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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


なぜ日本の芸能界は作品を評価しないのか


映画「SUNNY」に出演予定だった女優・真木よう子さんが出演シーン撮影直前になって“体調不良”を理由に降板し、代役を立てることになった問題を一部週刊誌が本人直撃という形で取材している。それによると、本人は出演予定だったが、事務所側が一方的に“出演キャンセル”を制作サイドに申し込んでいたという。今年の夏、TVの主演ドラマの視聴率を上げるため、各種アピールを繰り返し、それがかえって不評となり、ひいてはネット上での“炎上騒動”にまで発展した真木さんは、このところ窮地に陥っているようだ。私は一連の騒動を見ていて、この人に…というよりも、日本の芸能界というか、最近のマスコミ関係というか、そちらの方に問題があるように思えて仕方がない。どうも、日本の芸能界は“個々の役割”が明確ではない。本来、役者は“宣伝マン”ではないはずだ。それなのに、近年はドラマ制作や映画公開が近づくと、必ず出演している役者に、そのアピールをさせる。そして視聴率が取れなかったり、入場動員数が乏しかったりすると、まるで本人に魅力がないからであるかのような扱い方をする。ドラマ、映画、舞台というものは、本来一人で出来上がるようなものではない。私は大昔、まだ20代半ばだったが、アマチュア演劇を主宰していた時期がある。僅か2年くらいの短い間だったが、それでも市民会館で上演もした。主役も演じた。その経験から言っても、一つの舞台を作り上げるのに、多数の人間が多くの時間を使って製作していく大変さを知っている。けっして、主役一人が頑張って、どうこう出来るような世界ではないのだ。それなのに、視聴率が高ければ“主役の力”であるかのような評価をし、視聴率や観客動員数が少なければ主役に魅力が乏しいからであるからのような評価を下す。日本の社会全体も、そういうマスコミやネットの論調に、まるで洗脳されているかのようですらある。ドラマは原作があり、脚本があり、監督がいて、主役がいて、脇役が固めて、裏方スタッフが協力して、営業が宣伝をかけて、一つの作品になる。主役一人に責任を負わせるなど根本的におかしい。しかも主役本人までが、低視聴率は“自分のせいだ”と思い込んでいるような行動まで行う。良い作品、良い役者を育てたいなら、まずは“芝居”というものの本質に立ち返って「生命の宿った作品」を世に送り出すことが第一だし、視聴率や観客動員は後からついてくるものだという考えに立たない限り、本当に価値ある作品は誕生しないだろう。

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