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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


国民が逃げ出す「タリバン」はなぜ怖いのか


連日のように“母国”である「アフガン」から脱出しようとする人々の映像が流れる。米軍の軍用機の外壁に摑まってまで脱出しようとし、振り落とされて亡くなった人たちまでいる。既に全権を掌握したとされる「タリバン」だが、国民たちからの支持は今一つ得られていない。なぜなのか。それは「タリバン」が「イスラム原理主義」に沿って統治しようとしているからである。世界には「国教」としてイスラム教を標榜している国がいくつもあるが、それらとどう違うのか。簡単にいうと、国民の規範がイスラム教であることと、国家が「イスラム原理主義」であることとは、似ているようだが全然異なるのだ。日本の「非常事態宣言」の地域と、外国の「ロックダウン(都市封鎖)」のような“違い”がある。日本の場合「非常事態宣言」とはいうものの、だからと言ってそれに従わない人を“いきなり逮捕”は出来ない。それに対して「ロックダウン」の場合は従わない人を“いきなり逮捕”が出来るのだ。「タリバン」による政権の掌握は、従わない国民を“逮捕していく”統治の仕方なのだ。その中には例えば女性たちに「ブルカの着用」を義務付ける法規も含まれる。「ブルカ」とは、眼の部分しか露出しない“黒い衣裳”のことだ。誰が誰だか分からなくなる。よく、彼女たちは“誰なのか”判別がつくものだと感心する。「イスラム原理主義」とは、いまから1300年前頃に成立した“宗教規範”に基づく生活の仕方だ。その当時としては“男女不平等”は一般的に見受けられたことで、男性たちを刺激する“ボディライン”が露わになる服装、肌の一部が露出する服装、顔面すべてが晒される服装は“御法度”となった。基本的に男性は外で働く、女性は家の中で家事をする、というのが基本の生活規範だ。その延長で、女性は学校教育を受けることさえも“必要ない”とされた。何しろ、7世紀頃の“暮らしの基準”なのだから、いたるところに問題がある。そこで、スマートなイスラム諸国は「原理主義」は使わず、現代的な“緩い規範”で社会との融合を図っている。もちろん、今でも一部のイスラム国では「原理主義」を貫いている国もある。そういう国では、なぜ従っているのかというと、大昔から「そうだった」からだ。アフガンは、そうではないのだ。だから“自由が奪われる恐怖”を感じるのは当然なのである。ちょっと「北朝鮮」と似ているが、現在、アフガンの国民のうち1400万人が“飢餓状態にある”という点でも似ているのだ。唯一神である「アッラー」は永遠に沈黙している。

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