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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「寺山修司」が「香取慎吾」なのはちょっと⁉


来年2月の舞台で歌手・俳優の香取慎吾氏が舞台で故・寺山修司役を演じることが決ったらしい。ミュージカルに近いような「テラヤマ・キャバレー」というタイトルの作品だ。正直、ちょっと違うんじゃないのかな、という感想を持つ。作品自体の内容に関しては自由で構わない。ミュージカル仕立てでも、それは良いと思う。ただ、まだ多くの人たちがその人物像について記憶している中で“故人名”を出して作品化するのであれば、やはり多くの人たちの記憶の中に“その人のイメージ”というものが残っている。特に「寺山修司」という人物はなかなかに強烈なイメージを残した人物だった。その風貌もそうだったし、経歴もそうだったし、思想もそうだったし、舞台作品もそうだったし、特殊な犯罪などもそうだった。要するに、どこにでもいる平凡な人物ではなかった。それだけに記憶として鮮明なのだ。一方の香取慎吾氏の方はどうだろう。彼はどちらかと言えば「アイドルの王道」を歩んできた人物だ。どちらかと言えば“都会派”で問題など起こしそうもない常識型の人物だ。つまり、人間の持っている“翳りの部分や欲望の部分”がとぼしい。彼が俳優としてどうとかいう以前の問題として、もっと“ドロドロとした部分”を持っている俳優は居なかったのか。寺山修司氏の印象として強烈に残っているのは、他人の家の屋根裏に上って“覗き見”をしていて逮捕された事件だ。なかなか“ふつうの人”でも行わないことを彼は実践した。もちろん“性犯罪の一つ”だから逮捕されて当たり前だが、その時すでに彼は「天下の寺山修司」だった。そして、その反面で詩人の彼にはいくつもの“作詞作品”もある。わたしが特に好きなのは「ときには母のない子のように」という歌だ。「♬時には母のない子のように、黙って海を見つめていたい……時には母のない子のように、ひとりで旅に出てみたい……だけど、母のない子になったなら、だれにも愛を話せない」もしかしたら、少し違っているかもしれないが、そういう歌だ。この感性は“詩人”そのもので、あまりにも切ない。こういう歌を書いた同じ人物が、その一方では“屋根裏から覗き見”をしていた犯罪者なのだ。外貌的に言えば、ビートたけし氏が比較的“寺山修司像”に近い。そう、なによりも彼は美男であってはイメージが壊れるのだ。そういえば松尾伴内氏も寺山修司寄りだ。そういう、ちょっと毛色の変わった俳優こそが、寺山修司氏を演じるのにピッタリなのだ。
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