「single-blog.php」* 有料カテゴリ:「今日の迷信・余言・禁言」は月額1,200円で読むことが出来ます。// ざっくりとは終了 // Header画像を変更する事

今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


石川・丹羽・舟橋……文豪の眼力が予言していた


石川・丹羽・舟橋……と書いて、それを「石川達三・丹羽文雄・舟橋聖一」と当てられる人が居るなら、相当な文学通に違いない。いずれも昭和初期から中期にかけて活躍した作家たちだからだ。しかも、今日、わたしが書くのはこれらの作家たちのことではない。これらの作家たちが共通して見抜いていた“もうひとりの作家”について書く。もうひとりの作家とは、これも一時代前の官能作家である「宇能鴻一郎(うのこういちろう)」だ。おそらく、ほとんどの方は知らないと思うので簡単に履歴を書いておくと、1962年にまだ東大の大学院の学生だった時点で「鯨神(くじらがみ)」という純文学作品で「芥川賞」を受賞した作家だ。そして、その後は官能作家へと転身していった。今年の8月28日に心不全により90歳で亡くなっていたことが公表された。わたしはまだ若い頃、この作家の作品を何作も読んだ。純文学作品を読んだのではない。官能作家に転身して後の『むちむちぷりん』などの作品を好んで読んだ。その題名からも解るように、東大大学院の出であることなど微塵も感じさせない“ひらがなの多い”官能作品ばかりだ。わたしが読んだのは、女性の独白体で綴られた作品が多く、それも今だったら120%セクハラで訴えられるような状況を、女性目線からの独白体で“何の知性も感じられない”女性の独白体で綴っていく。これが何とも言えず面白いのだ。これらの作品の多くは、スポーツ新聞に連載されたもので、その後にロマンポルノ作品として映画化もされている。だが、私がここで取り上げたのは、そのことではないのだ。最初に書いた三人の作家たちの“眼力”についてだ。三人の作家たちは、実は当時「芥川賞」の選考委員をしていた。したがって宇能鴻一郎氏の「鯨神」が芥川賞を得たのも、彼らが選考委員だったからだ。そして、この三人は“受賞後の宇能鴻一郎”を見事に予見していた。つまり、石川氏は選評で「私のおせっかいめいた忠告が理解されないようならば、マスコミの攻勢にあって彼はたちまち売文業者に転落していくだろう」と記した。丹羽氏は「彼はどんな風になっていくのか、私達とはあんまり縁のないところへ飛び出していくような気がする」と記した。舟橋氏は「この人の将来は、興味深い未知数である」と記した。つまり、芥川賞を与えながらも、三人が三人とも、宇能鴻一郎の未来は「ここに無い」ということを見抜いていた。文豪たちの眼力は伊達ではないのだ。
「ex-module-past-post-list-01.php」出力:single-post用の過去記事ループ処理

過去の記事一覧今日の迷言・余言・禁言