4月, 2023年

「朝シャン」から「朝ぶろ」へが一番の変化⁉

2023-04-30
一応「占い師」である私は、自らの引っ越し方位と、引っ越し後の家相変化の影響とに関心を持っている。自分自身の“方位”や“家相”など“風水の作用や影響”を客観的に捉えて、それを今後の“風水相談”とか“家相診断”に役立てていくのは当然の責務だ。ちなみに前回の引っ越しは16年前だが、何が大きく変わったのかと言えば、海外に行く機会が多くなったこと、新しい著書を何冊も発行できたこと、占いサイトからの副収入が得られたこと、若いお客さんが来なくなったこと、本州から占いを短期習得する人が多かったこと、妻が途中から病気になったこと……と想い出していくのだが、正直、わたしは忘れっぽいので、それ以外のことはあまり想い出すことが出来ない。とにかく、良い事、悪い事、両方あるが、どちらかと言えば良い事の方が多かったかもしれない。方位として前回は「真北方位」への移動であり、家相的には南東側が広く、北東部位が欠けている住居だった。今回の場合は、引っ越してすぐ「書棚が搬入できない問題」が生じて、そのことで部屋の整理や片付けが極端に遅れた。ただ一応その問題は解決した。もっとも、この件も含めて予定通りにならないことが続出し、それに伴なう形でお金がずいぶん出て行った。それらを除けば「特別大きく変わったこと」は今のところ発生していない。くだらないことを書けば、いちばんの変化はわたしの場合「朝シャン」から「朝ぶろ」に変ったことである。元々わたしは若い頃から“朝シャン派”であり、毎日、髪をシャンプーする。それに伴う形で身体も洗って、浴槽に入浴するということをほとんどしなかった。要するにゆっくりと入浴するというのが面倒で、シャワーを浴びながら体を洗っていれば、たまーに気が向いて入浴していれば、それでいいや、というような感じで居た。温泉などに行くと浴槽には入ったが、それでも5分も入っていなかった。そういう感じだったのだが、ここに引っ越して来て、それが変わった。引っ越した最初の日に、何となく最初だから「浴槽にも入ってみよう」という感じで入ったのだが、これが妙に気に入った。何となく浴室自体が前よりきれいに視えたからかもしれない。或いは前よりも簡単に湯量が満たされるからかもしれない。その理由は自分でも判然としないのだが、なぜか面倒くさくならなくなった私は、それからというもの毎日「朝ぶろ」に入っている。大体5時過ぎくらいから入る形で、かなり私にとっては長時間浴槽の中に居る。どうして、こんなふうに変わったのだろう。自分でもよく判らない。こんなささいな変化がいまのところは目立つ程度なのだが……。

「強制送還」&「不法労働」どちらも厳しい

2023-04-29
新宿区にあるインドネシア大使館で「強制送還」の手続きを終えた20代のインドネシア人がマイクロバスに乗る直前に逃亡を図った。「強制送還」と言っても特別に悪い事をしたわけではなく「不法滞在」によって収容され、大使館で本国に帰るための手続きを終えた直後、係官などの制止を振り切って、街中へと逃走したらしい。おそらく「日本で働きたい」という気持ちの強い人物かと思われるが、事実上、なんの“保障”も“証明”も得られない状態で、日本国内で働くのは極めて難しい。身分や仕事のハッキリしていない外国人を、日本人は総じて好まない。したがって日本人が彼を救ってくれる可能性は極めて乏しい。そこで彼が頼るのは、同じインドネシア人で日本在住の人物かと思われる。もし、そういうあてがないなら、黙って強制送還されてしまった方が好い。犯罪者予備軍になってしまう可能性が強いからだ。いまの日本は“身元のハッキリとしない外国人”に対してあまり寛容ではない。だから、仮に本人が「働きたい」と言っても雇ってくれない可能性が強いのだ。外国人を多数すでに雇っている企業ほど“手続きを踏まない人物”を雇い入れることはしない。但し、誰か親戚や仲間など日本在住の外国人で知り合いなどいれば、その限りではない。あと日本で生き延びていくには「日本語を話せること」が絶対条件となる。片言であっても、一応“日本語”になっていれば、同情するような日本人が出てくるかもしれない。一昔前までなら、日本と東南アジア各国とは経済的な開きがかなりあって、その結果、日本における収入は本国で働くよりもはるかに優れていた。けれども、いまの日本はそうではない。東南アジア諸国の経済力が身について来たことで、日本における賃金は“円安”という問題も加わって“低下している”ような印象を与える。したがって収入面だけで「日本」での労働を希望する人物は少ないのだ。今回の場合、逃走した地域が新宿で比較的飲食店など“隠れ家的な店”も多いことから、もし、2~3日中に発見されなければ潜伏に成功する可能性も強い。ただし、その場合“過酷な労働”が待っているとか、“闇のビジネス”に加担させられるとか、いずれにしても前途は厳しい。むしろ早期に発見された方が、彼の“長い人生”を考えたなら幸福かもしれないのだ。

「自分を見失わないこと」が「幸福」を掴む

2023-04-28
人生には“予期せぬ出来事”というものがいろいろと起こる。そういう時に、どう対処していくかによって、その後の人生が大きく変わる。この人の場合、昨日発表されたコメントは「愛おしい存在がまた1人増え、賑やかな日々を過ごしています」という短いものだった。けれども、そこには何も語らなくても“幸せな家庭のようす”が窺われる。第2子の誕生を報告したタレント佐々木希氏の言葉だ。佐々木希氏と言えば、誰もが“その夫のこと”を想い出す。アンジャッシュ渡部建氏の“多目的トイレ”スキャンダルだ。その当時の渡部氏が「グルメ評論家」として時代の寵児となっていただけに、その反響はすさまじかった。彼はすべての番組から降板し、表舞台から消えなければならなかった。日頃の渡部氏が、美しい美女を妻として獲得し、どちらかと言えば世間的に“羨望されていた”だけに、その反動もあって徹底的にバッシングを受けた。そういう状況にあっても、佐々木氏は夫を見捨てなかった。夫の不祥事は自分にも“至らぬ部分”があったからというようなスタンスを貫いているように見えた。その姿に対しては同情する人たちも多く、道が塞がれた夫に変って、彼女は精力的に与えられた自分の仕事をこなしていった。こうして時が経ち、渡部氏にも少しずつ“元タレント的な仕事”が舞い込むようになった。そういう落ち着いた状況に変っていく中で、第2子誕生の報告がなされた。もちろん、渡部家の実態はわからない。ほんとうに過去のしこりなく、家庭が上手くいっているのか、いろいろ噂された渡部氏の問題点が正されたのか、それはわからない。けれども、少なくとも、佐々木氏にとって“そういうこと”は“自分にも至らぬ部分があった”という解釈で拭い去ったに違いない。この点をどうみるかは人それぞれであるが、少なくとも「幸福の掴み方」という観点から言えば、或いは「家庭運の処し方」という観点から言えば、もっとも“大人としての対処の仕方”であり、日本女性として“称賛を受ける”に値する対応であったことは間違いがない。必ずしも“正しい”と言えないかもしれないが、最終的には本人がどう感じるかだ。どういうカタチで家庭を築いていくかなのだ。そういう意味から言って、文字通り日本女性としての鏡となるような“生き方”を選択したことは間違いがない。

「ナタ男」が「波木星龍」より勝っていた⁉

2023-04-27
最近、札幌の地下鉄「大通駅」周辺で“小さな事件”が続発している。正直、しょうもない事件ばかりなので、こういうところで扱うような気にもならない。2日ほど前には駅上“休憩スペース”で「ナタを振り回す男」が出現。一時、騒然となった。どうやら男はアル中で、酒を飲むと“荒れてしまうタイプ”らしく、結局、ナタを振り回したあと御用となった。27歳の無職の若者で、一見するとまだ20歳前後にしか視えない。ナタを振り回してはいたのだが、人に襲いかかっていく感じでもなく、思想的な“何か”があるようでもなく、自分を「酒の悪魔だ」と訳の分からないことを叫んでいるだけだった。ただ彼はYouTube動画を発信していることを、あとになって知った。その動画を視てみたのだが、ここでも何を言いたいのかはよく解からない。にも拘らず、その動画の再生階数とか登録者数とかが意外なほど多い。動画の投稿回数そのものもそれほど多いわけではなく、その内容も正直よく解からないものばかりなのだが、それでいて“その再生階数”や“登録者数”は奇妙に多いのだ。そのすべてが私などよりはるかに多い。こういうものを見ると「波木星龍のYouTube動画」というものが、いがに“視られていないか”“支持する人が少ないか”“人々から与えられるものが乏しいか”がよく解かる。芸能人ではないから、別に多ければ良いとか、人気につながるとか、副収入が得られるとか、そういうことで行っているわけではないが、それにしても少なすぎないか。わたしは普段ほかの方達のYouTube動画というものを見ないので、特別、この齢でもあるし、どうこうしようとは思わないが、それにしても“少なすぎる”ことだけは残念であり、何かしら、良い方法はないものかと思ったりもする。もしかして、わたしも「ナタ」でも持って暴れれば良いのか。だが、そうするほどの体力もない。箸より重いものを持ったことがないではないか。それにしても一日で何十万人もの登録者が出て来る芸能人の話とかをきくと、自分は“人気が命”の芸能人にならなくって良かったなあ……としみじみ思うのだ。

西洋人が「東洋人の顔」へと“整形する”時代⁉

2023-04-26
わたしは十代前半くらいの頃「美容整形」という言葉を雑誌で初めて知った。その雑誌は大人が読むような総合雑誌で、その当時の流行として欧米における美容整形が取り上げられていたのだった。当時の日本では「美容整形」は、まだまだ馴染みの少ない言葉だった。その記事の中で、わたしが印象に残っているのは、欧米では「豊胸手術」も多いが「小胸手術」も多く、大きすぎる胸を“小さくしてもらう”女性も珍しくない、と記されていたことだ。鼻に対しても同様で“高くしてもらう手術”より“可愛らしく低くしてもらう手術”の方が最近の流行であると書かれていた。両方とも「なんともったいないことをするのだろう」と本気で思った。胸が大きいことも、鼻が高いことも、欧米人として誇るべきことではないか。わざわざ手術までして、目立たないようにするなど本当にもったいないことをすると思った。あれからもう50年以上が経っているが、美容整形の世界はどんどん需要を拡大しているように思える。先日、ある俳優が亡くなった。韓国に在住のカナダ人俳優セイント・フォン・コルッチ氏(22歳)だ。整形手術による合併症で、顎の手術が後になって合併症を引き起こしたらしい。彼は家族に看取られることもなく、孤独のうちに異郷・韓国で俳優として亡くなった。元々はアーチストとして韓国から発信したいと望んでの入国だったようだ。俳優としてBTSのJIMINの役柄で採用され、既に昨年末までに撮影は終わっていた。今年10月に世界へ向けて配信予定の作品らしい。コルッチ氏は“この役”に懸けていたのか、JIMINのような顔とするため一年間の間に12回もの美容外科手術を受けていた。その総計費用は2860万円にも及んだ。頤、フェイス、眼、眉、鼻、唇……そうまでして“韓国人顔”にしようとした。本来の“欧米顔”では韓国では成功の見込みがないと感じていたらしい。せっかくの西洋顔を東洋顔に変えようと努力していたのだ。その努力が、或る意味では実ってJIMINの役として採用され、作品も出来上がっていた。その矢先に“合併症”が彼を襲った。一年間の内に“12回の手術”はどう考えても異常だ。韓国は近年BTSなどKポップとして世界的に評価されつつある。国家予算を投じて売り込んだ成果だ。80年代に“アジアを席巻していた日本の楽曲”の面影は今やない。当分の間は“韓国顔”の方が“日本顔”よりも、世界的には“憧れの顔”となっていくのかもしれない。

73人死亡「第2の人民寺院事件」が起きた⁉

2023-04-25
若い方達は知らないと思うが、1978年に南米のガイアナで“人民寺院の集団自殺事件”というのが起こった。新興宗教の教祖が「魔の手から逃れるため」と称して“集団自殺”を指揮したのだ。なんと918人もの人たちが、それに応じて亡くなった。今回の事件は、その時の事件と“重なり合う”部分が多い。ケニア南東部マリンディ近郊の森にカルト教団「グッドニュース・インターナショナル教会」がある。その教祖ポール・マケンジー・ヌセング容疑者はいったん保釈されていたが、15日になって再逮捕された。彼自身は自らの容疑を否定し、教会は2019年に閉鎖していると主張している。ただ次々と土葬されていた遺体は見つかっていて、現在は73遺体に増えている。森が広大で広いため、果たしてこれで全部なのか、まだまだ存在しているか判らないという。どうして、このようなことになってしまったのかというと、教祖が「餓死すれば天国に行けてイエスに逢える」と教えていたからだ。一部の“救出されたメンバー”から事件が発覚し、強制捜査によって多数の墓標が見つかった。ただ森が広大なため、これが全部なのか、その一部に過ぎないのか、判別できないのだ。この場合、毒殺などと違って“餓死”を「殺人」とみなせるかどうかは極めて難しい。多くの信者は“強制された”というよりも、純粋に信仰心の強さを発揮し“餓死を択んだ”可能性が強いからだ。もっとも、子供たちも多いので、実質的には“強制している”ことは間違いがない。ただ埋葬の仕方を見ると、家族は何人でもまとめて“一つの穴(墓穴)”に収まっている。死後になって家族たちが皆一緒に“天国”に向かい“イエス様に逢える”という願いがこもっているようだ。つまり、それくらい純粋な信仰心の強い人達が多く集まって来ていたのだ。いまのところ、ヌセング容疑者の目的や真意は解かっていない。ただ容疑者がここにきて“急に言い出したこと”ではなくて、以前から“そういう説教”や“呼びかけ”を行っていたことは間違いがないようだ。何となく死者たちが哀し過ぎる……

書店で「本など買いたくない」と思った日⁉

2023-04-24
新しい住居に変って一か月以上が経った。ようやく、この頃になって“新居”のさまざまな機能も少しずつ理解し始めた。元々わたしは“環境の変化”というものに弱い。よく海外などに行っていた時、新たなる国では帰るまで緊張感が抜けなかった。国内であっても“初めてのところ”は苦手で好き勝手に出歩くということが出来ない。昔、仕事で“各地のイベントに出演する”というのも好きにはなれなかった。占い師の中には“イベント好き”の人も居て、あちこち駆け回っている人も居たが、わたしは精神的に落ち着かないし、初めての場所では「自分の職場」と到底思えない。だから私はよく身内に説明する時「公務員のような感じで占いの仕事をしている」と言って煙に巻いた。考えてみれば、わたしには“会社員時代”もあるが、その時から“残業を一切しない”ことで知られていた。ながながダラダラと仕事をするのは性に合わない。極力、朝から5時まで神経を集中して“その日の仕事”をこなしたい。まあ、だから本来“占い師”というのは分類的には「自由業」なのだが、普段からそういうふうではなく公務員のような“型に嵌まった暮らし方”の方が向いている性質だった。そういうわたしが16年間暮らした場所から引っ越したのだから、新たな環境に慣れるのに多少の時間を要するのは当然だった。ところで、わたしはここに引っ越して「210cmの高さの書棚が入れられない」と嘆いた。この問題は既に解決し、クレーンを使って引き上げて室内に入れることに成功した。その結果、多くの本が詰まった段ボール箱は捨てられずに済んだ。もっとも、書棚4台ですべての本が吸収されていったかと言えばそうでもなく、相当数の“読まない本”は処分した。リビングの方の書棚に入っていた本が“溢れ出てしまった格好”だ。それでも部屋の中が片付き、ようやく普通の暮らし方が出来るようになった。何日か前、街に出たついでに書店に入った。さまざまな本を手にとってはみたが、今回の引っ越しで苦労したせいか本を買う気にならない。一時的には「全書籍類を手放さなければならないのではないか」と悩んだので、その時の感覚が未だに抜けない。初めて、本を買うことが“怖かった”のだ。おそらく、これも時間の経過で薄れてゆくのだろうが、少なくともしばらくの間は書店では“立ち読み”だけで終わらせることだろう。

80年代の長編漫画が今年「国際漫画賞」を受賞

2023-04-23
人間の評価はときどき“亡くなって後になぜか急騰する”ことがある。生前は“一部の人のみ”が評価している場合が多い。この人の場合も、そうであったに違いなく、どちらかと言えば日本人には“難しいテーマ”だったせいもある。80年代に日本で連載されていた『石の花』という漫画作品だ。坂口尚氏は手塚治虫作品でもアニメーターとして活躍した人物だが、長編は少なく『石の花』が初めての長編作品。90年代に入ってからフランスでも刊行されたが、作者は95年に亡くなっている。どういうわけか昨年10月に新装版が出て、このほどの受賞につながった。その内容はナチスドイツに抵抗するユーゴの人々を描いたもので、現地取材も重ねて、多数の資料など駆使して描いた力作だ。彼は「五つの民族、四つの言語、三つの宗教の中で必死に生きている人々を描きたかった」と述べていたようだ。こういう“地味だが史実に基づいた重いテーマを扱った作品”はどちらかと言えば日本国内より海外で評価されやすい。新装版の発刊が“ロシアのウクライナ侵攻”と偶然にも重なったことが受賞の追い風となった。“戦争批判”や“政治批判”などは、直接的な批判行動やデモなどより、どちらかと言えば芸術や文学や音楽などの方が説得力を持つ。それも、第三者的な視点から歴史的事実を“物静かに描く”方が説得力を持つ。戦闘の直接場面よりも、それに付随したさまざまな人々の日常や人生の断面の方が重く伝わる。われわれが自分の気持ちを素直に投影しやすいのは、身近な人々の日常だからだ。だれでも幸せになりたい。だれでも脅えながら生きるのは嫌なのだ。だれでもくだらないことで笑い合える日常が良い。だれでも隣りに居る人を信じたい。あした生きているかなど確かめ合いたくはない。最終的に誰でも、手探りの中で見つけたぬくもりを必死にたぐりよせ生きていくのだ。

「酒による害毒」をもう少しアピールすべき‼

2023-04-22
昨日、芸人コンビ「インデペンデンスデイ」の久保田剛史氏(36歳)が今月18日に急逝したことが公表された。わたし個人は久保田氏を観た記憶がないが、それなりに活躍していた芸人のようだ。完全なる病死であるが、その原因はまだ明確ではないらしい。体重100キロで糖尿病の持病を持っていたということが報道の中で記されていた。ただ特に最近“体調が悪い”ということはなく、前日まで芸人としての仕事をこなしていた。それだけに関係者の驚きは大きいようだ。ところが、彼に関連したSNSを見ると“お酒に関しての話題”が多い。相当な酒豪で毎日のように酒を飲んでいたらしい。医者から“甘いもの”は禁止されていたようだが、酒に関しては“禁止事項”ではなかったのか、あまり気にする様子もなく連日“飲んでいた”ことを話したりしている。この人は多分、医者から禁止された“甘いもの”さえ避けていれば、糖尿体質でも維持していける……と勘違いしていたようだ。「酒」は糖尿体質にとっては“避けなければならないもの”の一つだ。食事もどちらかと言えば“肉食系統”が多かったようだが、いちばんは「酒」を飲み続けたことにある……とわたしは思う。酒は肝臓に負担がかかる。特に毎日のように飲んでいると、肝臓が十分に働き切らない状態でアルコールが体内に廻る。体重が100㌔なのも心臓に負担がかかるので、心筋梗塞などの可能性も考えられるが、少なくとも週のうち半分くらいは“飲まない日”を入れておけば、急逝してしまうことは無かったような気が私にはする。日本人の感覚として「酒」は“危険な飲食物”としての印象が薄い。だから、どうしても「アル中でなければ…」的な発想につながりやすい。けれども年齢と共に徐々に肝臓の働きは鈍ってくる。肝臓が上手く働いてくれないと、酒の持っている“毒素”が十分に解毒しきれないまま体内に廻ってしまうのだ。肝臓が正常に働き、酒量が適度である場合、酒を飲むことは何の問題もない。けれども、肝臓の働きが鈍って来ている状態で毎日のように酒が入るのは危険なのだ。煙草の害が強くアピールされ、喫煙人口そのものが減っていったが、酒に関しては“その毒素”の部分が十分に浸透しているようには見えない。特に何らかの持病を抱えている場合、酒量が多いのは“体を蝕む天敵”となる。俗に「たしなむ」という言葉があるが、酒はあくまで“たしなむ程度”に飲むことが病気を作らないいちばんの方法なのだ。

女子プロレスラー⁉抱っこ紐でバーベル上げ‼

2023-04-21
最近の女性は強い。その象徴が「政治家女子48党」の女性たちだ。中でも“強さ”を感じさせるのは新宿区議選に立候補している斉藤ゆり氏(27歳)だ。子育てをしながら、その子供を抱っこ紐で抱いたまま街頭演説している。それだけでも驚くのに、今度は抱っこ紐のままバーベルを持ち上げる動画を投稿して賛否を呼んだ。危険なので止めた方が良いと私も思うが、その“強さ”や“度胸の良さ”には敬服する。こういう人たちがたくさん出てくることによって「日本」は欧米並みの“女性が強い国”へと変わっていけるのかもしれない。(まあ、今でも十分に強いんですけど…)ところで、この斉藤ゆり氏とはどういう人なのか。正直、よく解からない。その履歴を観ても、過去に政治と関わった部分があるようには見えない。そこで「政治家女子48党」の政党ページというものを見てみた。そして、本当に驚いた。そこには彼女だけでなく、まさしく“政治家女子たち”の姿が山ほど載っていた。まるでアイドルグループであるかの如く“若い女性たち”ばかりが驚くほど載っていた。こんなに居たんだ。いつの間に居たのだろう。NHK党から“名称変更した党”ではなかったのか。しかも、この中には旧NHK党のメンバーらしき人は見掛けない。もしかして旧NHK党と「政治家女子48党」とは関係がないのか。それとも、そちらはそちら、こちらはこちら、と分離しているのか。確か“党首”を変えたとか変えないとかで、揉めている党ではなかったか。とにかく、あらゆることがよく解からない。解からないけれども、いつの間にかこんなにも多数の“若い政治家女子たち”が集うカタチの政党となっていたことだけは間違いがない。そして、そのことは一見、一過性のようにも思えるが、実は“大きなうねり”がその底辺にあるような気が私にはする。本能的に集まって来た若い女性たちの決起、政治世界に反映しにくかった女性たちの代弁者、或いは若い人たちの代弁者、それが「日本」らしい“アイドル系政治女子集団”として秘かに集結していた。「日本」が大きく変わり始める時には必ず「若い女性たちの変化」が“まず先”にあった。もしかしたなら、立花氏はNHK党には失敗したが、そのかわり“未来の女性政治家集団”を立ち上げる礎を築いたと言えるのかもしれない。

やがて追放される⁉「ジェンダーレストイレ」

2023-04-20
時代は、その時代が要求していることを“カタチ”にしていく。それが“その時代だけのもの”になることもあれば、それ以降ずっと継続していくものもある。東急歌舞伎町タワーに登場した「ジェンダーレストイレ」が“困惑の対象”となっている。ジェンダーレストイレとは、要するに男女を分けないトイレのことだ。一部の階では、その結果として「女子トイレ」が省かれてしまったらしい。そのせいか最初から、どうも評判はよろしくない。地上48階、地下5階の新しいビルであるから“最先端の試み”として「ジェンダーレストイレ」を設置したのは注目度も含め話題にはなる。ただトイレ内というのは、本来“性器露出の場”であるから、それを“分けない”というのは、もともと無理があるような気が私にはする。もちろん“性の多様性”を認める国に前進していく(⁉)試みの一つとして、ジェンダーレストイレの設置が悪いわけではない。女装家や男装家にとって“待ち望んでいたトイレ”であり、歌舞伎町に出来たのは“そういう意図”もあってのことなのか。わたしは前から思っているのだが、身障者やシングルマザーやシングルファザーや介護者などのため「男性用」「女性用」とは別に「もう一つのトイレ」があって良いと思っている。たとえばシングルファザーで小さな女児を連れている場合「女子用トイレ」に入るのは勇気がいるだろう。だからと言って「男子用トイレ」では難しい場合もある。そういう人たちも含めて「身障者用トイレ」を、ひとり親の人であるとか、緊急事態が生じた人であるとか、そういう人も含めて使用できるような形態に変えていくべきではないかと思うのだ。電車でもそうだが以前「女子専用車両」というのに急いで飛び込んでジロジロ見られ、不快な思いをしたことがある。逼迫事情がある時には、男性とか女性とか関係なく“使わせてあげる”“入れてあげる”度量が、どうも日本人には乏しいような気がしてならない。逆に言うと、だからこそ「ジェンダーレストイレ」は役立ちそうな気もするが、過度な“性意識”が強すぎたり、何らかの犯罪が生じたりすると、かえって徐々に使われなくなって歴史の中でいつの間にか“消えて行くトイレ”となってしまう可能性もある。

元卓球選手夫妻が「卓球台」に子供を載せて⁉

2023-04-19
わたしは昔、この人の“結婚”が報道されたとき、夫となる江宏傑氏との相性は、性格的に負けず嫌いの共通性があって大変に良い反面、男と女の“根本的な違い”でぶつかると危険な面も……という風な形で書いた。実際、結婚してしばらくの間は「夫婦二人の仲の良さ」が強調されてCMなどに多数登場したらしい。妻となった福原愛氏は、夫の祖国である台湾に嫁ぎ、CMタレントとしても人気を博した。ところが、いつからか二人の間がギクシャクし始めた。「台湾(中華圏)」と「日本」とでは“家庭・家族”に対しての捉え方や愛情の注ぎ方に微妙な違いがある。どちらかと言えば台湾の方が封建性が強い。現代の日本は“家庭・家族”というものに対して“欧米風の距離感”を持って捉えるのが一般的になった。密着度の強い中華圏と距離感を取ろうとする“日本人的な家族観”とにはいつの間にか“埋まらない溝”が生じ始めていた。結局、ふたりは2021年7月に正式離婚が成立した。これで“一件落着”したかに思われていたのだが、実際にはそうではなかった。子供の問題が未解決のままだったからだ。もしかすると法的には「共同親権」で定まっていたのかもしれないが、昨年の夏、元夫はSNS上で“子供が連れ去られた”風な感じで訴えていた。その後も、しばしば同様な訴えをした。それでは埒が明かないと思ったのか今度は“法的手段に出る”ということが台湾メディアで報道された。どうやら妻側は昨年の夏以降、連れ戻った息子の方だけは自分の手元に置いて育てようとしているらしい。もし「共同親権」が事実なら、それぞれの国で夫が娘を、妻が息子を育てていく、というのは理に適っているようにも思うが、昨年夏まで台湾で生まれ育っていた息子にとって、それがベストなのかどうかは解からない。また台湾の「共同親権」が“そういう事情”までも許していたかどうかは定かではない。とにかく、ふたりとも元卓球選手で世界レベルである。卓球台を挟んで「球」を打ち合うことには慣れている。その血を引き継いだ長男である男児は、まだ4歳だ。卓球台に載せられ、ふたりの争いの的となって「台湾」と「日本」を行き交うようなことにならなければ良いのだが…。 « Older Entries