4月, 2026年
2026-04-17
現在、東京ビックサイトでは、最新の「人型ロボット=ヒューマノイド」に特化した展示会が開催されている。25の企業が参加していて、主として中国系企業と日本の新興企業だ。見た目的には、それぞれの企業によってヒューマノイドの形が微妙に違う。まるで人種や民族によって“同じ人間でも異なる”かのような感じでの違いだ。もっとも、まだ未完成的な要素も多く、外見的に“人型”には視えないようなものもある。この種の分野では、アメリカよりも中国の方が“進化系”の速度が速いような印象を受ける。日本はどうかと言えば、アメリカにも中国にも今のところは歯が立たない。まあ日本の場合は、開発予算的なものが不足しているはずで、そういう意味でも“半歩以上”遅れている。中国では人手不足解消にヒューマノイドを量産化しだしたところもある。今回の展示会でも、昔は難しいと言われた“物の選別”“運び出し”“詰め込み”などの作業用ロボットは完成度が高いよう感じられた。最近は“サッカーをする”とか“囲碁を打つ”などの特殊な動きを伴うものでさえ出来るように進化してきた。わたしが思うに、日本の場合には医療現場での“介護用ヒューマノイド”がいちばん求められているもののよう感じられる。ただ単に“人手不足の解消”というよりも、そういう場面では、介護する側とされる側の“互いの感情”とか“互いの体力”とかが微妙に影響する。もしヒューマノイドがその役割を担うなら、少なくとも“感情”とか“体力”とかの問題は解消される。ただ問題は、いまのヒューマノイドは、まだ外観的な部分が“ロボットそのもの”で“人間的容姿”にはなっていない。実用面から言えば、それで良いのかもしれないが、心理的には外貌の部分は外すことができない。世界的にはアメリカと中国が“ヒューマノイド産業”をリードしているが、日本は技術力において、特にその“繊細さ”や“微妙さ”を把握・追求する部門において諸外国の追従を許さない。人間の外観・心理・行動などはなかなかに微妙で、そう簡単に真似できないが、日本人は“そういうものの把握”にもっとも優れた素質を持つ。そうであれば、最初から“そういう方面に特化した研究”こそ、やがては「日本のお家芸」となっていくのではないだろうか。
2026-04-16
最近は、かなり昔の医療ミスなどでも裁判で「損害賠償請求」をすれば勝訴することが多くなった。今回の裁判結果も、そういうものの一つだ。神奈川県の総合病院で2016年に行われた“子宮手術”なのだが、そこで医療ミスが生じて本人(当時47歳)が望んでいなかった“子宮と卵巣の摘出”が行われてしまった。そればかりではなく手術の際に腸や尿管なども傷つけられ、その結果、尿路感染症まで引き起こしてしまった。その当時、どうしてすぐ損害賠償請求をしなかったのか不思議なのだが、原告女性は2023年になって神奈川地裁に訴え出る形となった。その判決が出たのだが、4600万円の請求額に対し、裁判所は医療ミスを認めて病院側に1600万円の支払いを命じるという結果となった。これで最終決着となるのかどうか不明だが、女性側の訴えが認められたことは良かった。もちろん、今回の結果だけでどうこうは言えないが、少なくとも、日本においては“女性の子宮・卵巣”の医療ミスによる摘出が「1600万円」と査定されたことになる。この金額が妥当かどうかわからないが、少なくとも過去にあまり例がないだけに、一つの“判例”として、今後、重視されていくかもしれない。女性の場合、子宮や卵巣は、その病気によっては摘出対象となる。もちろん、その後は生理が止まり、妊娠・出産は不可能になる。婦人科系のがんなどの場合、むしろ摘出してしまうことで健康体となることもあり、極度の生理痛とか、生理不順とか、更年期障害とか、慢性的な子宮筋腫とかから救われることもある。それだけに、子宮摘出が即“医療ミス”には繋がらないのだが、もし医療ミスによって子宮が摘出されてしまうと、それ以降は“生理・妊娠・出産”三つの女性としての役割を失ってしまうことになる。当時47歳だった原告女性へのインタビューでは、肉体的な苦痛に伴って精神的なダメージも大きかったよう語られている。こういう場合、本人が訴訟の意図を持つ以前に、すぐ「損害賠償請求」が出来るような制度は出来ないものなのだろうか。
2026-04-15
もう十年くらいも前になるが、コンテンツ会社からの依頼で小嶋陽菜氏(元AKB48)について占ったことがある。確か、その翌年の「幸運ランキング」で上位だったようなのだが、実際のところ西洋占星術からはどうなのか、1000文字以内のコメントを求められたのだ。もう昔のことで明確には憶えていないが、ただ、この人がアパレルブランドを起ち上げた頃の時期で、その事業に関しては「間違いなく成功する。将来的には海外展開でも成功する」というふうなことを記したような記憶がある。とにかく大変に強運な感じの人生が暗示されていた。だから、その年がどうこうというよりも「この人は成功するな」と強く思ったのを記憶している。その小嶋陽菜氏が自らのブランド企業を、現在グループの親会社となってきた企業が全株式を取得して「完全子会社化する」と公表した。小嶋氏の株式としての持ち分は45%余だったようで、その取得額は18億2000万円であるという。つまり、彼女は東証に上場している躍進中のグループ親会社に対し「18億円で自らのブランドを売った」ということになる。文字通り彼女は、かつてのAKB48「神7」の中で唯一、本格的な実業家として大成功して“セレブの道”を歩み始めたと言える。他の「神7」達はどうなっているか。現在、前田敦子氏は“シングルマザーの女優”として新境地を開きつつある。大島優子氏は結婚して“二児の母”となり、女優を続けている。篠田麻里子氏は実業家男性と再婚し、自らも起業して“今後に賭けている”ように視える。板野友美氏も野球選手と結婚し、自らも起業して、いまは起業家の方に力点を置き、奮闘しているように視える。高橋みなみ氏は今春から或る大学の客員教授に就任したようで、この人は独自路線を歩み続けている。渡辺麻友氏は芸能界を卒業というか、完全引退してしまった。だれも“その後”を知らない。かつての「神7」はそれぞれの道を歩んでいるが、少なくとも、もう何もしなくても優雅に暮らせる「完全セレブの道」を歩み出したのは小嶋陽菜氏ただ一人のように視える。もっとも、あと十年経ったとき、今度はその立場や地位がどういうふうに入れ替わっているだろうか。「華やかな時代」は、そんなに長く続かないのだ。
2026-04-14
正直、書こうか書くまいか珍しく迷ったのだが、他に“適したニュース”も無かったので書くことにした。どうして書くのを迷ったのかというと、最初から、この事件は「良くない結果になるな」と感じていたし、その後の展開も何となく予測できそうだし、気持ち的に沈んでしまいそうな部分が多いので、ほんとうは避けたかったのだ。ただ「人間の運命」を扱うものとして、どうしても書いておきたい部分もあったので取り上げることにした。実は、最初の予感がしたときに、行方不明となった少年の生年月日を調べようとしたのだが、その時には公表されていなかった。ずっと公表されていないものだと思っていたら、既に公表されているという事実を今日になって知った。どの事件でも思うことだが、年齢を公表するなら、同時に生年月日も公表して良さそうな気がする。足立結希君の生立ちとか情報とかに関して、わたしはあまり詳しくない。したがって、もしかしたら、生年月日による推測でいろいろ書いてしまうかもしれないが、違っていたなら申し訳ない。先に謝っておく。さて、彼の四柱命式を観ると「甲寅」日の生れで“日徳星”に当たる。先天的に人徳があり、目上からの引立て運を持っている生れだ。ただ月支蔵干が「劫財」に当たり“事件やトラブルに巻き込まれやすい”要素を持っている。それと「比肩」も強く、多少、自己の殻にこもりやすく頑固な一面もある。ホロスコープの方では水星と天王星の“0度一体化”と、金星と海王星の“0度一体化”に特徴がある。水星と天王星の0度は“特異な発想力”を示すもので、考え方は変っているが、発想力豊かで、独自の才能や企画力を持つ。アイディア豊かな人物だ。また金星と海王星の0度は、愛情面で信じやすく、裏切られやすい。その部分がトラウマとなりやすい傾向を持っている。もう一つ、彼のホロスコープで重要なのは、一時期、世間的にも「ノストラダムスの大予言」で注目された「グランドクロス(大十字形)」という惑星配置を持っていることだ。わたし個人は“大十字”という言い方ではなく“正方形アスペクト”という言い方をすることが多いが、とにかく、その出生時において天空上に“惑星による大十字形”が描かれたような印象を与える先天運なのだ。昔は、これは“不吉な運命”であると言われ、その背中に“重い十字架を背負って生きていく”ような人生であるとされていた。実際、宗教的な関係者などにもしばしばみられる。但し、先天的に不運な部分もあるが、その不運を跳ね返して、そののちに大成功を収めた人物も多い。原因不明の大病で苦しんだのち作家として大成功した人物とか、大きな事故に遭ってのち霊能者として大成功した人物とか、事業家として破綻したのち宗教家として大成功した人物などを知っている。いずれも凡庸な人生ではないが、社会的には苦労ののちに成功している。したがって足立結希君の場合も、もしかしたら“似たような前途”が待っていたかもしれないのだ。もし、昨日見つかった遺体が彼なら、そういうふうに歩み出していく“初期の段階”で事件に遭遇し“生命が絶たれた”可能性がある。残念でならない。
2026-04-13
芸人「サバンナ」の八木真澄氏がTVで2024年にファイナンシャルプランナーの国家資格を取得していたことを明かした。彼はこの取得に関して、運命学的に注目すべき発言をしている。それは彼自身が「テレビの仕事が全部なくなって、時間が出来たので勉強に集中できた」と語ったことだ。芸人としてTVなどに出られなくなること、仕事がなくなること……は“不運な境遇”でしかない。将来的にも、不安を抱えがちな状態と言える。そういう時に一念発起して「国家資格を取得して将来に備えよう」という気持ちに、なかなか切り替えられるものではない。それも合格率が10%にも満たない難しい国家資格なのだ。それをやりきって人知れず合格し、その結果として再びTVにも戻って来ることができた。人生というのは不思議なもので、必ずしも、別な人生の扉を開けたから、そこから新たな人生が始まるとも限らない。逆に、別な扉を開いたことで、本来の場所に戻って来ることもある。では、その“新たなる扉”は無駄だったのかと言えば、そうではない。新たなる世界、新たなる扉を開いたことで、元々の“居場所”から呼び戻しが掛かる……ということもある。そのきっかけを与えたのは“一念発起した”ことにあるのだ。一念発起して、猛勉強をして、すべてが浄化されたことで、本来の居場所から“呼び戻しが掛かる”…もし、猛勉強していなかったなら、気持ちが切り替わっていなかったなら、本来の座所での“新たなる居場所”は用意されないのだ。だから無駄になったのではなく、生まれ変る上で“必要なこと”だったのだ。かといって、もし、最初から「とりあえず資格を取っておこう」という気持ちだったなら、こういう結果にはならない。そこには“おごり”と“傲慢さ”が感じられるからだ。完全に“芸人としての暮らし”を捨てきれるかどうかはともかく、少なくとも“新たなる世界”に足を踏み入れる勇気が必要なのだ。この勇気があるかないかによって、その後の人生が大きく変わっていく。多くの人は、新たなる世界を覗き込もうとはするが、踏み込もうとはしない。踏み込まなければ、過去は“浄化されないまま”残り続ける。それでは本当に“生れ変る”ことは出来ない。生きながら、生れ変っていくには、何よりも“勇気”が必要なのだ。
2026-04-12
「昭和」から「令和」の時代になって、男女とも結婚年齢が微妙に引き上げられているような印象があるが、それよりも“注目すべき事実がある”と新聞特集が伝えている。それは、ここにきて結婚していく男女の年齢が“近い人たち”が圧倒的に多くなっている……というのだ。それが何よりも“昭和の結婚”とも違いであるという。そういえば昨日、伝えられた俳優同士の結婚・新木優子氏と中島裕翔氏の組み合わせも“32歳の同年齢”であるようだ。令和に入って、そういう同年齢、違っても“1~2歳差”という組み合わせが圧倒的に多くなっているという。どうしてかと言えば、それ以上離れると「話が合わないから…」という反応が返って来るらしい。つまり、それだけ現代の恋愛は“身近なところ”でしか成立しないということだろうか。確かに、近年はちょっとした声掛けや会話などでも「セクハラ」と言われる。身近ではない異性との会話が難しくなっている。気を遣わなければ“自由に話せない”のなら、最初から「話さない方が良い」と思うのも無理からぬ話で、そういう人達が多くなれば、結果的に“気心の知れた同年齢”とくらいしか、まともな会話や遣り取りが無くなっていく。さまざまな出逢いや、さまざまな会話や、さまざまな偶然の接点の中から……相手を択んでいくという選択方法は、すでに消えてしまったのだろうか。女性が働くことが当たり前となり、男女が同等の働きを求められ、その結果として“家庭”よりも“職場”の方が優先され、男女が同等の年齢まで“結婚がお預けとなる”のも解らないではない。また近年は住宅ローンを組む場合でも、夫側だけでなく、妻側も合わせて“ローンを組む”カップルも多くなった。親の介護という問題を考えても、同年齢の方が“平等に介護が訪れる形”となって、片側だけに負担が生じる心配も少ない。子育ての問題を考えても、幼い頃の育児は“同年齢の方が平等観”から割り振りを決めやすい。さまざまな事情が、会話の問題だけではなくて、隠れているのかもしれない。しかし、それらを考慮したとしても、同年齢カップルが多くなりすぎるのは、なんとなく寂しい。妙な言い方だが“恋愛らしい恋愛”が徐々に失われていってしまっているようで寂しいのだ。われわれは2000年以上もの間、不可思議な出逢いや縁の中で“恋愛という布”を折りたたんできた。それが「幻想」でもあったかのように扱われる「令和」に戸惑いを感じる。ホンモノの恋愛は、どこに消えたのか。
2026-04-11
女性誌が女優・倍賞美津子氏を直撃して、なぜ最近になって“若き日”を過ごした渋谷に戻って来たのかなど近況を取材している。同誌によれば、渋谷というのは、彼女が1971年~1988年まで結婚していた元プロレスラー・アントニオ猪木氏と一緒になって暮らし始めた“想い出の街”であるらしい。その地に再び戻ってきたのは、没後3年を経過した元夫である「アントン(アントニオ猪木に対する倍賞氏の呼び方)」との“懐かしい日々”を懐古する意味が大きいようだ。二人は88年に離婚したのだが、その後も交流は続いていて、猪木氏が重病となって病室に人が入るのを嫌がるようになった後でも、唯一、自由に出入りできたのが倍賞氏であったようだ。猪木氏は倍賞氏と離婚後も、別な女性と再婚したりしていたのだが、また倍賞氏の方も、萩原健一氏との“熱愛関係”があったりしたのだが、奇妙なもので、両者とも、最後には“一番信頼し合う間柄”となっていたようだ。そうでなければ、猪木氏も、自分の“惨めな晩年”を見せたくはなかっただろうし、倍賞氏の方も、亡くなって3年経ったのに、自分たちが“若い日々を過ごした場所”に再び戻って来ようとはしなかったに違いない。俳優にはいろいろなタイプの人がいるが、倍賞氏は“シワを隠さない”ことで有名で、シワは“自分が辿った年輪”だとして「それを隠したら、自分の生きて来た人生を否定することになる」と何かのインタビューで答えていた。倍賞氏と猪木氏の結婚生活は17年間だが、わたしの研究では結婚して“十年以上続いている夫婦”の場合、たとえ何かがあって離婚したとしても、その問題の時期を経過すれば、再び継続していく可能性が強い。通常、完全に“一時的な縁”であれば、それを“一年以上継続させる”のは難しいもので、だからたいていは一年以内に別れるとか、或いは別居生活に入る。一年以上、何ごともなく続く場合は“三年目”が重要で、ここをクリアできれば十年間は続いていく縁となる。したがって十年以上問題なく経過して、そののち別れてしまう場合には、ふたりの個人的な問題とはぜんぜん別個な“何か”が発生して離別に至る場合が多い。少なくとも、相性や不倫などで問題が発生するのは“三年以内”で、その時点で何も起こらなければ、運命学的には本来なら“永続する可能性を持っている”相手なのだ。
2026-04-10
奇妙なことに、昨日から今日にかけてアメリカでは「半導体指数(SOX)」と呼ばれる数値が“史上最高値”を付けて上昇し続けている。異様なほどの値上がりなのだ。あまり知られていないが、この数値は大体が「ナスダック」に先行する。つまり、この数値が上がってくれば、やがてナスダックが上昇して、それが日本株など“世界の株価”をリードするようになる。もちろん株価が上昇していけば、その数値は1~2年後の経済に反映される。したがって、そういう点から言えば、この半導体指数の上昇は見逃すことは出来ない。昨日は「ダウ」や「ナスダック」が急騰していたので、その陰に隠れるような感じで、半導体指数の“史上最高値”に着目した人はほとんどいなかった。何度も言うように、この指数はナスダックやダウに先行する。したがって、この指数が最高値となった以上、やがてナスダックも“史上最高値”に迫っていくことは確実と思われる。但し、少々時間が掛る。なぜなら、連動はしているが、このところのナスダックはかなり下げていたので、元に戻るのに時間が掛りそうだからだ。そして、ここからが重要なのだが「日経平均」は、この「ナスダック」の方に連動している。ところが、今年に入って「日経平均」の指数そのものは、意外なほど落ちない。アメリカのダウやナスダックがじわじわと下がっても、日経平均の方はそんなに落ちなかった。もっとも個別の株に関して言えば、指数とは異なり激しい上下を演じているが……。前にも述べたように、アメリカが下げている間に、日経平均の方は着実に“6万円”を目指しているように見える。指数自体は“急落”などしていない。そこで重要になってくるのが「ナスダック」なのだ。もしもナスダックが、わたしの想うようSOXに導かれ、今後、数か月を掛けて“史上最高値”に迫っていくなら、それに引き摺られて当然のことながら「日経平均」も上昇する。つまりは“6万円”は意外に早く来る。そうすると日本の経済そのものは、表面上、上昇していくように視える。少なくとも“物価上昇”は間違いなく続き、それに引き摺られながら賃金も上昇はするが、その比率は低い。したがって、景気は悪いがインフレは続く……という心配していた懸念が現実のものとなっていく可能性が強い。経済的強者と弱者が徐々に表面化していき、その二極化が露わになっていく可能性が強いのだ。
2026-04-09
鳴り物入りで「中日」に入ったが、プロになって8年間“初勝利”を得られないまま来たのが根尾昂投手だった。それが昨日の試合で、やっとというべきか、遂にというべきか“初勝利”を掴んだ。よく本人も我慢したと思うし、球団も我慢したと思う。普通、高校球児からプロ球団に入門して、我慢できるのは4~5年ではないかと思う。そのくらいになると、もう素質ある選手は“一軍選手”として活躍し始めているし、早い場合にはプロ一年目から頭角を現す。根尾選手の場合、最初、球団は“打者”として育てようとしたようで、高校球児の時には文字通り「投手」としても「打者」としても、その素質を多くの球団から買われていた。ところが、いざ実際にプロとして“晴れの舞台”に立つと、彼はその実力を発揮できなくなってしまった。こういう選手はときどき居る。その素質は十分にありながら、なぜか実践の場で実力を発揮できない。そうこうしている内に、焦りが先に立ち、本来の自分を無くしていってしまうタイプだ。そういう選手は大体4~5年でプロ球団から去っていく。自分から去っていくケースもあれば、球団側から見放されるケースもある。だから、8年も掛かって“初勝利を得る”のは稀なケースとなる。それは、本人も、球団側も、その素質を“疑っていなかった”ことと、もう一つ、思うように力を発揮できない状態の中でも、本人が自暴自棄とならなかった結果なのだ。だれでも、思うように自分の実力や素質を発揮できない時というのはある。人間、或る程度は“自分の素質や実力”というものは把握しているもので、その上限を行くか下限を行くかで実社会における“世間の評価”は大きく異なって来るが、それ以前に、たいていは自分自身の中で本能的に評価しているものだ。自暴自棄になってしまうと、もはや努力というものをしなくなる。自分の素質や実力を信じ続けることが出来た人のみが、努力と改良を加え続けて「天運」を待つことが出来るのだ。そう「天運」というものは気紛れで、思わぬ時になって急遽やってきたりする。普段、努力を怠らないでいれば、そういう“気紛れの神様”にも対応できるようになる。彼がほんとうに過去から脱却して、その素質や実力を十分に発揮できるのかどうかは、今シーズンが終わるまで“気紛れな神様”にしか……わからない。
2026-04-08
わたしはいつも“脚光”を浴びた後、不運な形で“転落していった”人々を観ると「運命」というものを感じずには居られない。そういう形で、世間から“石持て追われた人物”の一人が「STAP細胞」で脚光を浴び、やがて“疑惑の発見”として理研から追放された科学者・小保方晴子氏だ。その小保方氏に関して「文春」が“その現在地”を報じている。2024年に昔から知っている知人の研究者と結婚し“主婦”として暮らしているらしい。良かった…と、わたしは思う。彼女は、世間を騙したわけではないからだ。彼女の方が、当時の担当教授から“騙されていた”に過ぎない。けれども、その担当教授は何も語らず、その年の8月に自殺した。世間的には、彼が小保方氏の“誤った公表”による批判を浴びたことで、その上司として、責任ある教授として“罪をかぶった”かのように思われている。「死人に口なし」なので、どうすることも出来ないが、彼は別に“彼女をかばって死んだ”のではない。自ら“彼女を騙した行為”に罪を感じて死を択んだのだ。つまり彼女は、彼のために、世間から批判を浴び続けた。もちろん、彼女自身も、自らの“架空理論に酔ってしまった”という弱点はあった。けれども、それを後押しし、彼女の研究に“不正の行為”を加えて“成功した”かのような錯覚を生み出させたのは、紛れもなく、この担当教授本人の行為や指示によるものだった。しかも、そのことを彼女は知らされていなかった。だから、彼女の中では“すり替えられていた結果”だという点が理解できないのだ。だから最後まで「STAP細胞はあります」と言い切っていたのだ。世間的に観れば、彼女は“科学者としてあるまじき人物”だということになる。けれども、実際には“教授の野望の犠牲となった人物”に過ぎない。それでは教授は何故そんなことをしたのか。彼は世間を欺いてでも国家予算としての“多大な研究費”が欲しかったのだ。けれども、自分主体で行った場合、万一“疑惑”が発覚したら全てを失う。それが解かっていたから、若くて美しい“夢見る研究者”を利用したのだ。マスコミが飛びついてくる女性科学者を利用したのだ。それだけのことだった。それだけのことだったが、予想以上に反響が大きく、結果的に、彼女も自分も窮地に立った。世間を黙らせるには、自分が黙ったまま消えていくしかなかったのだ。そして、いま彼女は何も知らないまま“ふつうの研究者”の妻となっている。
2026-04-07
世の中には“信じがたい事実”がいろいろとあるが、その中でも最近、私を驚かせた事実の一つは、既に「日本」では“漫画雑誌”が子供たちの手から離れつつある……という衝撃の事実だった。最近の調査・統計がそれを如実に物語っている。もはや日本の子供たちは、漫画雑誌を読まなくなっていきつつある。以前の統計では中高生などが月に10冊以上もの漫画雑誌を読んでいたのに、現在は月に“1冊程度しか読んでいない”という調査結果だ。つまり、十分の一に減っている。したがって、今後この傾向を進んで行けば、日本の子供たちが世界でいちばん先に“漫画から離れていく”可能性が強い。どうして、こういうことになったのか。もっとも大きな理由は、日本の漫画業界が徐々にそのターゲットを“子供達”から“大人達”の方へシフトしてきたからだ。その結果、日本の漫画雑誌には“大人向け”のものが多くなり、子供達が純粋に楽しめるものではなくなりつつある。確かに最近の漫画には、大昔の“少年雑誌用の漫画”とか“少女雑誌用の漫画”と言えるようなものが乏しくなった。漫画全体がリアルな方向へとシフトし、昔の“奇想天外”な内容とか“夢やロマン”に満ちた内容とかではなくなっている。したがって大人は読んでも、少年少女は徐々にそこから遠ざかっていってしまったのだ。元々大人の約2割ほどの人達は成人後も漫画雑誌を読むが、それ以上は積極的には読まない。そうすると、どちらかというとリアルな方向へシフトしたことで、大人の“漫画人口”はそこそこキープできるが、肝心の子供たちの“居場所”はそこから消えていきつつある……ということになる。だから、或る意味では子供たちが「漫画雑誌から離れ出した」というのは当然かもしれないのだ。さらに、日本の場合、デジタル漫画が“課金制主体”に変わりつつあり、子供達が楽しく読める漫画が乏しくなっている。このままいけば遠からず日本の漫画産業は危うい方向へ進んで行く可能性が強い。漫画を読まない子供たちが増えて行けば、大人になって読みだすことなど考えられないからだ。かつては人気漫画家は“巨富を得る”職業だったが、もしかすると急速に時代は変化し漫画で“飯を食っていく”のは難しい時代が、もうそこまで来ているのかもしれない。
2026-04-06
4月8日に開校する三重県桑名市の小中一貫校「市立多度学園」で、全国初の試みとして校歌の作詞・作曲をAIによって完成させるプロジェクトが行われた。そして、このほど“その校歌”が完成したようだ。既に2024年から取り組んでいたようで、その地区の小学校4校、中学校1校が参加し、その地域の人々から“歌詞として入れたいキーワード”も702集められ、最終的には40曲の原案から“最終曲”に纏められたようだ。新しく誕生する学校らしい興味深い試みだ。その歌詞だけだが公表されていて、比較的オーソドックスな感じで、まあ校歌としてはなかなかの出来栄えのようにも視える。わたしは昔ソフトの制作会社と組んで「プロ用西洋占星術ソフト」を作成したことがある。もう今から30年以上も前のことなので、もちろん当時はAIなどなかったから、そのソフト制作会社の方に言われるまま、波木流としての西洋占星術の“判断法”を次々と入れて行った。わたしは結果的に“どういう作品”に仕上がったのか、出来上がった作品を送ってもらうまで知らなかった。出来上がって、いちばんの問題点は、選択ということをせず、すべての知識・判断をそのまま詰め込んだので、鑑定結果が“出て来てしまう”という点だった。したがって、矛盾する内容があちこちに出てくる。これではとても“商品として使えない”と私は思ったが、もう発売した後のことだった。実際の占いの判断というのは、占い師がさまざまな要素の中から、重なり合う部分を抽出して“鑑定結果”として判断している場合が多い。経験的に無意識に行っている作業だが、そうしないと、どうしても性格などは“矛盾した部分”が出て来てしまう。これは、どの占いの場合でもそうである。おそらく今のAIであれば、その辺は上手く選択して処理できるのだろうが、あの当時はとても無理だった。だから作品としては“未完成のまま世に出してしまったソフト”だったが、その割にはよく売れたようだ。もっとも、わたしにお金が入ったわけではない。いまのAIであれば、おそらく選択・処理が可能なので、もっと質のいい「AI占い師」を誕生させられるのではないか、と思っている。もし、そういう点でAIの研究者とか研究団体とかで「AI占い師」を誕生させようとする方がおられたなら、ぜひ一緒に人類のため開発していきたい、というのが私の願いだ。
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