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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


我が手のひらを「愛でる」という奇妙な趣向⁉


わたしは“ヘンな人”なので、ときどき我が“趣向”というか“嗜好”というか、我ながら“危い”と思うことがある。例えば、自分自身の「てのひら」を愛でるというひとときがある。至福のひとときだ。まあ、早い話が「自分の掌大好き」という奇妙な人種なのだ。どうして、自分の掌が好きなのかと言えば、それは“自分のモノ”だからだ。もっと言えば“自分の生き物”だからだ。このように書くと「とうとう波木星龍もおかしくなったか」と思う方がいるかもしれないが、ちょっと待ってほしい。確かにおかしいが、その一歩手前当たりの状態だと理解してほしい。もちろん、愛でる……というくらいだから、単に“うっとり眺める”だけでなく、そっと“指先で撫でてみたり”もする。愛でる……とは、そういうことだ。勘違いしてほしくないのは、わたしの場合は「てのひら」を愛でるのであって「手」全体を愛でているのではない。あくまでも“手の甲”の部分ではなく“手指”の部分でもなく“てのひら”の部分なのだ。どうして、そういう気持ちになるのかというと「てのひら」が“生きている”ことを実感しているからだ。生きている……とはどういうことかと言えば、微妙に手相が変わり続けているからだ。数年前との違い、数か月前との違い、そして数日前との違い……その微妙な変化を、わたしだけが知っている。そこが一番の魅力なのだ。わたしには、俗にいう“推し”も居ないが、唯一“推し”に近いモノが、この「てのひら」なのだ。いや愛するペットの方に、より近いのかもしれない。なにしろ、そっと触れながら愛でることが出来る。しかも、無料なのだ。常に、その成長というか、変化というか、その微妙な違いに“いち早く気付く”のがたまらなく好い。「この線は、こんなに深くなかったのに…」とか「この線とこの線が繋がり出したよ」とか「あれ、この枝線はどうして出て来たんだ…」とか、そういう“小さな発見”がたまらなく好い。そっと撫でていると、一方で“愛し”もう一方で“愛されている”ことを実感する。まあ、そういう“フツウの人”から観れば「バカじゃないの」というようなことを真夜中に独り楽しむ……そう、人は、どういうところからだって“倖せ”を見つけ出すことが出来る……。
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