3月, 2023年
2023-03-31
近年「日本」は“外国人”に買われることが多くなった。日本の企業も、日本の土地も、日本の建物も……円安進行して、外国人からみれば「安い買い物」に思えるなら、大いに買ってもらって再生される方が良い。ということで、ささやかながら“わたしの住居”も昨年9月に売り出し、11月に購入してもらった。一応、私は占い師なので「わたしの家は遠方の人が買う」と決めてかかっていた。実際、価格交渉まで行ったのは東京、川崎、香港に拠点を持つ人たちだった。そうして最終的に“香港の方”が買った。もっとも、わたしの方の新居が半年後でなければ竣工しないということで、3月まで待ってもらっていた。仲介してくれた不動産屋さんから昨日「もう暮らし始めている」ということを聴いた。そして、彼は今回の仲介を大変満足して、新たな客を何人も紹介してくれることになったらしい。住居そのものに対しても、実際に居住して心の底から「良かった」と思ってくれているらしい。それを聴いて、わたしもホッとするものがあった。やはり外国人の方であるから、日本人に比べて“細かな点”にまで注意を向け、あとから欠点など指摘されるのではないか……と不安もあった。それが十分満足し、何人もの紹介者になってくれたというのだから、これほど嬉しいことはない。確かに、自分で言うのもおかしいが「すばらしい眺望の部屋」ではあった。だから16年も居住したのに、購入時より“はるかに高額”で売れた。これは一つには“風水効果”もあるとは思う。よく「日本」が“外国”に買われると、日本の自然や景観を損なう可能性や“乗っ取られていく”可能性を指摘する人がいる。けれども、古今東西の歴史を観ても、そこにだれが住むかは「神が決めていく」ようなところがあって、元々「だれだれの居住区」と完全に定まっているようなものでもない。歴史的な状況の変化の中で、おのずと“そこに根付いていく”ことが徐々に定まっていく。その中で“違和感ある”場合には、そこからはじかれることもあれば、みずからそこを飛び出すこともある。どこで“だれ”が暮らすかは最終的には、その地域の「気」とその本人の「気」が合うかどうかなのだ。
2023-03-30
「裕子夫人」とは、さて誰の夫人なのか。「ジル夫人」とは、さて誰の夫人なのか。考えるほどの問題でもなく、岸田首相の夫人とバイデン大統領の夫人である。この二人が“お友達”になろうとしている。なかなか良いタイミングだ。夫人を連れていなかったバイデン大統領が来日した時、同席していた裕子夫人を気に入ったようだ。連れて来なかった妻の元に「逢いに来てほしい」との要望を伝えたのだ。バイデン大統領のジル夫人は元々が教育者で政治家ではない。もちろん裕子夫人も政治家ではない。だから裕子夫人が4月にジル夫人の元を訪れたとしても、それで直接に外交的プラス効果は期待できない。だが、アメリカはいまロシアや中国との関係が良くない。その中国のトップはロシアのトップに逢いに行った。仲良しであることをさりげなく強調した。だから、アメリカは“仲の良さ”をさりげなくアピールできる相手が欲しい。さて日米は野球でも決勝でぶつかり互角の戦いで“世界一”を争った。訪米のタイミングとしては丁度良い。近年、アメリカは日本をそれほど重要視していなかった。もはや“アメリカのライバル国”ではなくなったからだ。ところが、ここにきて再び重要度が増してきている。一つにはロシアと中国との結びつきが強まって来ているからだ。双方の国に近い「日本」は位置的にも重要なのだ。さらにアメリカには北朝鮮との問題もある。無視し続けている間に、北朝鮮はアメリカ本土を射程圏に捉えた。この場合も「日本」の地理的な位置は重要なのだ。韓国はこと北朝鮮問題に関する限り、必ずしも“味方”とばかり言いきれない部分がある。位置的に“繋がっている”ことも何かと問題を抱えやすい。さらに“半導体の問題”がある。アメリカは中国と距離を置くことで、半導体を何とかしなければならなくなった。実は半導体に関しては「台湾」が鍵を握っているのだが、その台湾は中国との“綱引き状態”にあり、やがて「引き摺られて」行ってしまう可能性もある。つまり、アメリカにとって“半導体問題”で手を結びやすいのは、我が日本なのだ。このような状況下にある現在、裕子夫人の単独アメリカ訪問は、ただ単にジル夫人と“お友達になる”だけが目的とも思えない。ただ「ロシア」と「中国」と「北朝鮮」にたいして“トップレディー同士はお友達‼”とアピールするだけでも、外交的にも経済的にもプラス効果がありそうなのだ。両婦人とも政治に直接関わっていないことが最大のポイントかもしれない。
2023-03-29
わたしはどちらかというと「災難」に関しては、あまり心配したためしがない。というか「よけいな心配をしても始まらない」という気持ちが強い。どんな人間でも“不慮の災難”は避けようがない。特に“自然災害”に関しては、そうだ。たとえば地震など、どうやって防ぐのか。地震対策というのはいろいろ言われるが、要するに“起こってしまった後のこと”であって、起こさせない対策ではない。津波とか竜巻とか火災とか豪雨とか暴風なども、実質的に“予知する”方面の研究は、正直、あまり進歩がない。だからこそ「防災グッズ」なるものが売れたりするのだろう。ただ実際には“不慮の災難”に遭遇するかどうか、そして遭遇したとき“大きな被害”を受けるかどうか、その部分に関しては多分に「運」というものが関係している。たとえば地震だが、たまたま“その場所に居た”ということで大怪我をするとか建物の下敷きになるとかする。逆に“その時間その場所に居た”ことで、大きな災害から「かろうじて逃れる」ケースも多い。要するに「運」なのだ。だから「逆らってもしようがない」というのが私の考え方だ。昨日、午後6時18分ごろ、北海道では函館を中心として強い地震が起こった。函館が震度4で、札幌市は東区が震度3で、それ以外は2という状況だった。ところが、私はその時間ソファーに座っていたのだが、何も感じなかった。だから地震のことはネット上の「ニュース」で知ったのだ。引っ越して間もない私には、まださまざま“やらなければならないこと”が残っていて、昨日はそのために外出をした。そして戻ったのは夕方に近かった。だから、ちょっとグッタリとしていてソファに身を沈めていた。それなのに、何もしていなかったのに、地震の揺れを感じなかった。どうしてなのか。「通常のマンションに比べると地震とかにも強く“揺れ”を吸収する構造です」営業の人が初めての対面の時にそういう風に説明していたっけ……。そういう話にもともと興味がないので、わたしは聴き流していただけだった。だが実際に、こうして震度2でもまったく“揺れ”たことに気付かなかったのは、疲れてグッタリだったからだけとも思えない。少なくとも揺れを感じなかったのは事実で、それは「安心・安全」を好む人たちからすれば、素晴らしい事実なのに違いない。実際、前に暮らしていたマンションは、どちらかといえば“揺れ”やすかった。震度1でも必ず“揺れ”た。階数の違いもあるのだろうが、或いは土地・地域の違いもあるのだろうが、とにかく“揺れやすい”傾向はあった。わたしのように「運がすべて」と割り切る“ヘンな奴”でもない限り、新しいマンションは“優秀な地震対策”を備えた構造のようだった。
2023-03-28
引っ越しによって家具調度品だけでなく“家電類”もいろいろと変わった。特にエアコンは引っ越しでもしなければ北国の家庭ではあまり変えない。なぜ「北国」と念を押すのかといえば、通常、北海道ではエアコンは“冷房用”としてしか使用しないからだ。暖房の方は最初から“暖房機”が別に付いている。したがって冷房用としても暖房用としてもフル回転させる本州と違って、夏場の“短い期間”しか使用しないので、どうしても引っ越すときぐらいしか“買い替えをしない”のが普通なのだ。そのエアコンだが、年々その機能は多少進化しているのかもしれないが、少なくとも外観的にはというか、デザイン的には16年前とほとんど変わらない。むしろ、少し“大きくなった”ような印象を受ける。ここ数年、コロナ禍で“ウイルス”というものが注目を浴びたので、それを除去することがエアコンの機能として新しく加わった。もしかすると、昔より大きくなった印象を受けるのは、そういう“新しい機能”を加えているせいなのかもしれない。それでも、わたしは「出来るだけコンパクトなモノ」を択んだつもりだった。それなのに大きい。大きく視える。それに、部屋の大きさによってエアコンの大きさも代わると思っていた私は、取り付け業者から「どの部屋のエアコンも大きさそのものは一緒です」と教えられた。そういうものだったのか。けれども、昔は違っていたような気がする。とにかく、多少は広いはずのリビングのエアコンが妙に大きく視える。鑑定室のエアコンなど飛び出して見える。もう一つの部屋のエアコンが一番小さく視える。これらは“目の錯覚”なのだろうが、何となく見栄えとして「もう少し小さく出来ないものだろうか」と思ってしまう。どのメーカーも似たような大きさであることも、わたしには今一つ納得できない。カタログで比較したときにも思ったのだが、どうして各メーカーとも“機能”にばかり力を入れて“デザイン”や“色”や“大きさ”は考えてくれないのだろう。家電といえば「白」と決めつけているようなのもおかしい。せめて冷蔵庫程度には“色の違い”“大きさの違い”“形状の違い”などがあっても良いような気がするのだ。特に“狭い部屋”に関しては、もう少し“小さなエアコン”とか“奥行き短いエアコン”とか“長方形でないエアコン”とかを開発できないものだろうか。鑑定室のエアコンは壁から“異様に飛び出している”印象を受ける。この半分くらいなら、もっと部屋全体のバランスに馴染むはずなのだが……。
2023-03-27
わたしが今日あるのは、あの社長のおかげだといって良い。「あの社長」の名前を出しても、たぶん誰も知らない。大体がわたし自身“下の方の名”は忘れてしまった。小さな町工場の“しがない社長”だった。わたしは人生における初めての勤めを、ここの会社に勤務して、この社長に教わったのだ。何よりも教えられたのは、そう簡単に“怒らないこと”だった。わたしは始終ミスを犯して製品を台無しにした。それに機械の扱い方が下手なので、すぐに止まったり変調したりする。そのつど社長は「またか⁉」という顔をしてやって来て「機械というのはね、女性と同じなんだよ……もっと、優しく丁寧に扱わないとね、こうやって様子を見ながら……そぅっと確かめていく……そうすれば何十年も使った機械でも、ちゃんと機能する…」わたしにというよりも、社長は自分自身に言い聞かせるような感じで、或いはその機械自体に言い聞かせるような感じで、何度も同じことを確認する。ちょっとずつ方法を変えながら、その違いを確認して、どこが問題なのか見つけ出していく。さまざまな方法を試して、これ以上は“確認すべき点がない”ような場合でも「どうすれば良いかな」といって決してあきらめなかった。それまで、大人になり切れていなかった私は実に単純で“すぐあきらめてしまう”弱点を持っていた。なんでもダメになると「もうイイや」といってすぐに投げ出してしまう。ものごとに対する執着力というものが元々希薄な生まれだった。けれども、この社長は何十年も使って既にガタガタになっている機械と対話しながら、その故障個所を見出し修理して、再び機能させていく。本物の修理屋さんよりも優秀ではないかと思うほど、機械の故障に強かった。そして、どんな場合にもあきらめなかった。なんど試みても、さまざまな方法を用いても治らない。そういう場合でも必ず「何か方法はないかな」と腕を組んだ。わたしのミスによって機械が故障しても、けっして怒らなかった。その時、わたしは何となく思ったのだ。もし私が成功したなら、こういう人になりたい、と思った。それなのに、わたしは、よくこの社長さんに「給料が少ない」といって文句を言った。社長室で「もっと私は働いている」と奇妙なことを言った。それなのに、この社長は怒らなかった。黙って、わたしの話を聴いていた。そうして「申し訳ないが、今はこれしか出せない、ほんとうは出してあげたいんだけど…」と哀しそうな顔をした。なんと素晴らしい社長だったのだろう。そして、なんと恥かしい「わたし」だったのだろう。
2023-03-26
引っ越しをすることで、予期せぬモノにいろいろとお目に掛かる。昔のホロスコープや手型の記録もそうだが、今度は28年前に私自身が“自分の引っ越し”に関して、風水家相的な観点から記録発表したものが出て来た。その当時に属していた“占い同人誌”に公表した“自らの引っ越し記録”(タイトルは「方位の実際的作用」)といって良い。要するに1995年9月、家族で札幌の中央区伏見付近から方位的には東と北東の中間付近に位置する江別駅付近へと引っ越して2か月弱の時点での状態を、占い師らしい視点から記録したもので、いま読み返すといろいろな意味で大変に興味深い。この住居には実質的に5年ほどしか私は住まなかった。それは、離婚をして、わたしの方がその住居を出て札幌へと単身出てくる形となったからだ。良くも悪くも「風水効果」というのは、或る程度の年月が経ってみないと、ほんとうのところは解からない。いま思うと、この住居に入ったことで私は『占星学秘密教本』を出すことが出来た。引っ越して初めて迎えた正月元旦に、出版依頼を受けたからだ。その一方で、心ならずも「離婚」も経験した。だから“良いこと”“悪いこと”両方あったのだが、この記録の時点では、まだ“大きな出来事”は起こっていなかった。ここに引っ越したことで、わたしは江別から札幌中央区の仕事場に通う形となり、毎日のように電車に乗った。私はそこで読むスポーツ新聞が楽しかったし、職場でも仲間同士で“談笑”したり“飲みに出掛ける”機会が増え、占いの方でも若い女性たちとの接点も多くなった。そういう意味では方位的には明らかに「西方位の作用」が出ていた。つまり、わたしは方位的には西から東へと動いていたことになる。これは八方位ともオール45度として捉えれば“当て嵌まる方位”なのだ。気学九星のような30度・60度では北東となってしまう。ここのマンションは新築だったが建物全体では“斧のような形状”をしていて、その点が弱点だと記されている。その一方で棟全体としては“南東の角部屋”に当たるとして大いに悦んでいる。確かに、このマンションに移って後、TV取材が何度もあった。占いの生徒さんも増えていった。家の間取も公開しているが、107㎡という“広い家”であった。実は私と妻と子の三人だけでなく、相手側の両親も一緒だった。もっとも、義父はその多くを単身赴任で家に居なかったので実質的には4人家族だった。ところが義父が単身赴任から戻って以降、家族間がギクシャクし始めた。どうしてかというと、その間取にも示されているが「真東」が凹んでいる家相なのだ。これは「長男が欠けている」ことを暗示している。だから、父親が戻って来ると、わたしが“長男的な役割”となって、この家からは省かれることになる。そういうことで、わたしは出ることになった。もっとも、その時にはこういう風に冷静ではなくって、何とも言えない悔しさを抱えていたことが懐かしく想い出される。
2023-03-25
今回の引っ越しにおいて、わたしは“優雅であること”にこだわった。だから、多くのヨーロッパ家具を求め、それも17世紀~18世紀に使用されていたような雰囲気のモノを求めた。その結果、それにふさわしい家具やインテリアは一カ所では調達できず、何カ所もの店から運ばれてくることになった。「大きすぎて搬入できない」という問題を除けば、一応、その目的は達したことになる。どうして200年~300年も前の欧州家具にこだわるのか。それは運命学的に、その形象は“暮らしを作る”からである。「風水」や「家相」も観相学の一種だが、その根底に流れているのは“形あるもの”から“形ないもの”を読み取っていくことにある。たとえば「運命」とか「性格」とか言っても、それに“形”はない。形はないのだが、それでいてだれもが“その実態”を知っている。つまり、これこれの運命とか、こういった性質とか、何となくの判断を個々が行っている。形のないものを“形ある風に”判断しているのだ。しかも、それは観相家ではなく、ふつうの人たちだ。どうしてそうするのかというと、なんとなく“そう感じる”からなのだ。たとえばヴァン・ゴッホという人物は“多数の自画像”を描いた画家である。誰もが一度くらいは“その自画像”を見たことがある。何となく気難しそうな印象を受ける。神経質そうな印象を受ける。研究心が強そうな印象を受ける。貧しそうな印象を受ける。孤独で交際が狭い印象を受ける……そういう風に、人は誰でも勝手に、その人を判断している。観相家ではないのに判断している。では、何から判断しているのかというと、その顔貌からなのだ。顔貌が持っている形象からなのだ。これらを、より突き詰めていくと、その人に“付属している”形象は、その人の日常を物語る……ということになる。「風水」とか「家相」とかいう占いは、要するに“その人に付属する暮らしの形象”から、その人の“実際の暮しと生き方”とを予見しようとするものだ。暮らしを離れての運命など有り得ないからだ。だから、その“逆”もあり得ることになる。つまり、家相を変え、そのインテリアを変え、生活様式を変えれば、その人の暮らしの延長である「運命」も変わっていく。そういう意味で家具やインテリアは重要なのだ。現代の家具調度品やインテリアは、総じて“実用性”を重んじて作られている。だから機能性は優れているのだが、見た目的には必ずしも優雅ではない。たとえば椅子やソファなどでも、確かに機能性は優れているし、コンパクトで使いやすい。だが、見た目的には必ずしも優雅とは言えない。それは現代人が“優雅な暮らしぶり”よりも“機能的で便利な暮らし”を選択しがちだからだ。大都会で暮らすには“機能的な方”を優先するのは、或る意味で当然なのだ。ただ、その結果として“四角張ったココロ”になっていないか。もっと“優美な曲線を持ったココロ”で暮らしたいと願うわたしはロココ調に近い家具インテリアを好むのだ。
2023-03-24
昨日、わたしの“大いなる誤り”で210㎝の書棚を新居に搬入できなかったことを書いたが、その結果として行わなければならなくなった作業がある。ムダな書籍や資料などは極力“捨てる”ための判別作業だ。特に“占い関係の無意味な資料”を捨ててしまうことは今だから出来る“唯一の作業”といって良い。ところが、これが意外にも大変なのだった。何しろ、わたしは何十年間も同じ仕事をしている。そして、その間に鑑定した人たちの“手書きホロスコープ”と“手型”の多くを保存してきた。自分のためというよりも、後進の人たちにとって何らかの役に立つかもしれない……という意識が強かった。その時々で“棄てて来たもの”もあるのだが、保存してきたものも多い。ただ書棚が搬入できず、絶体絶命の今そんなことにこだわっている場合ではない。そのまま全部を棄ててしまうのは、あまりに惜しい。そこで、ホロスコープは全部棄てて“手型”のみ、手筋などが判然としているモノのみ遺しておこうと考えた。わたしは鑑定をする時むかしは必ず“相談者の手型”を採った。だから、その数は半端ではない。そこで“判然としている手型”の仕分け作業に入ったのだが、これがなかなかに難しい。年数が経ち過ぎて消えかけている手型が多い。そういう中から、まるで“宝物”でも探し当てるように“判然としている手型”を択び出す。ホロスコープが挟まっているので難しく、時間が掛かる。そして、さまざまな特徴ある人物の手型に遭遇する。おそらく相談者の方だって、わたしが何十年もの間“自分の手型”を資料として保存し続けていたとは思わないことだろう。そして、その手型が意外にも“生命力”を持ち、わたしの手元で言葉を発するとは思わなかっただろう。どういうことかというと、手型の脇には簡単な“その時の診たて”が記されているのだ。どういう相談内容だったとか、手相として、又は人相として、どういう特徴だったとか、時には簡単な図解まで記したものもある。だから、それらの手型は何十年も経っているのだが、まるで“その時”の場面を想い起させるのだ。そうして、わたしがこのところ忘れていた「課業(かごう)」というものを呼び覚ます。そうなのだ。わたしは自分の研究を形として、もっと遺していかなければならない。少なくとも、このような手型が出て来て、その一枚一枚と向き合うことになったのは、神が私に「初心を想い出せ」といっているような気がする。誰か後進の人に“任せる”のではなく、もう少しだけ自分自身で“手相の真実”を追求していかなければならない。それが“書棚が遅れる”ことになった本当の理由かもしれない。
2023-03-23
昨日は「すばらしい部屋」に泊った話を書いたので、今日は「風水・方位はあなどれない」という話を書きたい。個人的な話になるが、わたしは数日前に“お引越し”をした。同じ札幌市内ではあるが「中央区」から「白石区」へと引っ越したのだ。札幌の中心部から少し“南東方位”へと引っ越したのだ。わたしは昔から“方位”や“風水”に関しては持論を持っている。それについて書き出すと長くなるので、要するに“一般的な方位学や風水学”をそのまま信じてはいない、ということだ。ただ方位や風水の持っている“作用・影響力”を軽んじているわけではない。巷に流布している一般論の中には首をかしげるものもあって、そういう意味で“信じられる部分”と“信じられない部分”とがあるということだ。今年は“南東方位”が「暗剣殺」に当たる。暗剣殺というのは「邪気→五黄殺」の反対側に来る方位ということで、昔から“暗闇の中で剣が突き出される方位”という風な意味合いで名付けられた名称の方位だ。暗闇の中でいきなり剣を突き出されたなら、どんな剣の達人であっても痛手を負ってしまう可能性が強い。そんなことは去年、ここに建つ新築マンションを購入しようとした時点で解っている。ただ、それだから「購入するのを止めよう」とか「引越しするのを止そう」とかは全く考えない。方位作用というのは、そんなに長く続くものではなく、だいたい一年も経てば消えて行く。そのあとは“その家の間取”や“家具インテリアの配置”等の方が強くなっていく。それに、もう“前の住居”には飽きていたのだ。たとえば、前の住居は「眺望」というだけで言えば、市内随一といっても良いほどの“素晴らしい眺望の得られる家”だった。範囲的に言えば東から南にかけ90度くらいの範囲がベランダになっているので、明るい日差しが異様に入ってくる。眼下には豊平川が流れていて、その“曲がり角”に当たる。だから風水上も“最良の土地”ということになる。ただ人間というものは不思議なもので、どんなに眺望が良くても、その部分だけで生きているわけではない。「もっと別な世界が視たい」と思うことがある。夏祭りに“打ち上げ花火が視られるベランダ”は何回も観ていると、少々見飽きても来る。そういうわけで12階から5階へと降りた。今度のマンションは、そういう意味では“花火”は視られない。たぶん視られない。もっともリビングよりも広いルーフバルコニーが付いているので、そして5階ではあるのだが一応は最上階なので、見晴らしが悪いわけではない。部屋の間取も、風水・家相について知っている者からすると、なかなかに興味深い。ちょっと珍しい間取の形状なのだ。北西部分、北東部分、南東部分、それぞれが俗にいう“張り”を持った家相だ。通常、マンションの設計というのは1階から最上階まで間取的には一貫しているケースが多いが、ここはそうではない。1階と2階~4階までと5階とでは、それぞれに間取が異なっている。特に東側と西側の両端はそれが顕著だ。その東側の5階がわたしの住居なのだ。まだ実際には数日しかたっていないので、正直、まごつくことが多い。その家に馴染むには誰だって数週間はかかる。これまで16年間、同じ場所で“同じ暮らし方”を続けていたので、それからの変化として慣れるまで時間が掛かるのは仕方がない。ところで話は暗剣殺に戻る。確かに「暗剣殺だな」と思った。4カ所の本州の家具屋さんから運ばれてきた家具類は、なぜかそれぞれに問題が生じた。別に家具屋さんに問題があったわけではない。わたしの方のミスなのだ。特に書棚は、高さ210cm幅90cmのモノ4台がエレベーターに入らず万事休すとなった。特注したのは私自身なので、わたしに問題がある。わたしは部屋の天井までの高さが250cmと訊いて安心して注文を出していた。正直、その時、わたしにはエレベーターがそんなに“小さい”とは思ってもみなかったのだ。引っ越しは「らくらくパック」というものを利用したのだが、考えてみれば、あれは“これまで使用していた家具類”をそのまま持って行くときには有効なのだが、すべてを新しくしてしまうと何の効果もない。愚かな私は、それに気付いていなかった。大理石のセンターテーブルは運送屋さんに運ばれてきた時点で、どうやら破損していたらしい。あとから聞いた話では大理石というのは意外にももろくて、そういうことがしばしばおこるらしい。特注の中世ベネチア型ソファは最初大きすぎて入らなかった。現代のマンションというのはコンパクトに出来ていて、ドア扉が狭い。だからヨーロッパ型家具の多くは日本の現代マンションでは入らない。組み立て式のものであれば、かろうじて入れられるが私の購入したベッドの組み立てなど4人がかりで2時間半も掛かった。だから「らくらくパック」など何の意味もなかったのだ。センターテーブルが“お預け”状態となっているので、お茶を飲むのもダイニングテーブルのみとなっている。こちらの大理石だけが奇跡的に破損せず“素晴らしい色合い”を保って組み立てられた。とにかく「暗剣殺」を見くびってはいけないと“方位の神様”がおっしゃっていた。
2023-03-22
皆さんは一流ホテルの「スィートルーム」に“泊った”ことはあるだろうか。ほとんどの方がないに違いない。何しろ本当は“超お高い”のだ。実は訳あって先日その「スィートルーム」に泊らせてもらった。それも連泊したのだ。個人的な事情なので“その理由”については書けないが、実はもともとは“その部屋”を希望したわけではなく、ごく普通の部屋に連泊する予定だった。実際、何か月も前に予約したのは“やや上質な部屋”に過ぎなかった。ところが、その当時は外国人宿泊客がストップされていた時期で、客足自体も少ない時期だった。これらの偶然が“幸運”をもたらしたに違いない。一流ホテルというのは、時として“ランクアップ”というものを行う。つまり、本人が予約していたよりも“上質な部屋”をサービス提供してくれるのだ。今回はたまたま“その幸運”を与えられたにすぎない。まあ、そういう事情はともかく、スィートルームに初めて泊まった。もちろん最上階だったが、その部屋に足を踏み入れた瞬間、部屋を間違えたのではないか、と思ったくらいだった。なにしろ札幌の一流ホテルにおける“最上級の客室”なのだ。広い。とにかく広いのだ。そして部屋がいくつもに分かれている。一応、わたしは海外における“五つ星ホテル”の「デラックスルーム」にも何回か泊っている。だから、必ずしも“広い部屋”“立派な造り”に慣れていないわけではない。けれども、それらのどれよりも、今回のホテルの方が豪華だったし、広くて使いやすかった。ダイニングルームには大きなテーブルと10人分の椅子が用意されている。つまり、ちょっとした個人的パーティーをして来客を招いても良いよう工夫されている。そのキッチンルームは別室になっていて、ふつうに調理も出来るようになっている。広いベッドルームにはキングサイズのベッドが二つ離れた位置にあり、そこだけでも完全にワンルームくらいの広さがある。浴室は12畳くらいあって全体的に大理石で作られ、囲われたシャワー室やトイレ便器も備わっているが、それらとは別に“サウナルーム”や“トイレルーム”もある。とにかく日本のホテルであるせいか、豪華なタワーマンションの最上階の全部をホテルの一室としたような“プライベート空間”となっている。これまで、よく有名人などが「ホテルで一か月くらい過ごす」などと言うのを聴いて、あんな狭い空間によく一か月も居られるものだな、と思ったが浅はかだった。こういう設備の整った“広くて暮らしやすい部屋”であれば、そのまま何か月でも宿泊できる。ホテルを出る時、もう二度とこのような“ホテル体験”は無いだろうと思った。やっぱり一流ホテルのスィートルームには“それなりの価値”があるのだ。
2023-03-17
どんな人でも“老いる”のは嫌だ。けれども、老いは確実に近づいてくる。そういう時、人は何をするのか。その一つの答えのようなものとして俳優・仲代達矢氏は舞台に立っている。もう90歳という年齢だ。それなのに3月16日から23日迄「バリモア」という舞台の主役というか“一人芝居”を演じているのだ。それも8年ぶりの演目だ。つまり自分ひとりしか出演しない舞台で、最初から最後まで客席の眼を惹きつけ、ずっと演じ続けなければいけない難しい仕事だ。もちろん彼のように有名なら、何も“老いてしまった姿”を人前に晒すことはない。仕事などしなくても悠々自適のはずなのだ。それに、90歳という年齢は嫌でも記憶力が衰えていくはずの齢だ。一人舞台は“出ずっぱり”なので、心身とも疲れるはずでもある。それなのに彼は「死ぬまで舞台」と決めているのだろう。或いは、或る種“使命感”のようなものが後押しをしているのか。どういう仕事でもそうだが、死ぬ前日まで“第一線に立つ”のは難しい。特に“人から視られる仕事”というのは、嫌でも“老いていく姿”を晒すことにもなり、或る種の“仕事バカ”でなければ出来ることではない。正直、私にはできない。多分だかできない。だいいち私は今でも“記憶力の減退”が著しい。ほんとうに著しい。わかっていても固有名詞が出て来ない。「あれ」とか「その」とかいうばかりである。このままいくと自分の名前だって忘れてしまいそうなくらいだ。そのうち「わたしは誰でしょう」と言い出すのではないか。そういう意味でも90歳の一人芝居で“セリフを憶えられる”頭脳には驚嘆する。わたしの場合、仕事の途中で固有名詞が出て来なくなる時には、何かしら別の話をしながら、その一方で「なんだったっけ⁉」と考えをめぐらす。それでも多くの場合には出て来ない。わたしは頭脳の中に“AI”を埋め込んでもらって記憶力が復活するなら、悦んでその実験台となりたい。誰か私の頭脳を剥がして、その中にこっそり詰め込んでくれ‼ お願いだ‼ と舞台で言う。
2023-03-16
最近「日本は遅れている」という記事を眼にすることが多い。なんでも“早ければ良い”というものでもないが、やはり「遅れている」よりは「先んじている」方が何となく気持ちが良い。そういう点で「日本」は「フランス」より先んじていた。年金改革法案の話だ。フランスでは現在、政府の新しい“年金制度改革案”に対して、激しい反対の波が起こっている。マクロン政権が打ち出したのは、これまで62歳からだった年金の支給を64歳からに引き上げるというものなのだが、これに対してパリ市民は黙っていない。公共関連の仕事をボイコットするストライキと128万人ともいわれるデモ行進とで闘いを挑んでいる。その結果、パリにはいま“山のようなゴミ”が街中にあふれ始めている。街中、とりわけ人目に付きやすい観光地や高級住宅街で未回収のままのゴミが6600トンも溜まっているというのだ。さらに鉄道や地下鉄もストップしたままのところが出てきた。これでは観光都市パリの名が廃る。わが日本はというと、ご存じのように、いつの間にか年金の支給年齢は60歳から65歳へと段階的に引き上げられた。現在は65歳だ。仮にフランスが、現在の法案を通しても、まだ「日本」には“劣っている”ということだ。う~ん、なんとなくご満悦。もっとも、この法案は日本で2002年に成立したのだが、その時われわれは“欧州の制度”をマネて取り入れたんじゃなかったっけ⁉ 私の記憶違いかもしれないが、確かそういう風な説明を誰かがしていて、欧州各国がそのように変えて来ているなら……ということで納得したような気がする。だから、やらなければならないことというのは、一気に進めた方が上手くいくこともあるのかもしれない。日本の“憲法改正”なども、そういう点から言うと一気に進めた方が、あとになって揉めなくて済むのかもしれない。特に“戦争関連”のこととかは“戦争関連で困っている”いまの方が、スムーズに通過していきそうな気がする。また“平和”に戻ってしまうと「第9条」の問題とか出て来そうで……。
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