2月, 2022年

「刑務所マニア」の“グラドル”って、大丈夫⁉

2022-02-28
世の中にはさまざまな“マニア”の人達がいる。最近の芸能人には、実際にはそんなに興味はないのに、なんとなく印象的で記憶に残りやすい“マニア”を自ら演出しているようなアイドルさえいる。この人の場合はどうなのだろう。「刑務所マニア」を自称するグラビアアイドル緑川ちひろ氏の場合だ。ところが、実際に15人の受刑者たちと“文通している”というから、そういう意味では「立派なマニアだ」ということになる。もっとも、職業が職業だけに、あとになって“ストーカー被害”になど遭わないか、ちょっと心配ではある。気になったので四柱命式やホロスコープを作ったが、確かに心配な部分があった。命式では月干のみ「劫財」表出するタイプで、私が以前から「事件トラブルに巻込まれやすい干支配合の典型」と言い続けている命式だった。もっとも、このタイプの人はサービス精神が旺盛なので、グラドルという仕事は大変に向いている。昨日発売したDVD「蜜愛」という作品も“年下男性を誘惑する内容”だそうだ。そういったサービス精神が、刑務所巡りを好む理由なのだろうか。ホロスコープを観ると、太陽の180度向かいにドラゴンヘッドが位置している。このような人は秘教学的な観点からの説によれば、過去世において犯した罪を現世において「償わなければならない」生れだということになっている。こういう仮説は証明のしようがないもので、真剣に受け止めすぎるのは危険だが、もしかすると本能的にそれを体現しているのかもしれない。ただ水星は土星と120度の位置関係にあって、こういう人は慎重で思慮深いが、あまりにも物事を深く考えすぎる傾向もある。そのため仕事が順調な時は良いが、仕事がスランプに陥ると“うつ状態”に引き込まれやすい。芸能人で“刑務所慰問”を定期的に行っている人の中には、十分なる「徳」を積んで、経済的に幸運な人生を歩める人もいる。そうかと思うと、いつの間にか道を誤り、自分自身も刑務所に入っていってしまうような犯罪に加担してしまう人もいる。彼女が「徳」を積む人生となるよう秘かに祈ってあげよう。

昔を知る女優から「別人でございます」と紹介

2022-02-27
「生まれ変わる」という言葉がある。これは「死後に…」という意味合いで使われる場合もあるし、「今後は…」という意味合いで使われる場合もあるし、「既に…」という意味合いで使われる場合もある。無念の死を遂げたようなときにも、何かで罪を犯したようなときにも、過去からの変貌を語るようなときにも……使われる。さまざまな意味合いを含んでいるが、死後はよく解からないから、過去からの変貌に驚くような形で発せられるのが、いちばん真実味があって好い。そういう形で、厚労省が企画したイベントにおいて26日、女優の東ちづる氏から元俳優の高知東生氏に向けて「別人でございます」と発せられた。共演などで、昔の高知氏を知っているとし「(あの頃と比べて)別人でございます」と、感心したような表情で繰り返した。厚労省の「依存症の正しい理解を深めるライブ」というトークイベントで、他には落語家の桂雀々氏なども参加していたようだ。高知氏と言えば、2016年に覚せい剤所持で逮捕され、有罪となって世間を騒がせた。その後に更生したということで、こういうイベントにも呼ばれるようになったようだ。本人も、昔とは違う自分を「見ていただける」ことに意義を感じているという。つまり、客観的にも、本人的にも「生まれ変わった」状態でイベントに出席しているようだ。もちろん、本人自身も言うように「あの時の自分も、いまの自分も、ぼくであることに変わりはない」と客観視できるのが“生まれ変わった”人物の特徴だ。こういう時に“昔の自分”を否定したがるのは、まだ“完全に生れ変っている”とは言えない人達なのだ。彼自身は、どう思っているか知らないが、彼が“生まれ変わった”のは、表面上、彼と離婚した“元妻の力”があったせいではないか、と私は思う。仕事上、支障が及ぶので「離婚」という形をとったが、決して恨んだり憎んだりしての離婚劇ではなかった。もしかしたら現在でも、さりげないサポートを続けて居るのではないだろうか。「信頼」は“生まれ変わり”の翼となるからだ。覚醒剤だけでなく、依存症というのは、それが過度になれば生活に支障を招くが、軽い依存症ならむしろ“生きる糧”になることもある。例えばアルコール依存症などの場合、一杯程度の酒なら“酒は百薬の長”として作用する。買い物依存症だって、極端でなければ、ストレスの発散作用はある。生まれ変わるのも大切だが、どうすればうまく共存できるかも、世慣れていくための知恵なのだ。

双方が「中立化合意」でギリギリ戦争は回避⁉

2022-02-26
誰も「得をしない戦争」は、ホンネにおいて“避けたい”のが共通の真意だ。今回のロシアによるウクライナ侵攻は、最終的に「戦争」が目的ではなく「NATO(北大西洋条約機構)」に加盟させないことが目的なのだ。本格的な戦争になれば、確実に双方が傷つく。ロシアにとっても、経済的打撃が大きいのだ。だから、両首脳とも、ほんとうは戦争などしたくない。ただ欧米人というのは“ギリギリの腹の探り合い”が好きな民族で、その点で日本人などとは大きく異なる。こういう根本的な性質の違いは、だから「日本」が“外交的な駆け引き”において勝つのが難しい一番の要因となっている。25日にウクライナのゼレンスキー大統領が「中立化で協議の用意がある」とロシアに呼びかけ、それに対してロシアのプーチン大統領が「我々の代表団を派遣する用意がある」と応じた。さらに、その場所として指定されたのはベラルーシの首都ミンスクだが、その国のルカシェンコ大統領が、その仲介役に同意した。この三つが一挙に同意したのだから、とりあえずは「合意」が交わされる可能性は大きい。つまりは始まりかけた戦争はからくも回避されるというシナリオとなる⁉ こういう外交的な“駆け引き”を欧米人は好んで用いる。日本人からすると、そう思っているなら、最初から「合意の話し合いをすれば良いじゃないか」と首を傾げてしまうが、そうならないのが欧米式なのだ。ギリギリまで交渉して、ダメなら「その序章」としての“第一楽章”を弾き聴かせ、その中で「まだ、やるのか…」と問い掛ける。日本人の場合は、もう銃口の引き金に指をかけたなら「撃つしかない」という意識に立っているが、彼らは、そういう状態の中で「数を数えるから、答えを用意しろ」と待っている。そういう風な“ややこしい”というか“面倒くさい”手続きを踏みながら、双方のギリギリの妥協点を見出していこうとする。もちろん、双方に既に死者が出ている。だから実際には「戦争を回避した」とは言えないわけだが、彼らの感覚では「ギリギリのところで合意を得た」という解釈になる。この「外交的な交渉感覚」は日本民族にはなかなか難しいもので、だから「日本」は欧米との交渉事で優位に立つのは出来ないのだ。

「ブルーリボン賞」3回でもアルバイトの日本

2022-02-25
長年「占い」をやっていると“名誉運”と“人気運”と“金運”とは、それぞれ“別物”であって、繋がってはいない、ということをときどき強く感じさせられる。今回のインタビュー記事を読んでいて、日本の映画監督の世界というのは、そんなに厳しいのか、ということを改めて感じた。今回「第64回ブルーリボン賞・監督賞」を、西川美和監督が「すばらしき世界」で授賞した。これまでにも第49回の時には「ゆれる」で授賞し、第52回の時には「ディア・ドクター」で授賞している。それ以外にも海外も含めて数々の受賞歴がある。つまり、実力的には誰もが認める日本を代表する映画監督だと言っていい。ところが日本の映画産業は今や完全な“斜陽の世界”で、一部の人気監督や人気俳優の作品を除いて、制作側に大きな収入をもたらすものではなくなっている。この監督賞にしたって、副賞は万年筆一本で、それ以外は出ない。ハリウッドのような桁違いの収入は望まなくても、もう少し経済的恩恵が得られるようにはできないものか。いまだ「映画では食べていけないです」と三度も監督賞を受賞した人物に言わせるべきではない。同じ“才能の分野”でも、十代半ばから多数のスポンサーを得て何千万とか何億円とかの収益を得ているアスリートやTVタレントやYouTuberなどもいる。 それに日本の映画産業だって、70年代~80年代には巨富を得ていた華やかな時代もあった。よく「日本」が、もう一度“バブルの世界”を追い求めようとすることに批判的な人たちがいるが、少なくとも今の日本は“精神世界”に“物質世界”が追い付いていない。あまりにも“心を育む世界”にまで行き渡るお金が乏しすぎる。もう少し、社会全体に“ゆとり”が生まれないと、こういう“純芸術”や“純芸能”や“純学術”を志す人達に対して、お金の心配をしないで“仕事に打ち込む形”を作ってあげられないような気がする。もちろん何度も言うように“名誉運”と“金運”とは異なるので、必ずしも日本に再びバブル経済が来たからと言って、“名誉運”の強い人がそのまま“金運”を強められるとは限らないが、少なくともアルバイトなのしなくても仕事に打ち込める環境くらいは作ってあげられるのではないだろうか。

「日本の未来」を担う「マザーズ株」瀕死状態

2022-02-24
今年に入って世界の「経済」に赤信号が点滅し続けて居る。最初は“コロナ変種の急拡大”だったが、現在は“ウクライナ問題”だ。ひょっとして「世界戦争」にまで発展しかねない微妙な情勢に変化しつつある。こんなことは書きたくないが、どうも岸田総理が12月半ばに「首相公邸」に“お引越し”してから、ろくなことがない。あの時、私は過去の事例から「大丈夫か⁉」とここで書いたが、それは半分ジョークでもあった。だが、今やそれはジョークどころか現実になりつつある。最も怖いのは「日本経済」で、アメリカの株価急落に引き摺られて、当然のように「日本株」も“底なし沼”のように落ち続けて居る。アメリカの場合には、これまでの株価が少し“高すぎた”ので「急落した」と言っても、まだまだ許容の範囲内にある。ところが、日本の場合には話が違う。アメリののように急騰し続けては居なかったのだ。したがって、もともと高かった株価が落ちていくのは仕方がないが、元々“出遅れ”と言われ続けていた「日本株」が、一緒に堕ちる……アメリカ以上に堕ちる……何しろ日本株は「世界の景気敏感株」と言われ、日本企業の収益状況に関係なく、世界経済が“不安”になると急落するように出来ている。そうすると、その半年後から一年後、時としては一年半後くらいの後になって“日本経済”を直撃するようになっている。つまり、株価というのは一年くらい“先行する経済状況”だと思えば良い。だから「日本株」が急落しているということは、来年は「お浅き真っ暗ですよ」と告げられていることと同じなのだ。文字通り「占い」のような役割をするのが「株価曲線」なのだ。ところで、同じ「日本株」の中でも、もっとも激しく急落しているのが「マザーズ株」と言われる市場だ。ここには、日本の大企業というよりも「未来の大企業」が上場されている。したがって日本における“新興企業株の集まり”と言って良い。その「マザーズ株」が急落しているのだ。“底なし沼”のように急落している。2020年の11月頃には「1350」付近にあった値が、現在では「680」付近になる。文字通り「半値近く」まで落ち込んでいる。通常、こういう風に指数として半値くらいまで落ちると、その主要な株の場合は“三分の一くらい”まで落ちるのが普通で、もっと大きく落ちることも珍しくはない。私が心配するのは、この市場が日本の“未来を担う”新興企業が集まっている、という部分なのだ。したがって、ここが激しく急落しているということは「日本の未来はない」と世界の投資家たちから「見捨てられつつある」ことを暗示するもので、本来は“大きな政治テーマ”となるべき問題なのだ。ところが、日本はそういう“将来的なこと”はほとんど政治的なテーマとして取り上げられることはない。まあ、私などは何十年も生きていないから“関係ない”のだが、若い人たちの未来は、そういう意味で“瀕死状態”にある……

夫を140か所“刺す”すさまじい「怨念」って…

2022-02-23
昔から刑事事件では“刺し傷”が多数ある場合には、その動機は「怨念・怨恨」と相場が決まっている。つまり、その相手への憎しみや恨みが強いほど、人は本能的に何回も“刺す”のだ。執拗に“切る”のだ。だから、普通は長年にわたって、加害者の方が相手から“暴行”を受けたり、“イジメ”を受けたり、“蔑み”を受けたり、“屈辱”を受けたりしている。その怨念・怨恨が爆発した時、人は本能的に相手を刺す。徹底的に刺す。それまでの“恨みを晴らす”ように徹底的に刺し殺すのだ。その事件は2月11日にアメリカのフロリダ州パームビーチで起こった。仕事から帰宅した息子が自宅の台所で血塗れになっている義父を発見したのだ。すぐ警察が駆け付けたが、自宅には被害者以外にも母親が居た。母親が義父を殺したのだった。自宅内は“血の海”で信じられないほどの“刺し傷”があった。そして複数のナイフや包丁がそのままになっていた。容疑者ジョーン・バークは61歳だが、2月20日にも追訴されたが、同時に“精神鑑定”も受けている。被害者であるメルビン・ウェラー氏にはもともと身体的に障害があり、妻から襲われても、あまり抵抗できなかったようである。現在まで動機や犯行の詳細については語られていない。ただ最初にも述べたように、通常、このような“メッタ刺し”による殺人は「怨恨・怨念」と決まっているので、その線から捜査しているものと思われる。それにしても、普通は十数カ所が限度だ。140ヵ所というのは、あまりにも多い。したがって警察の方で“精神鑑定”を受けさせるというのも、わからないではない。もしも、そういう方面からであるとすれば“悪霊的なもの”からの示唆とか、“悪魔祓い的”な儀式からとか、“狂気的な不安”からとか、そういった類になるだろう。もし精神性に問題がないとすれば、いちばんの可能性は“浮気問題”ということだろう。或いは“浮気”ではなく“本気”で、それを知ってしまったことでの逆上というのが一般的な推理だ。ただ、それだけだと140ヵ所は、どう考えても多すぎる。なぜなら体力的にも30カ所も刺せば疲れて来るし、もはや相手の抵抗は消え、絶命するのは明白となる。それでも“刺し続けて居る”点から考慮すると、プラス“何か”が加わっていなければならない。その“何か”が明らかにならない限り、この事件の“解決”はない。

「手相を書くブーム」だけは“来て欲しくない”

2022-02-22
あれはもう20年くらいも前のことになるだろうか。一時期「手相を描く」というブームがあった。韓国で、それよりもっと直接的な“手相の整形”が流行ったが、それより少し前くらいの“一過性のブーム”だった。そういった関係の本も何冊か出た。掌に手相を描いて、その通りの人生になるなら、“ほんらいの手相”そのものなど不要ということになる。或る種の“オマジナイ的効果”を期待するのであれば良いが、本気で信じ込む人が続出し、その割には「上手くゆかない」と不平をいう人まで出て来る。そんなもの、最初から“上手くゆく”筈がないじゃないか。まあ、でも、私だって十代半ばの時、自分の掌にナイフで“線を描いた”のだ。人のことは言えない。その結果、どうなったのかというと、掌に“血の塊の盛り上がった黒い線”が出来たが、当然のことながら、それはやがてきれいに消えた。もちろん、良いことなど起こるはずもなく、その傷の痛みだけが数日続いた。まあ、そういうわけで、人は誰でも“愚か”なのだ。ココ・ソラーレの藤澤五月選手は、手の甲に文字を書いて試合に挑むことで知られる。能力開発の本などに書かれている“一種の暗示作戦”のようだ。自分自身に“思い込ませる”のはとても良いことだ。ただ、それと共に掌の方には“手相も書いていた”というのが話題となった。大昔のブームを覚えているお母様からの伝授であったようだ。一種の“ゲン担ぎ”だろう。アスリートや芸能人には、そういう“ゲン担ぎ”を好む人たちがいる。もっとも藤澤選手はその生年月日から言って、良い手相をしているはずだ、と私は思う。だから、ほんとうは影響力が強いので「それで勝った」と視聴者に思わせないでほしい。ところで、もう一つ、注目されていることに彼女たちの報奨金の問題がある。JOCからは「銀」に対して200万円が報奨金として与えられるが、カーリング選手の場合には、それ以外はない。これは仕方のないことで、日本スキー連盟へは交付金や教科補助金が2億9000万円、日本スケート連盟へは1億6000万円出ているのに対して、日本カーリング協会へは7000万円しか出ていない。だから遠征費用など考えると協会から選手達には出しようがないのだ。一部に、それを「不公平だ」という人たちがいるが、その通りではあるが、それを言い出したら、あらゆる分野で「不公平」は存在する。例えば私など、どんなに頑張って本を書き出したところで、大手出版社から出された本のように広告を打ってもらえるわけでもなく、書店の書棚に並べてもらえるわけでもなく「あまり売れない」のは当然なのである。世の中というのは、元々「不公平」に出来ているのだ。

大先輩が贈った衣裳「悲歌」で“恩返し”すべき

2022-02-21
あなたは「寺嶋由芙」という歌手をご存じだろうか。多分、知らないだろう。私も知らなかった。ソロ歌手デビューして8周年を迎えるらしい。今月26日に“8周年記念コンサート”を開く。世の中、無名な歌手は沢山いる。だから、そのこと自体は気に留まる出来事でもない。私が気になったのは、そのコンサートの中で彼女が大先輩から贈られた衣裳を着て歌う…という部分だった。「大先輩」とは誰だろう。いまどき、自分がステージで使用した衣裳を贈る方も贈る方だし、贈られた衣裳を公言してステージに立つ方も立つ方だな…と思った。これが演歌なら、まあ、そういうこともあるかもしれないと思うのだが、一応「アイドル歌手」を公言している歌手なのだ。気になった“大先輩”とは「菅原都々子(すがわらつづこ)」のことであった。94歳の現役歌手だ。昭和20年代に活躍した歌手だ。「月がとっても青いから」とか「憧れは馬車にのって」といった大ヒット曲を持っている。細かなビブラートで歌うのが特徴で、当時としては“アイドル型⁉”の歌手だったのではないか。それだけに衣裳も華やかなドレス姿であった。その“華やかなドレス”を「後輩の方で相応しい方に着ていただきたい」ということでレコード会社に託されていたらしい。菅原氏は演歌ではなかったが戦後を背景とした「悲哀に満ちた歌」を数多く歌われたので、俗に「悲歌の女王」とも呼ばれる。一方、寺嶋氏の方は何を歌っているのかというと、いま一つハッキリしないラブソングが多い。これまでの経歴を見ても、その方向性が今一つ掴めない。ただソロ志向で、何となくアイドルタレント歌手志向なのは解かる。その一方では“ゆるキャラ”オタクらしく、或いはそういう設定らしく、“ゆるキャラ”とのコラボ企画が多かったりする。すでに30歳なので、方向性はハッキリした方が良いと思うのだが、いま一つ方針が具体的でない。近年は、そこそこに“アイドルっぽいタレント”は山ほど居る。そこそこ歌の上手い歌手も山ほど居る。この人は“真面目さ”が「売り」らしいのだが、それなら“ゆるキャラ”は捨てた方が良い。また“アイドル志向”は年齢的にも限界にある。なぜ、もっと“大人”を「売り」にしないのか。せっかく早稲田大学を出ているのに“ゆるキャラ”では矛盾過ぎていて、素直に応援しにくい。その時々で“人気のあるモノ”に乗っかって支持を得ようとしたのかもしれないが、そうだとすれば“ソロ歌手”は不利だと思う。彼女の名前も読みにくいし覚えにくい。思い切って「寺嶋由流(てらしまゆる)」に変えてしまった方が印象に残る。そして歌う内容も、もっと“大人”を前面に出した方が良い。知性ある女性が、世の不条理に哀しみ苦悶する姿を歌えば、絵になるし“大先輩”の想いに応えることが出来る。そう変われれば大ヒットも夢ではないのだが…。

NYの増悪犯罪は「アジア系女性」が狙われる‼

2022-02-20
アメリカのニューヨークには“世界”から人が集まってくる。さまざまな人種・民族が「アメリカンドリーム」を求めてやってくる。実際そこで成功すれば、黙っていても“世界”が手招く。そういう“華やかな街”の強いニューヨークだが、その一方には“危険な臭い”も漂っている。特にアジア系人種の多い、マンハッタンのチャイナタウン付近は“要注意地域”の一つだ。そのチャイナタウンで、またしても事件が起こった。近年、ここでは「増悪事件(ヘイトクライム)」と呼ばれるものが頻繁に起きている。アジア系の女性が見知らぬ若い男性たちから、いきなり襲われる事件だ。元々アメリカ人は“人種差別意識”が強い。西部開拓者時代はアメリカインディアンと黒人奴隷に、それが向けられた。やがて黒人たちの中に社会的地位や名誉を得るものが何人も出て来ると、今度はそれがアジア系人種や、メキシコなどの中米人種に向かった。もちろん、多くのニューヨーカーは人種など無関係に友好的である。それは元々アメリカの辺境な地からの出身者が多いせいでもある。ただ南部では「白人」であることの“優越意識”が強い人達もまだまだ居て、それらの人に取っては「カラード(有色人種)」は“侮蔑対象”や“侵略者”や“敵”でしかない。「黒人」だけが「カラード」なのではなく「黄色人種」も、もちろん“その差別対象”なのだ。意外に思うかもしれないが、アメリカの場合、信仰心の強い地域ほど、そういった傾向がある。ここ数年、アメリカ人にとってアジア系人種は“差別すべき理由”が徐々に増えている。その一つは中国、台湾、韓国のIT企業のアメリカにおける躍進である。実際にはアメリカだけでなく、世界的に躍進しているが、アメリカ人にとっては“自分たちの経済領域を脅かす存在”として恐怖を抱いている人が多い。80年代のバブル期には「日本」も、その先頭に居たが、今や「日本」を怖れるアメリカ人はいない。もう一つ、アメリカ人には「新型コロナの根源」が「中国」にあると感じている人は多い。さらに“貿易戦争”がこれに加わる。とにかく、中国をはじめとした「アジア系は許せない」という“括り方”なのだ。当然、この中には「日本人」も含まれている。妙な話だが、見掛け的に“アジア人に視えない人”は除外される。そういう意味で小柄で華奢な“アジア系女性”は狙われやすい。2月13日にも、ひとりのアジア系米国人女性が襲われた。中華系アメリカ人だったとみられるが、国籍がアメリカでも“見掛けがアジア系”なら狙われるのだ。25歳の大柄な男は35歳のアジア系に視える女性の後をつけた。チャイナタウンにあるエレベーターのないアパートのドアから階段を上っていく女性を、一定距離を空けながら追跡したのだ。この一定距離を空けていたことで、女性は最初、緊急通報をしなかった。そして6階の自分の部屋の鍵を開け、入った瞬間に、その男も強引に入り込んできたのだ。もちろん女性は室内で大声を出し、外に助けを求めた。それを聞きつけた別な住人から警察に緊急通報が入った。けれども、警察が駆け付ける前の段階で、既に女性は刃物で襲われていた。最終的に女性は男から40箇所以上も刺された。浴室内で半裸となっていたが、その時点で命が失われていた。駆け付けた警察がすぐ突入しなかったのは、男が女性の声をまねて「大丈夫です」などと言い張ったからだ。この近くでは昨年の11月にも、石で殴られて重体となったアジア系女性が居る。いまやニューヨークは“アジア系女性”にとって、安全ではいられない地域なのだ。

なんか変「AI小説家」が114編も書いていた⁉

2022-02-19
「AI」が“進化していく”のは知っている。前に購入した我が家のTVでも、何も訊いていないのに「よく、わかりません」などと喋った。ただ、こちらが何も訊いていないのに勝手に喋り出されると、怖いだけで楽しくはなかった。それでいて、すぐに壊れた。だから「AI」が“ひ弱”なことだけは、よく解かった。そういうこともあって、個人的には「AI」をあまり評価していないのだが、既に“小説の分野”では「AI小説家」が誕生していることを知って驚いた。SF分野の作家を輩出している「星新一賞」で、今回入選した『あなたはそこにいますか?』は、葦沢かもめ氏とAIとが共同で執筆した作品であるらしい。この文学賞では、分野的にSF作品ということもあって「人間以外からの応募」も受け付けているらしいのだ。そして実際にAIによる作品、或いは人間とAIとの共同執筆作品が、今年度だけで114編も集まったという。共同作品の多くは、その作品としての概要をAIに任せるもの、又は大体の文章構成そのものをAIに頼って、それを編集した形で応募してくるものとに分かれるらしい。いずれにしても、あきらかに“人間以外の力”が加わった作品で、それを含めて平等に審査して入選作を決めているようだ。話は最初に戻るが、AIというのは進化するので、もし今の段階で“優れた小説”を書けるのであれば、やがては紛れもなくベストセラー小説を生み出すよう進化していくのに違いない。ただ、そういう作品を本当に文学として“受け入れるべき”なのかどうかは、正直よく解からない。私はかつて、いまから27年も前にソフト会社に頼まれ「占星学」の“コンピューター診断法”を共同開発したことがある。要するに、さまざまな個々の診断を前もって挿入し、生年月日時を打ち込むことで、それらのうちの必要な判断だけを表出していくという方式だった。ところが、この判断は見事に失敗した。いまは判らないが、当時のコンピュータ技術では、それらから“必要なものだけ選択”して回答する、ということが出来ない。したがって、矛盾した内容があっても、それを加味することなく、すべてが一律に表出されてくる。そうすると、どうしても理解しがたい矛盾した判断となってしまうのだ。例えば惑星同士のアスペクトが20個あったなら、その20個分の“性格判断”や“運勢判断”が均一に出て来る。だから、性格にも運命にも一貫性がない。性格など20個も出て来れば何が何だか解からなくなってしまうのは当然なのだ。人間の場合は、それをうまく調整し選別しながら“矛盾のない形”で回答していく。当時のAIではそれが出来なかった。もちろん、あれから長い年月が経って、AIの進歩は著しいので、この入賞した小説作品だって、それなりに興味深く、楽しい読後感が残る作品(⁉)へと進化しているに違いない。

世界に通用する「能力」と「人間性」の問題

2022-02-18
昔であれば「遊び」に過ぎなかったものが、現代では「職業」になり得る。それが“ゲームの世界”だ。日本にもプロゲーマーと呼ばれる人たちは何人もいて、その頂点に立つものは何億円もの年収を得ている。そういうプロゲーマーの1人が「たぬかな」と呼ばれていた谷加奈氏だった。美人ゲーマーとして海外からも注目され2016年から“プロ”として活動していた。その彼女がSNS上で「身長170㎝ない男は人権ない」という発言をして批判を浴びた。これが単なるジョーク的な意味での発言であれば問題なかったのだが、どうやら彼女は本気だったようで、身長の乏しい男性は整形をしてでも170㎝に達しなければ「人権は与えられないと思え」というふうな意味のことを述べていた。当然、これに対する反響は大きく、彼女を雇っていた事務所は急きょ“プロ契約解除”に踏み切った。近年、さまざまな分野で一気に“時代の寵児”となる人が増えている。情報化時代となって、世界が一体化し始めていることもあり、いまや数日もあれば“時代の寵児”が誕生する。その結果、一気に寵児となった人は、あれよあれよという間に“世界的な名声”や“世界的な人気”や“巨額の財産”を手に入れる。この間があまりにも短い。そこで、どうなるかというと、まだ十代半ばであるとか、まだ学生であるとか、それまでは引き篭もりであったとか……あまり「世間」というものと、対峙してこなかった人たちが急に“社会の全面”に出ることになる。あまりに無防備に「世の中に躍り出ていく」ことになる。そうすると、どうしても精神的な“幼さ”が目立つ。或いは“弱さ”が目立つ。特にゲームの世界などは“そのこと”以外はほとんど知らずに育っている場合も多く、自分がいかに“社会的影響力が強いか”に気付いていない。そして、その部分から、もろくも崩れていってしまう人も多い。テニスの大坂なおみ氏など、その典型と言える。こういう人は精神的な“弱さ”や“脆さ”を自覚すると、なかなかそこから立ち直ることが出来ない。せっかくの優れた素質を持ちながら、或る意味では「大人社会」に翻弄されてしまったともいえる。ただ最終的には本人の「人間性」に掛かっていて、たとえ一時的に“自分を見失って”しまったとしても、幼少年期から大人の入り口の差し掛かる時、しっかりとした「人間」としての日常が身に付いていれば、自らを見失わなかったと思われる。したがって、そういう“能力を育てていく側”は、今回のような事態にならないよう「人間性の育成」も合わせて“育てていく”契約を結ぶよう考えていかなければならない。

「和服」の若者も「警備員」も間違っていない

2022-02-17
最近は思わぬところからネット上で議論が沸騰することが多い。特に中国では自分の主義主張を明確にする若者が増えてきたせいか、ネット上の議論が発熱化しているケースが多い。日本や韓国の場合は、どちらかというと「意見を戦わす場」というより「一方向に傾きやすい場」としてネット上が利用されてしまう。したがって、どうしても少数意見は“飲み込まれがち”である。世界から“言葉の壁”が徐々に失われていく中で、それぞれの“考え方が解かる”という点では、中国における“真っ向勝負”というか“意見のぶつかり合い”の方が個人的には興味深い。その中国で和服を着た中国人女性が、雲南省のペー族自治州の生態回廊へ若者何人かでやって来た。それを視た現地の警備員が「ここで写真を撮ってはいけない」と注意を与えた。別に写真撮影をしていけない場所ではないのだが、正確には「和服を着ての写真はNGだ」という意味での拒否であったようだ。それに対して若者たちは「なぜ、いけないのか」「服装は自由ではないか」と警備員に詰め寄った。すると、その場に居合わせた現地人たちの多くが「あんたの祖先を侵略した奴らの服を着るなら出ていけ」と口々に罵倒しだした。この一部始終を撮影した動画が流され、その結果、双方に対してネット上で賛否が戦わされることになったようだ。まず、和服を着た若者擁護ともいえる人達は《生活を政治化しても誰も得しない》《極端な民族主義こそ中国から出ていくべきだ》《和服を着たら親日と批判され、日本車に乗ったら文化交流と大喜び》《狭量な民族主義には劣等感と哀しさしか感じない》といった感じで、“新しい中国をアピールしたい意識”に傾きがちである。それに対して現地擁護派は《女性に服装の自由はあるが、抗日の場所ではそれをボイコットする自由もある》《侵略戦争で苦難を受けた場所に行くなら、現地の人の感情も尊重されるべき》と“先祖の痛みを共有すべき”と考える人たちも少なくない。ここで日本人として考えるのは、和服は確かに“日本人の服”だが今や日常の暮しの中で着ている人は稀であり、ことさら「日本」を意図して着ていたのか疑問に思われる。それに「和服」を禁止してしまうと、せっかくの“侵略戦争アピールの場”を日本人は知ることが出来ず、結局、日本の若者は「そんなもの知らないよ」で過ぎていく。本来「原爆ドーム」などでもそうだが、“侵略した側”が視た方が価値のある記念物は多い。「日本」に“過去を知らしめたい”のであれば、むしろ和服を着た人物にこそ、しっかり見せておく方が効果的なのではないだろうか。 « Older Entries