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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


結局「進みすぎ」は「戻って来る」のかも…⁉


最近は、どこの国でも“この種の問題”が政治の中で争われている。多様な“性自認”をどう取り扱うか…という論争だ。ニュージーランドでは2013年から「同性婚」の解禁に踏み切った。ところが与党側の政党では、その結果として「一般女性の公共施設における安全性や権利などが損なわれ始めている」として、新たな法案の提出を審議中なのだ。そこには男女を「生物学的な根拠に基づいて女の成人、男の成人で区別する」と定義してある。この法案審議に対して、野党側は猛反発で「百年前に逆行していくつもりか」という議員までいるらしい。確かに、双方とも、それぞれの主張には一理あって、最近ではアメリカでも“似たような動き”がないでもない。アメリカの場合、世界でもっとも古くから現在のLGBT(各種の性愛志向)を認めてきた国だが、現トランプ大統領などは「生物学的な男女しかない」と強く主張している。ニュージーランドの場合、公共施設の“安全性”が損なわれつつある…と主張しているのが特徴で、確かに“性自認”だけで各種の公共施設を利用した場合、女性用トイレに男性が“普通の姿”で入って来たとしても拒否しようがない。各国とも“女性の保護・権利”を訴えているのは保守系の政党に多いが“男女平等”を掲げる政党にとっては、改めての“生物学的な根拠”に基づく法案というのは、時代への逆行というふうに視えるのかもしれない。ただ、わたしはニュージーランドという国が、いち早く「同性婚」の解禁に踏み切りながら、その結果として“種々な問題”が生じて、元に戻すことも含めての論議が生じたのは完全なことのような気がする。「日本」の場合、何であっても法案を通すまでには時間を掛けるが、いったん、それに舵を切ったなら、なかなか“元に戻す”ような審議をしようとはしない。そういう意味では、とにかくやってみて、それでダメなら「元に戻せばいい」というスタイルには学ぶ部分もあるような気がする。世界的な潮流として観ても“国際的な協調”が語られていた時代から、近年は“自国優先”が一般化しつつある。個人の「生き方」「暮らし方」「将来の方向」を考える場合にも、一度やってダメなら、また“元に戻せばいい”という考えも、ぜひ取り入れるべきであるような気がするからだ。その場合、中途なく戻すことが大切で、人は何度でも再出発が可能な“生き物”だからだ。
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