12月, 2021年

南果歩氏 自分で自分を“赤裸々に”していく⁉ 

2021-12-19
今年の春からアメリカにわたって、初めての“海外暮し”をしているのが女優の南果歩氏だ。その南氏が来年の2月4日に自伝エッセイ『乙女オバサン』を発売することが公表された。事前に公表するというのは出版社側もかなり力を入れていて“売れる”と踏んでいるからに違いない。『乙女オバサン』というタイトルが今一つ“売れる”ようなタイトルには思えないのだが、過去に「辻仁成」や「渡辺謙」という海外でも知られたスターたちと“結婚”“離婚”を経験し、また癌で苦しんだ時期もあり、自伝本として興味深い要素をたくさん抱えていることは間違いがない。既に来年の1月で58歳になる彼女だが、まだまだ“乙女のような感性”を秘めていることも、この本のタイトルに“込められている”のかもしれない。人間は誰でも、自分の恥部を人前にさらすのは恥ずかしい。彼女の場合、二度の離婚は、相手の方に“別な女性が出て来たこと”が大きいと思われる。それは彼女にとって屈辱だったに違いない。だから、普通なら“そういうこと”は書かない。けれども彼女は「まえがき」の中で“自分のすべてをさらけ出した”と書いている。かつて作家の瀬戸内寂聴氏は「物書きは、真っ裸で表通りを走り抜けるくらいの気持ちでないと、良い物は書けない」といった。南果歩氏の場合、そこまで大胆ではないかもしれないが、赤裸々な部分はあるに違いない。それ故いま現在「生きているのが嫌になった」ような人たちに、ぜひ読んでほしい、とアピールしている。確かに、芸能人の自伝エッセイは少なくないが、二度も不倫をされて離婚した側が、その辺の事実も含めて正直に書いたものはほとんどない。癌になったこと、中年を過ぎてから自発的に“海外暮らし”を始めていることも、珍しいと言えば珍しい。確かに「乙女」なのかもしれない。大体がどちらの夫も“海外暮らし”を好んだ。彼女だって海外にわたって「新鮮な乙女」として出直すことは難しいことではない。私たちは、ともすれば年齢的なことを考え「新しい世界」に一歩踏み出していくことに臆病となりがちである。ましてや彼女の場合、癌という病を持っている。それでも、前のめりに進んでいこうとするのが「乙女」なのだ。もしかすると、何もかも新鮮な異国で“新しい出逢い”が生まれて、またまた“海外でも知られたスター”と数年後には一緒に暮らし始めているかもしれない。

「結婚」と「離婚」を繰り返す“力強い生き方”

2021-12-18
格闘技好きの人なら誰もが憶えているのが「山本KID徳郁」という人物だ。若くしてチャンピオンとなり無敵の強さを誇ったが、あっという間に“帰らぬ人”となってしまった。その山本KID氏を“二番目の夫”としていたのが、モデルで会社経営も行っているMALIA氏だ。そして、その“二人の間に産まれた”のが次男の愛郁氏である。今年16歳になる。昨日、母親であるMALIA氏の方から、彼が16歳にして早くも会社を設立し社長となることを決めたという“報告”が、それを応援する形で投稿されている。それを基にした記事の中にMALIA氏の“結婚・離婚の履歴”も掲載されていた。それによると、まだ38歳のMALIA氏だが、これまでに四度も結婚と離婚を繰り返している。これだけひんぱんに“結婚”と“離婚”を繰り返す女性は珍しい。その相手はサッカー選手が2人、格闘家が1人、モデルが1人だ。しかも、こうして「16歳にして起業する息子」の名前を出して、堂々とアピールしている。なんの躊躇もない。それに現役モデルでもある彼女は、とても“四度も離婚歴のある女性”には視えない。若々しく、美しいのだ。子供たちも、1人は既にサッカー選手だし、1人は既にモデルとして活躍している。こうして家族を並べていっても、みじんの“家庭的な暗さ”も感じられない。もちろん、一つには彼女自身が会社経営をして自立し、経済的な不安がないということもあるのだろう。だが、それよりも常に“今”と向き合い、明るく「真正面から生きている」はつらつとした“燃焼する生き方”が伝わってくる。だから子供たちも、どう生きれば良いか、本能的に身に付いているのだろう。占いの相談者の中には、ことさら離婚した場合の“子供たちへの影響”について心配する方達も多い。けれども、母親さえ、未来志向ではつらつとしていれば、何回、結婚・離婚したとしても、子供たちは“自分の生きる道”を自分で発見していくものなのだ。心配しすぎたり、世話を焼いたりし過ぎると、子供の方もそれに応じて“依存症的な要素”が抜けなくなってしまう。人間も動物なので、どうすれば“生きられるか”本能的に知っている。その本能を無理に“奪い取る”ような将来への躊躇はかえってアダとなる。

時代が「芸能リポーター」を消滅させていく

2021-12-17
30年以上も“芸能リポーター”として活躍してきた井上公造氏が来年3月で“引退”することを公表した。現在TVなど9番組でレギュラーを持っているらしいが、それらすべてから身を引くようだ。一番の原因は体調の不良で“自律神経系”に問題があるという。もちろん体調の不調はほんとうだと思うが、“引退”はそればかりだろうか。私は近年、芸能リポーターの“独自取材”が難しくなってきていること、週刊誌報道の“後追い”にしかならないことが、もう一つの理由としてあるように思う。現代はSNSを活用する有名人が多くなった。取材を受ける前に、自分の方から“発信していく形”に変わりつつある。プライベートに関しては芸能リポーターが取材する前に、一般人が“写真投稿”するケースも多くなった。そして特殊な場合には“週刊誌に持ち込む”ケースも多くなった。特に“芸能人と関わった一般人”の場合、昔は“泣き寝入り”するようなケースでも、今は“映像”や“音声”を記録することが出来、有名週刊誌に持ち込むことで「証拠を突き付ける」ことが出来る。或る意味ではよほどの幸運が味方しない限り、芸能リポーターだけが単独で“誰も知らない秘密”を用意することは難しい時代になったのだ。「文春」などの週刊誌は、組織力で取材にあたる。或る意味では「探偵社」が時間をかけて特定の人物をマークしているのと同じだった。芸能リポーターが多くの芸能人と親しくなって「秘密を打ち明けられる」ような雰囲気は無くなってしまいつつあるようだ。ましてや現在はコロナ禍で芸能分野の仕事そのものが“非接触型”に変わりつつある。芸能人の“微妙な変化”を見つけ出すのは、芸能リポーターよりも“その人のファン”の方が早かったりする。プライベートなども、セキュリティーのしっかりとしたマンションなどが多くなり、個人宅に出向いても収穫は得られない。昔は秘密にしがちだった“同棲”や“結婚”も、最初から公表してしまう人達も多くなった。一方で“不倫の追いかけ報道”を行うのは比較的簡単かもしれないが、その芸能人の“将来をつぶしてしまう”可能性もある。近年は独自取材が難しいので、どうしてもTV側からの要求で“後追い取材”をしがちなリポーターも多い。或る意味では「芸能リポーター」という“職域”自体が窮地に立っているともいえる。もはや“芸能リポーターが人気”としてもてはやされた時代は終わったのだ。

太陽と木星の120度が「ポンコツ答弁」を救う

2021-12-16
「日刊ゲンダイ」の誌面で、13日から始まった衆院の予算委員会で「ワクチン接種担当大臣」として答弁に立っている堀内詔子担当相の“しどろもどろ対応”が危ういと論評している。あまりにもトンチンカンなポンコツ答弁が目立ち、野党からの“格好の攻撃材料”となっていると指摘している。このままでは「辞任第一号」となるのも時間の問題か……と書かれているのだが、必ずしも、そうはならないだろうと私は視ている。確かに“しどろもどろ対応”であることは間違いがない。ワクチン接種担当大臣として“不向きな感じ”は誰の眼からも明らかだ。けれども、だから「辞任第一号」になってしまうかと問われれば、そうとはならないのではないか、と私は彼女のホロスコープを観て思うのだ。なんといっても彼女には太陽と木星の120度アスペクトがある。このアスペクトを持っている人達は窮地に追い込まれたときに強い。目上の誰かが“救いの手”を差し伸べてくれるように出来ている。大体が今回の大臣拝命も、彼女が「適任だったから」ではなくて、たまたま「女性をもう一人くらい加えておかなければ…」という岸田総理の“配慮”によって得たポストに違いないのだ。実際、太陽と木星とが120度アスペクトを持つ人は、そういう感じの“引き立て運”から社会的な地位・名誉を与えられていくケースが多い。私は堀内詔子という政治家をよく知らないが、ホロスコープから見る限り、水星と海王星とが0度一体化していて“ファンタスティックな分野”に対して豊かな才能を持っている方で、あまり状況を瞬時に把握して適切な指示を素早く出していくようなタイプの方ではない。だから面倒な実務は元々が苦手なはずなのだ。けれども、だからといって大臣が務まらない、というものでもない。自分のためにフォローしてくれる“優秀な役人”を傍に置くことが出来れば、任務は何とか務まるのだ。かえって自分の能力を信じすぎ、役人との関係がぎくしゃくする形で上手く関係性を築けない方が政治家は孤立する。そういう意味で彼女の場合、今年は必ずしも“窮地に立ちやすい”運を持ってはいるが、来年になれば“救いの神”がやって来てくれるので、とりあえずは“ぎりぎりセーフ”で対応していけば、何とかなっていくのではないだろうか。かように“運命の神様”は気まぐれな感じに、その人の人生を操っていく。

韓国は15万人、日本は6000人が「改名申請」

2021-12-15
昨年の数字らしいのだが、韓国では15万人、日本でも6000人が「改名申請」を行っているらしい。そして、日本の場合には、そのうち4000人ほどが「改名」を法律的にも認められたらしい。そんなに“改名”を望む人がいることに、まずは驚きである。日本の数字でも驚きだが、韓国はちょっと多すぎやしないか。改名を希望する理由として、年々増えてきているのが“ふざけた名前”だから変えたいとか、“下ネタ的な名前”だから変えたいとか、そういうのが多いらしい。日本の場合には“読めない名前”や“間違われやすい名前”を嫌う場合が多い。そしてデータ上はそれほど多くないが、日本で多いのは“姓名学的に良くない名前”というのがある。もっとも、それだけの理由で“改名”を希望しても、法律上は却下されてしまうケースが多い。多分、それもあるのでデータ上は多くないのだ。一時期「キラキラネーム」が流行って、その時に生まれた子供たちの中には、自分の名前を嫌って“改名”を希望する人たちもいる。名前というのは“一生もの”なので、一時的な流行に便乗すると後悔することも多い。時代は変化していくからだ。例えば「田中」という姓は比較的多い。昭和30年代から40年代にかけて「田中角栄」という名は“飛ぶ鳥を落とすような勢い”があった。だから男の児が産まれた場合「角栄」と名付けた親も少なくはなかったのだ。けれども、やがて首相となった田中角栄氏はリクルート事件で「罪」に問われることになる。犯罪人となり、出所後も脳溢血で“惨めな晩年”を迎えた。そうすると「角栄」と名付けられた児は、その十年後や二十年後に“どのように呼ばれ過ごしたか”……考えるだけでも“暗い気持ち”になる。自分の本名が“嫌いな”場合や“変えたい”場合、もちろん「改名申請」も一つの手段だが、もし本名を変えるのが難しければ“通用名”を変えれば良い。特に現在はSNSなどでも“通用名”は誰もが使用している。自分好みの「名前」を使えば良いのだ。職業によっては、最初から“もう一つの名”である方が何かと都合が良い場合もある。私などでもそうだが「波木星龍」は本名ではない。けれども、もう何十年も使用していると、こっちの方が本名よりもはるかに人に知られているし、自分自身でも名乗る機会が多いので、自然と“自分の姓名”としての違和感がなくなっていく。言ってみれば“自分の血肉”と化していくのだ。当然、こちらの名の方の影響力が強まる。“世間に通用している名前”は改名申請した場合、法律的にも認められるケースが多い。ときどき自分の名前を嫌って、“親を恨んでいる”ような人が居る。そういう人は、親を怨む時間があったら、さっさと自分で“自分好みの名前”を考え、使用し始めてしまうことだ。

坂上忍はどこまで「ムツゴロウ」を目指せるか

2021-12-14
タレントの坂上忍氏が正式にフジの「バイキング」MCを降板することを発表した。彼自身が降板するだけでなく、番組自体が“お昼のゆるい番組”へと切り替えられるらしい。その理由について坂上氏は55(歳)を区切りとして、自分の“夢”である「動物に関する仕事」に切り替えたい旨を告げている。もちろんタレント業も継続はするようだが、それはあくまで「ほそぼそと…」というのが彼の考えらしい。近年「バイキング」に対しても、坂上氏本人に対しても、さまざまな批判や問題が指摘されていた。特に、坂上氏とスタッフとの間がスムーズにいっていないとの報道も目立った。実際にどうだったのかは微妙なところだが、世間的に坂上氏の“率直な物言い”が時として「傲慢」とか「パワハラ的」に視えることもあったようで、ただ単に「切り替えたい」だけで動いたのかは疑問の部分もある。私は彼が最近になってムツゴロウこと畑正憲氏と出逢って話を訊いたことが大きいのではないかという気がする。テレビで「動物に関する仕事」と言えば、畑正憲氏を抜きに語ることは出来ない。ライオンに嚙まれても平然と仕事をつづけた人物だ。実は“動物”以外でも、坂上氏と畑氏とは共通の部分がある。共にギャンブラーだという点だ。動物に関しても人並み外れた能力を持っているが、麻雀に関しても人並み外れた強さを持っているのが畑氏なのだ。おそらく坂上氏は、いろいろな面で「畑氏にはかなわない」と思ったことだろう。日頃、そういう思いをしたことがない坂上氏は、自分の進むべき道は「ムツゴロウ」のように感じたのではないか。いまのムツゴロウ氏は“すべて”を失い、借金だけ背負って生きている老人なのに、世界中の人たちから愛され続けている。自分も「動物大好き」で「動物にお金を注いでいる」のに、どうして自分はバッシングばかりされるのか、TVでは本音でものを言い続けてはいけないのか。おそらく坂上氏の中で近年“葛藤”があったに違いないのだ。ただ私は坂上氏のホロスコープなどから、彼が稀に見る“強運児”であることを知っている。だから、彼ならば「ムツゴロウ」の後を追っても“良し”とすべきなのかもしれない。もしかしたら、数十年後に、いまの畑氏と同じように“大きな借金”を背負っているかもしれないが、今よりも明るく輝かしい目で過去を懐かしんでいるかもしれない。

“男”がダメなら「CM女王」か「不動産王」か

2021-12-13
人は人生の中で“さまざまな体験”を経ていくうち自分なりの「人生観」というものを築き上げる。「人生観」というほどのものではなくても「自分なりの生き方のコツ」とでもいうようなものだ。別に意識して身に着けるのではなく、なんとなく、いつの間にか“身に付いている”というのが本当のところだろう。さて世間に比較的知られた“ふたりの女子アナウンサー”がいる。今や二人ともタレント的な活動も多くなった田中みな実氏と弘中綾香氏だ。或る報道によれば、二人とも今や“女子アナ界”においては別格の“財産家”に近づきつつあるという。私はこの二人が、その生年月日から“似たような運命的要素”を持っているのを知っている。2年前に写真集を出して以降、田中みな実氏は“若い女性たちの憧れ”に変わった。どちらかというとそれまでは“ぶりっ子キャラ”で同性から“嫌われる”イメージの方が強かったのだが、文字通り「裸で出直した」潔さが受けて、むしろ女性たちからカリスマ的に慕われるようになった。世間の評価などというものは大体が“そんなもの”である。だから弘中綾香氏にしてもそうだが、同性が嫌う要素を持っている女性というのは、必ず、普通の女性では“簡単に手に入れられない魅力”を秘めている。だから嫌うのだ。だから自分に自信をもって良い。弘中氏の方は“毒舌キャラ”などと言われているが、率直にモノを言うだけで“毒舌”というほどのものではない。二人とも外見上の“可愛らしさ”や“大人しそうな雰囲気”と、実際の発言や対応が違うので、世間が“勝手に勘違いした”だけの話なので、そういうことは世の中に多い。さて、田中氏の方はその“外見”も“性格”も“生き方”も、今や“若い女性たちの憧れ”に変わったことで下着メーカーとか化粧品メーカーとか美容メーカーとかCM依頼が殺到しているらしい。その結果、モデルとか人気女優よりもCM価格が高騰中だという。ひょっとすると「CM女王」に輝くのではないかと噂されている。そうなれば、もはやタレント業や女優業など頑張らなくても悠々自適の暮らしが出来る。いつの間にか、彼女の弱点であった“恋愛・結婚”はどうでも良くなりつつあるようだ。一方の弘中氏は都内に購入した“投資用マンション”がズバリ当たって、急速に価格高騰中で味を占め、今後は不動産を積極的に買い増していこうとしているらしい。不動産投資というのは運命的に“合う人”“合わない人”があり、素質的に向いている人は、必ず最初から良いタイミングで購入しているのが特徴だ。実は、二人とも“似たような運命的要素”を持っていて、若いうちは仕事に意識を集中した方が良いタイプなのだ。それに「運」を持っているので、投資的なお金の使い方は幸運を招きやすい。やがて女子アナではなく「CM女王」や「不動産王」として脚光を浴びていくかもしれない。

竜巻の「非常事態宣言」が出て、どう逃げる⁉

2021-12-12
日本でも近年になってときどき「竜巻被害」の報道が出る。ただ日本の竜巻は“小規模”なものが多く、地域限定型とでも言えるような感じで「あっ」という間に通り過ぎる。アメリカ中部にやって来る「竜巻」は“本格派”とでも言おうか、その地帯一帯を根こそぎ破壊していく大規模なものであるのが特徴だ。日本だと、大型台風が幅広い地域に“猛烈な風雨”をもたらすのにやや近い。そういう「竜巻」が10日夜から11日午前にかけての長時間、ケンタッキー州、アーカンソー州、テネシー州、イリノイ州、ミズーリ州、ミシシッピ州の6州を襲った。それぞれの地域に別々の竜巻が、合わせて30以上も発生したというのだ。ケンタッキー州では「非常事態宣言」も出たが、さて、どこに逃げるかについては、日本と違って指示がない。各自で考えて「適切に行動せよ」というのが行政の在り方なのだ。だが、これはどう考えても無責任な話で、竜巻というのは台風などと違って発生場所も進行経路もなかなか予測できない。しかも短時間で一気に迫ってくる。こういう時に「核シェルター」が役立ちそうだと思うのだが、実は日頃からある程度、手入れや点検をしていないと、すぐには“使えない”場合が多いのだという。何しろ作ったのが、もう30年以上前である場合も多く、普段、点検などしていないから、扉の開け方さえとっさには解からなかったりする。ということで、結局、多数の犠牲者が出てしまった。いつも思うことだが、アメリカという国は、ほんとうに“自然災害”に弱い。実は「非常事態宣言」もアメリカ政府に対しての“支援要請”で、州の行政としての避難指示などとは微妙に異なるらしい。日本は「地震国」で比較的“台風災害”などにも遭いやすいから、そういう意味では「竜巻」に効果があるかどうかわからないが、少なくとも“公的な避難場所”はそれなりに用意されている。考えてみれば「竜巻」のような予測の難しい災害には、それこそ「地下シェルター」のような場所しか安堵できる場所はないような気がする。地球環境が激変し始めた場合、何十億も何百億もかけて宇宙に旅立つより、我が地球の中で“生存可能な環境”を整えていくことの方が急務なよう私には思われる。

古典的「格局」推命は“なぜ”信用できないか

2021-12-11
私は職業柄、人の“履歴”というものに注目する。特に“珍しい履歴”を持っている人には探求心がわく。昨日、なんとなくネット上を記事を読んでいたら「杉原杏璃」という元グラドルの記事が眼に入った。現在は株式投資や不動産投資で“億り人”となり、会社経営でも力を発揮している“やりて女性”だ。地元に親などのため2軒も家を建てたという。元グラドルで「投資で成功」などというと、誰かしら“強力なスポンサー”でもいたのではないかと思いがちである。けれども彼女の場合には、話の内容から、多分その大方は本人の“投資能力”によって得られた財産であると思われる。それに彼女の場合、四柱推命式でも、ホロスコープでも“幸運の資質”が示されている。四柱推命式では生年月日の「日支・月支・年支」が「寅・午・戌」と並んでいて“火の三合会局”が成立している。十干の方は「日干・月干・年干」が「丙・丙・壬」と並び、“火・火・水”という五行配置だ。古典的な推命学なら「壬が加わっていて“炎上格”ならず」の命式となる。つまり“炎上格”という貴格と観たいところだが「壬」が加わり、壊しているので“破格”となり「苦労の多い人生」というのが古典的な推命学の判断法だ。けれども、私は過去の多数の実例から“破格的な干支構成”の方が実際には社会的に成功し、むしろ“完全成立の干支命式”の方が苦労しているケースをたくさん知っている。理論的に言えば“破格”かもしれないが、その方が成功率が高いのだ。彼女の場合も、むしろ「壬」が加わったことで、社会的な度胸や冷静さが培われたのだ。彼女の履歴を読むと、自叙伝的な小説を書き、それを自分自身が主演する形で“映画化”されている。こういう場合、普通は誰かが演ずるものだが、自分で自分を演じている。こういう形で“自伝映画”を完成させたのは彼女くらいのものではないだろうか。ホロスコープでも彼女の場合、太陽ー土星・冥王星ー月とが120度ー120度ー120度で結ばれていて天空上で“正三角形”を形作っている。こういう人には“予期せぬ幸運”が訪れやすい。初婚は長続きしなかったが、もしかすると来年の春には出逢って間もない“電撃的再婚”を果たす可能性もありそうな…。

聖母の塔頂上に「5.5トンの巨大な星」が輝く

2021-12-10
スペインの観光名所として「サグラダファミリア」と言えば誰もが知っている。アントニ・ガウディの傑作だが“未完成の建造物”でもある。本来であればガウディの没後100年に当たる2026年に完成の予定だったが不可能となった。一番の理由はコロナによって観光収益が激減して、建築費用がまかなえなくなったからだ。その代わりというわけでもないだろうが、9つ目の塔である「聖母マリアの塔(138m)」が完成し、その塔の頂上に設置された“5.5トンの巨大な星”が点灯された。その日、12月8日は“聖母の祝日”とされていて、だからこそ鋼鉄とガラスによって造られた“巨大な星”が明るく輝き出すことは、聖母から人類への“救いの放光”のようにも視える。この建築には日本人建築家も加わっているが、さまざまな国の人たちがガウディ建築を手伝っていることが考えてみると奇妙である。既に本人ははるか昔に没しているのだ。しかも、精密な設計図が遺されているわけでもない。それでも徐々に完成に向かって行くのは、やはり“神々の守護”があってのことなのだろうか。ガウディ建築の中には、現在でも“賃貸マンション”として貸し出されているところがあり、人気物件となっている。彼の建造物の特徴は“自然界のような曲線美”にあるので、通常の建物や部屋のように四角になっていない。“日常的に暮らす”という観点から言って、暮らし難くはないのだろうか。まあ洞窟ホテル等と同じような作りだと思えば問題はないのかもしれない。考えてみれば『旧約聖書』も『新約聖書』も何人もの人たちが語り繋いで編集された“共同作品”だった。私はたまに“占いの書物”を、自分だけの著作物ではなく、何人もの研究者や継承者たちが引き継ぎながら“完成させていく本”に出来ないか、と考える。実は中国の古典的な“占いの原書”は、そのほとんどが“撰書”であり“編著”である。つまり、自身が著述した本ではなく、自身が“択んだ諸説を集めた本”、或いは自身が“注記しながら編纂した本”というのが実情だ。だから矛盾した内容が平気で出て来る。現代人はどうしても“単独の著者”と思いがちなので、その矛盾に突き当たると「奥が深い」などと勘違いするのだが、別に不思議でもなんでもなく、ただ単に“違った人”が“違った捉え方”をしていて、それを一緒くたにして並べているだけだ。だから古典原書をことさら“ありがたがる人”は正直“解かったフリ”をしている輩が多いので気を付けてほしい。

「カワイイお人形に…」という素晴らしい表現

2021-12-09
プロレスラー“帝王”高山善廣氏が試合中のアクシデントで“頸髄完全損傷”に陥ったのは2017年5月のことだった。あれから、もう4年半以上が経過している。首から下が完全にマヒした状態で動かなかったのを、必死のリハビリで最近では車椅子で移動したりすることも出来るようになっている。そんな高山氏のリハビリ生活を支えているのは妻の奈津子氏である。ファンのため、彼の代わりに入院直後からずっと、現在のリハビリ状況など正直にブログで綴っている。その彼女のブログで、昨日、受験を控えて反抗期に入っている息子の悩みがつづられ、それに継ぎ足すかのような形で「高山はこんなにカワイイお人形になってしまいました」と高山氏自身のフィギュアを持たせた彼の画像をアップしている。つまり、息子は反抗期でいうことを聴かないが、夫の方は思うように動けず、ちゃんと言われた通り動こうとする“カワイイお人形”のようだと伝えているのだ。そこには、或る種のユーモアと限りない愛情があふれている。けっして“絶望に打ちひしがれた言葉”ではないのだ。リハビリによる回復と言っても、その限界は何となく予感している。それでも、身動き一つできなかったころに比べれば、ほんの少しづつ日常を取り戻しつつある。ファンの方達にはそういう現状を正直に伝えておきたい。その一方で、お人形のようになった夫のことは、これからも自分が守り続けていかなければ…という気持ちも痛いほど伝わってくる。なんと、素晴らしい決意表明だろう。私の妻は病気療養中である。もう何年にもなる。私は昔、妻の手相を観て、その生命線の途中にある“小さな破れ”が気になった。一瞬「何かの病気をするのかな」と思ったが、その当時は特別、どこが悪いということもなかったので「体質的に無理できない、という程度なのかもしれないな」と楽観的に考えた。それから十年近くも経ってから、生命線の“破れ”は現実のものとなった。ただ生命線には「こうすれば“破れ”は消える」という処方箋がない。こと自分自身や家族のこととなると“受け入れたくない運命”には目隠しをしがちである。人間の本当の強さと器の大きさは、予期せぬ“不運”や“凶事”に遭遇した時、それを真正面から受け止めながら、そのことも含めて逃げ出すことなく、ごく自然なこととして“穏やかな優しさ”を保てるかどうかにかかっている。

“スマホ不使用”「食事代半額」の大いなる罪⁉

2021-12-08
現代人の場合「スマホ依存症」というのは“他人事”ではないらしい。常に身近に置いておいて、何かといえば“覗き込む”ことを習慣にしている人は多い。だから、そういう人達はスマホを手放して、ゆったりとした時を過ごすことは、とても大切な時間となる。そこでイギリスのドーセット州にあるパブレストランでは“ノーフォン・ゾーン”キャンペーンなるものを開始した。その店に家族や恋人・友人と入る時、一時的に店側が用意している“小さな檻”の中に、自分のスマホを入れて鍵をかけ、その鍵を店に預かってもらい、帰りの時に“檻”から出してもらうのだ。そうすることで、その日の食事代が半額となる。そういうキャンペーンを11月22日から12月30日まで開催しているのだ。何しろ、自分のスマホを“小さな檻の中”に入れておくだけで食事代が半額になる。「素晴らしい企画だ」ということで評判となっている。店主によれば、そうすることで“スマホ時間”から解放されて、ゆっくりとした時間を愉しみ、家族や恋人・友人との距離を縮めてもらいたい、という願いを込めている。何しろイギリスでは71%の人が“スマホ依存の傾向”を持っているらしい。日本はどうなのだろう。似たようなものなのだろうか。ちなみに、私自身は「スマホ」というものを持っていない。別に持っていなくても暮らしていける。こういう風に言うと、ときどき大いに驚かれる。現代はスマホがなければ生きていけないかのような“社会構造”になりつつある。その一方で、スマホから“拘束されてでもいる”かのように、四六時中、覗き込みながら暮らしている人も多い。つまり、ほんとうは煩わしく感じながらも、それがなければ“生きていけない”かのような錯覚に陥っている。別に、私のように、無くても死にはしない。ただ今後ますます、持たなければ“不自由な時代”になっていくことは間違いがない。例えば、このキャンペーンにしても、私のように最初から“持っていない人”というものは頭から眼中にない。だから私の場合には“半額”にはならないだろう。このキャンペーンに限らないが、世の中にはそういう“時代錯誤の人”もいるということを忘れてはならない。 « Older Entries Newer Entries »