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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「流されて生きる」のと「自らの肢で泳ぐ」違い


「♬川の流れのように…」という歌があったが、確かに人生は、川の流れのように“流れていく”ものだ。黙っていても流れていく。けれども、自らの意志を持って“流れの中で脚をばたつかせる”ことも出来る。人生の初期というか、前半というか、ほとんどの人は自らの意志で、自ら“目指しているところ”へ向かって足をばたつかせる。けれどもだんだん、人は自ら目指すところを見失い、あまり“脚をばたつかせなく”なる。ばたつかせなくても、なんとなく流れていくし「そっちで良いか…」というような気持になる。だから時々そうじゃなく、自らの意志で“脚をばたつかせている人”を視ると奇妙な気持ちになる。何となく「このままで良いのか」というふうな気持ちになるのだ。特に今3月というのは、そういう意味で、さまざまな人たちが自らの意志で“足をばたつかせている姿”を視ることが多く、自分自身でも流れの中で“流されている自分”に「このままで良いのか」とどこからか問いかけられているような気持になりやすい時期だ。さて、どうして人は人生の後半になると、自らの“ばたつかせ”を止めてしまいがちになるのだろう。その理由は簡単で、なんとなく怖いからだ。いまの状況に100%満足しているわけではないのだが、それでも“新たに踏み出す第一歩”には、勇気がいる。どうしてかというと、若い時ほどの無謀さがないからだ。自ら足をばたつかせるには“勇気”が必要なのだ。もう一つ「目的」が必要なのだ。この目的がハッキリしていればいるほど、自ら“足をばたつかせる”勇気は得られやすい。目的がハッキリしていないと、ちょっとだけ脚をばたつかせても、ちょっとの逆流でめげてしまう。ただ今3月というのは周りにいくらでも“脚をばたつかせ始めた人たち”が居る。だから、そういう中に加われば、あまり目立たず、若い人たちと紛れて、一緒になってバタバタしていても、だれも咎めない。そう3月だから“許されること”も世の中にはあるのだ。そうして一歩自らの意志で足を踏み出せば、意外にも自分に“まだまだの余力”が残っていたことに気が付く。そうして、自分と同じように“余力を振り絞っている人達”が意外にも沢山いたことに、改めて気付かされホッとしたりもする……。
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