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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


古代人が“大自然を神とし”崇めたのは正しい⁉


結局、人間は「大自然」に勝てない。今回、ネパール国境付近で26日に発生した大規模な土石流災害は、改めて“大自然の驚異”というものを見せつけたような凄まじさだった。範囲としては狭いのかもしれないが、かつての東日本大震災を彷彿とさせるような“水の力”“土石流の威力”というものを、改めて見せつけられた。どんなに頑丈な建物でも、勢いを持った土石流に襲われればひとたまりもない。所詮、人間は「大自然」の敵ではないのだ。どんなに人間が頑張ったところで、科学の粋を集めて建築したところで、勢いを持った土石流に掛かれば、あっという間に崩壊してしまう。古代の人々が、大自然界のさまざまなものを「神」として崇めたのは、けっして幼稚だったからではない。どんなに頑張っても、人間の力では“太刀打ちできない存在”として自然世界の威力を知っていたから「神」として崇めたのだ。「神」として崇める以外に方法がないから、そういう形での“共存”を願ったのだ。実際、自然界の怒りが収まってしまえば、むしろ大自然は、人間にさまざまな“生きる根源的な力”を与えてくれる。われわれが生きていくことが出来るのは、紛れもなく自然界の水や土があったればこそなのだ。だから、その“荒くれの姿”をわれわれが制御できないのであれば「神」として、崇め讃えて“共存”していこうとする以外にないではないか。だから例えば古代エジプトでは「太陽」を神として「ラー」「アテン」「ケプリ」「アトゥム」などいろいろな名前で呼んだ。ちなみに「ラー・ホルアクティ」は“地平線上の神”であり「ケプリ」は“上昇中の神”であり「ラー」は“真昼の神”であり「アトゥム」は“地平線下の神”となる。それらをまとめたのが「アテン」だ。実際にエジプトに行って日本人が感じるのは昼と夜との気温差と、ほとんどの日が晴天という気象上の特徴だ。日中の気温差が大きいと、人間は嫌でも太陽に“生命の源”を感じる。また毎日が晴天だと“生命の支配者”を意識する。別に教えられて感じるのではなく、実感として理解するのだ。そして「水」の大切さだ。だからナイル川に「神」を感じるのも当然なのだ。毎年、同じ時期にナイル川は氾濫する。その結果、良質の土壌が運ばれ、乾ききった大地に植物が生い茂るようになる。だからナイルも「神」なのだ。われわれは「太陽」と「水(河や海)」を崇めずには生きられない民なのだ。
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