態なのだ。しかも外食産業はライバルが多い。原材料費が上がっているのだから、自分の店の料金も値上げして良さそうなものなのだが、近隣のライバル店の動向を見ながら出なければ値上げできない。運輸業界も同じような点があって、もっとも倒産率が高い。運輸と物流は“人手不足”という大きな問題も抱えている。長時間労働になりがちだし、移動も多くて家族と一緒に居られる時間が少ない。“人手不足”にはそれなりの理由がある。したがって人件費はどうしても上向く。中小・零細のさまざまな業界が、無担保融資や補助金を失って窮地に陥っている。年末年始から春先にかけ、倒産件数が加速していかないよう祈るしか出来ない。

来年を占う「鵜さま」が捕まってくれない神社

2022-12-13
私の勘では“ギリギリになって捕まる”ような気がするのだが、とにかく祭り日の“神事”は12月16日午前3時と決まっている。それまでに“神の使い”というか“神そのもの”というか、祭りの主役である「鵜」をどうしても捕獲しなければならない。鵜であれば、どこから連れて来ても良いかというと、そうではない。ちゃんと石川県七尾市には「鵜捕町」という名称が残っている。そこで捕らえた「鵜」であることが条件なのだ。そして捕獲できたその時から「鵜」は「鵜様」という尊称に変わって“神”となる。そうして石川県で古くから広大な敷地面積を誇る神社として知られる「気多大社」で毎年行われる“祭りの主役”となる。国の重要文化財でもある拝殿や本殿では古式にのっとり、12月16日の早朝3時に“鵜祭”が行われる予定ではあるが、今年はなぜかまだ「鵜」を捕獲できていないのだ。もちろん「鵜」が捕獲できなければ“鵜祭”の意味がない。それに、この神事は「来年を占う」ことで有名なのだ。捕獲されていた鵜を放し、その“神前への進み方”によって、来年が占われる。鵜は“明り”を求めて動くので、神に代わって“神前の舞台”まで無地に辿り着くらしい。万葉集の時代から脈々と伝わってきた伝承であり、欠かすことなど出来ない。だが肝心の鵜が捕獲できないことには、どうすることも出来ない。「鵜捕町」という町名が、そのまま今日まで残り続けたことは素晴らしい。森に囲まれた気多大社も、写真で見る限り、古来の状態をそのまま維持し続けてきたように見受けられる。冬至前後から正月にかけての神事には「新年」を占うものが多い。それぞれの地域で“神事の仕方”はことなるが、ほとんどの場合は“その地域”における神が告げる「新年の出来事」で郷土に暮らす人々の信頼を集めてきた。よく、神社に関してさまざまなことをいう人がいるが、実際には“未来を予知すること”も担っていたことは間違いがない。神社に対して「お礼だけを言うべきだ」などという人は、庶民の気持ちも、神様の気持ちも、解かっていない大馬鹿野郎なのだ。

「病気」&「借金」の救世主⁉「年越しそば」

2022-12-12
毎年、大晦日に「年越しそば」を食べる日本人は6割~7割くらいだそうだ。多少、年齢と関係があって、若い人たちほど食べる確率は少ない。それでも調査では極端な“開き”は出ていない。一応、日本人の多くは「年越しそば」を食べるものだと思っているらしい。では、なぜ「年越しそば」なのだろう。調べるといろいろなことが書かれている。そのなかで私がナルホドと思ったのは「年越しそば」には「年切りそば」「三十日そば」「縁切りそば」「勘定そば」などの別名があるということ、しかも、これらの名称は似たようなことを意味している。既に江戸時代中期に商家では「三十日そば」の習慣があった。これは“大晦日”ではなく、毎月の「三十日の日」を意味する“そば”のことだ。昔は「太陰暦」であるから、三十日が“月締め”で“月夜とならない夜”でもあり、商家にとっては、その月における“〆の日”を意味する。したがって、使用人たちの労をねぎらい、給金を支払い、月における貸し借りを“帳消し”にする。「勘定そば」という別名は、その辺のところを意味しているとわたしは思う。それの“年末〆の日”として「年切りそば」ともいうのだ。商家にとって「貸し借りを無くしたい」という思いは当然のことで、年末までに常連客に貸していたお金を取り戻し、金融から借りていたお金を返して一年を終える。つまり一年の“汚れ”“穢れ”を断って、新たな年を迎えたい、という願いが秘められていた習慣だったのではないだろうか。自分たちで使用人たちのために「そばを打つ」商家の主人にしてみれば、昔から「五臓の毒を取る」とも言い伝えられた“そば”を打ち、金細工師たちが「金箔を延ばすのに使った」そば粉をたくさん扱うことで来る年の“健康”と“金を増やす”意味合いも兼ね、進んで打っていたに違いない。そのような観点から捉えなおすと、ただ単に“縁起物”だけで「年越しそば」を食べていたわけではなく、そこには或る種の「祈り」のようなものが込められていたのが「年切りそば」であり「勘定そば」でもあったのだ。

「出産50万円」より「お見合い制度創設」を‼

2022-12-11
年々「日本人」が減っていく。その理由は簡単で「死亡数」が増え「出生数」が減っているからだ。どうすれば出生数を増やすことが出来るのか。岸田総理は「出産育児一時金」として与えられる現行の42万円を、来年度から50万円に引き上げると発表した。どうも岸田総理は、それによって“出生数が増える”と考えているらしい。けれども当然のことながら、婚姻数が増えていかなければ、出生数は増えない。その根本的なところには“何の対策”も提唱していないように視える。出生数を増やそうと思うのなら、日本の場合、まずは婚姻数そのものを増やすための対策を考えなければならない。それでは、どうして婚姻数が減っているのか。いちばんの理由は“男女の恋愛数”が減って来ているからだ。いつの頃からか日本の“流行歌”から“恋愛の歌”が極端に減ってしまった。あえて「流行歌」という表現を使ったのは、それが“世相を反映する鏡”だからだ。流行歌としての「歌」に“恋愛歌”が多くなれば、必ず、恋愛する人々も多くなる。戦時中であっても、恋愛する人々は減らなかった。ところが近年、セクハラとかストーカーとかコロナとか多様性とか、さまざまなことが言われて「普通に恋愛する」男女が極端に減ってきている。だから“恋愛歌”が流行歌として大ヒットしないのだ。昭和の時代には、決して経済的には豊かな時ばかりではなかったのに、恋愛はすたれなかった。それなのにSNSの時代になって、本来であれば“もっと簡単に男女が結び付く”はずであるのに、実際には“SNSそのもの”が男女間の距離を経だたせたような気がする。言葉を使わなくても“話が通じる”ようになったことが、男女間の出逢いを奪ったのだ。そうであるなら、昔の制度を現代的に復活させればよい。つまり日本から消えてしまった「お見合い制度」だ。明治、大正、昭和の前半まで、この「お見合い制度」があったことで多くの男女が結ばれた。もちろん、現代に復活させるのであれば“現代らしいお見合い”に変えなければならない。もちろん、民間には「さまざまなお見合いシステム」が存在することを、わたしも知っている。けれども、それらには統一性がない。「国」としての“後押し”がない。国家予算も組み込んでいない。これではダメなのだ。もっと大々的にアピールして行うべきなのだ。「マイナンバー」だって、簡単でいろいろ特典を付けたらあっという間に普及しつつある。中国のような“やり方”ではいけないが「背中を押す」形の“お金がかからないお見合い制度”なら、必ず普及し、性格や暮らし向きの合う、多くの若いカップルが続々と誕生していくのではないだろうか。

過去も「マドンナ」今も「マドンナ」の一貫性

2022-12-10
アメリカの歌手のマドンナ(64歳)が最新ショットを公開している。昨年末あたりから、ときどき思い出したように自らの姿を公開。とても64歳には視えない“若々しく妖しい姿”だ。もっとも「怖い」という反応や「マドンナはどこに行った‼」「もう齢相応にして…」という反応もあるようだが、相変わらず、自己主張が強く、強烈な印象を与え続けるとことなどは、或る意味、昔のままで“マドンナ健在”を印象付ける。アーティストやアイドルには“齢相応”に変わっていく人もいるが、元々が“強烈な印象”で話題を振りまいて来た人なのだから、最後の最後までそれを貫けば良い。それにしても、とても60代には視えない。パッと見なら40代後半で通るだろう。私には整形なのか元々なのかわからないが、ボリュームのあるバストも健在である。ただ確かに少し“怖く”なった雰囲気はある。欧米女性は年齢が行くと誰でも或る程度そういう風な印象を与える。骨格が骨太なせいかもしれない。日本女性は年齢が行っても“怖く見える”女性は少ないが、それでも骨格がしっかりしている人の中には、そういう部分が強調されてくる人もいる。見た目の雰囲気というのは男女とも中年以降に出やすいもので、永年の“暮らし方”とか“生き方”のようなものが反映されやすい。昔、アメリカ大統領だったリンカーンは「40歳を過ぎたら自分の顔に責任がある」と言ったそうだが、確かにそれくらいから徐々に、その人の個性が前面に出る。特に男性の場合は、ただ単に見た目が“良い”“悪い”だけでなく、何となく、その人が歩んできた人生の足跡のようなものが顔貌に“滲み出てくる”ようなところがある。シワひとつない顔が良いとは限らない。顔立ちというより“全身像”といった方が良いかもしれない。現代は、男性でも美貌が求められるが、歴史的な観点から言うと必ずしもそうではない。女性の方は昔から“美人”が求められたが、その“美の基準”は時代によっても、人種や民族によっても微妙に異なる。絶世の美女と言われたクレオパトラが考古学的に“復元された顔”では美しく思えないように感じたりする。そういう意味では「時代を駆け抜けた美女」の一人であった歌手マドンナも2020年代に相応しい外貌へ徐々に脱皮しているのかもしれない。

「嫌な職場なのに転職しない」が貧困化原因⁉

2022-12-09
最近“日本の貧困化”を指摘する声が、各方面から上がっている。25年間も賃金が上がらない国ーというのは確かにおかしい。その原因については、いろいろな人がいろいろな角度から解説するが、いま一つ、わかったようでわからない。そう思っていたら丁度良い本がPHP新書から出た。『51のデータが明かす日本経済の構造』宮本弘暁著がそれだ。この本の中で著者はさまざまなデータを駆使して、日本ではなぜ労働市場の流動化が進まないのか、日本だけが貧困化していくのか、について述べている。それらの解説の中で、一つだけ、とても解りやすいデータがあった。日本人が他のアジア人種と決定的に違っているのは「イヤな職場に勤め続けている」人の割合がダントツに多いという点だ。つまり、この職場、この企業に「これからもずっと勤め続けたい」という人の割合が極端に少ない。アジア圏のほかの国では、例えばインドでは86%の人たちが「いまの職場で働き続けたい」と思っている。ところが日本ではそういう人は52%しかいなかった。これはアジア圏で最低の比率であり、他の国から大きく引き離されている。つまり、ほんとうは勤め続けたくない職場で働いている人が半数近くもいるのだ。それならば「転職の意向を持っているか」というと、これが、そうでもない。日本では転職の意向を持つ人は25%しかいないのだ。職場の中で、半数近くの人が今の職場に「ずっと勤め続けたい」と思っていないのに、転職の希望はその半分の人たちしかいない。そうすると、あとの半分の人たちは「イヤな職場だけど、我慢してここで働き続ける」という考え方なのだ。これでは“活き活きとした雰囲気の良い職場つくり”は難しいような気がする。何となくだらだら働き続けている……ような職場環境が自然に作られていってしまう。一方、インド、ベトナム、中国の人たちは、40%以上の人達が“転職の意向”を持っている。しかもこの順序は、実は「いまの職場に働き続けたい」と思っている比率の高い国の順序でもある。つまり、どういうことかと言えば、いまの職場に満足し、これからも働き続けたい希望を持ってはいるが、もしも“より良い条件の職場・仕事”があるのであれば「転職の意向を持っている」ということなのだ。つまり“働く”ということに対してきわめて意欲的というか、前向きな印象を受ける。それに対して日本は「とりあえず今の職場で働くしかない」的な印象が強い。仕事に対して“後ろ向き”なのだ。もしかすると「転職」そのもののイメージが、これらの違いを形作っているのかもしれない。日本は、もっと転職者たちを“優遇すべき”なのだ。

アメリカの若者に「日本」売る“行動派の社長”

2022-12-08
最近はアメリカでラーメン店を成功させても、特に珍しいことではなくなった。それが昔“芸人”だったとしても「そうだったのか」程度の反応しかない。ただ相方が自殺して間もなく、二郎系のこってりラーメンに出逢って「これだ‼」と飛びつき、芸人を辞め弟子入りして修行し、自分の店を持ち、国内だけではもの足らずに“世界”を目指して成功した人物。現在、国内外に23店舗を構える社長となったのが西岡津世志氏(43歳)だ。私がもっとも注目したのは、彼がアメリカ人の舌に合わせるのではなく、あくまで“日本の味=こってりラーメン”にこだわったことだ。しかも、学生や若者たちが多く住むボストンを拠点に移住し、一年間をかけて店舗づくりをして、持ち金3000万円を無くして「0」から開業にこぎつけていることだ。よほどの覚悟がなければ、こういう勝負は出来ない。しかも、彼の店の特徴は“味”にあるのではない。来店者の多くに「夢を語らせる」ことにある。来店者の若者が自らの夢を語って、その店に来ていた人達の多くが、その夢に対してエールを送る。そういう“変わった店”なのだ。もちろん強制ではない。日本人は人前で“夢を語る”ことを気恥しがる人が多い。私だって、もし、その店に行って席に着く時「夢があれば語ってください‼」と言われても、正直、うろたえてしまうだろう。ニューヨークに近い街なので、多くの若者は「夢」を持っている。そうだからなのだろうか。それとも、日本式こってりラーメンの味なのか。どちらかわからないが、とにかく若者たちが列をなす。何しろ店名が「Yume wo katare」なのだ。そして彼の会社名も、株式会社 夢を語れ なのだ。まあ、徹底しているというか、文字通り“アメリカンドリーム”の達成者であることは間違いないだろう。近年、芸人出身でアメリカにわたって“夢を実現しよう”としている人達は多い。いや芸人でなくても俳優とかミュージシャンとか、いろいろと居る。ただ、その多くは、どうすれば“アメリカ人好み”として成功できるか、を考える。彼の立派なところは“日本の味”にこだわったことだ。アメリカ人の好むラーメンには変えなかった。しかも“夢を語らせる場所”として、自分の店を提供しているところだ。ニューヨーク近郊であるボストンで、世界中から集まった学生たちが「自らの夢を語る」そのうちのどれくらいが“現実”となるのか、或る意味では世界中の優れた若者たちの“夢”が、その店には詰まっている。  « Older Entries Newer Entries »