12月, 2021年

奇妙なセクハラ⁉「世界でもっとも美しい顔」

2021-12-31
毎年、年末になると「世界でもっとも美しい顔ベスト100」なるものが公表される。誰が、どんな基準で選んでいるのか知らないが、正直、こういうものを公表することに意味があるのだろうか。いつも疑問に思うし、どういう基準からなのか、さっぱりわからない。あくまでも「女性の顔」だけが対象であるらしい。もしも、こういうことを例えば会社内とかで公表したとすれば“セクハラの一種”として批難されるのではないだろうか。セクハラでなくても“女性差別”や“女性蔑視”としての批難は受けるだろう。「世界」という形に変えれば、許されるのだろうか。しかも「世界で…」ということになっているが、妙に偏りが多い。例えば韓国女性が異様なほど多い。韓国はいわずと知れた“整形大国”である。したがって、ここに掲載されている女性たちが、整形していないという保証はない。それでも“美しさ”は順位をつけて競うべきことであろうか。しかも、この“美の基準”が、何度も言うように判然としていない。昔から、人種や民族や国や地域によって、また時代によっても“美の基準”は異なってきた。日本だけで言っても、平安期の「美人」と江戸期の「美人」と大正期の「美人」と昭和期の「美人」そして、いま令和期の「美人」では明らかに異なる。同一人種の同一民族であっても、時代によって“美の基準”は次々と移行している。平安時代は“しもぶくれ顔”が美人とされたし、江戸時代は“細眼うりざね顔”が美人とされた。大正時代は西洋と東洋がミックスした感じの“細面”が美人とされ、昭和時代は“目鼻立ちクッキリ”が美人の代表的顔立ちだった。正直、令和の美人顔はよく解からないが、それぞれの好みが違っていて当然ともいえる。大体、年齢によっても“美の置きどころ”が違ってくるわけで、もし“世界基準”というものがあるのであれば、まず、それをきちんと示して、現代らしくデータ化でもして、一般の人たちを納得させるものが必要だろう。もっとも、最初から、そういう意図などなくて、単なる“話題作り”的な意味合いが強いのであれば、その年の代表的“映画作品”や“舞台作品”や“写真集”など示して、載せていった方が良いと思うのだが……。

「中立」的立場が「日本」をもっとも優位に⁉

2021-12-30
改めて「世界地図」を視るまでもなく、わが「日本」はアメリカと中国の“中間”に位置している。実際には太平洋があるので距離的には“中国寄り”だが、距離的なものを度外視すれば“二大国の間”に居ることは間違いがない。少なくとも“欧州各国”に比べて“中間的な意味合い”は、いろいろな観点から明らかに強い。つまり、アメリカにとっても、中国にとっても「日本」は、ほんとうは“自国側”に属してほしい国なのだ。同じような意味で「台湾」も、必要な国といえる。特に中国にとっては、台湾は“自分の国の属国”というふうにみなしているのだから、アメリカに持っていかれてはならない“地域”ということになる。その「台湾」に対しての“見せしめ”的な意味合いが強いのが、今回の「香港」の民主系メディア関係者6人逮捕というニュースだ。要するに「かつてのような報道の仕方は、もう許さない」という中国政府の強い意志を感じる。もう実質的に“昔の香港”は無くなってしまったのだ。「香港」も「マカオ」も、もはや完全に“中国の一部”で、独立した「国」としては成立しない形となった。「マカオ」はこれまで、多くの中国人観光客や勝負師によって成り立っていた部分があるので、それらを取り上げられると手も足も出ない。だから中国には激しく抵抗できない。「香港」の観光客や商取引は欧州人が多かったので、簡単には引き下がらなかったが、それでも“強引に思想弾圧”して“一国”に纏め上げようとしている。その象徴が、今回の逮捕だ。そして、この逮捕は最初にも述べたように何よりも「台湾」への威圧なのだ。「台湾」がどんなに逆らおうとしても、やがては「香港」のように「中国の台湾にする」という宣告のようなものである。実際、ここ数年、中南米の国々が「台湾」との交流を避け「中国」との交流・交易を活発化している。ほんとうは「中国」は長期的には「日本」も欲しいのだが、そう簡単ではないことを、中国人自身が良く知っている。だから少なくとも表面上は直接的な“手出し”はしてこない。強欲な中国が「台湾」を欲しがるのは、戦略的な意味合いと経済的な意味合いと両方が備わっているからだ。「台湾」に位置は「日本」ほどではないが、さまざまな国や地域に対して“睨み”が利く。特に東南アジアに対して戦略的にたいへん有利なのだ。経済的には「台湾」は半導体において“世界のトップランナー”で、アメリカとの関係がぎくしゃくしている中国にとって「台湾」を自国に組み伏していくことが出来れば“絶対的優位”を保つことが出来る。或る意味では自国経済の“今後数十年分”を「台湾」が握っているともいえる。さて、わが「日本」は経済的には“微妙な状態”にあるが、アメリカにも中国にも完全には“属さない中立的立場”にある方が、長い目で見た場合には優位に立てる。少なくとも、どちらからも「仲良くされたい状態」を保つことが大切で、それこそが“未来の日本”を「世界の日本」として活躍させていくカギといえるのだ。

「年始のニュース」が、来年の「日本の運勢」

2021-12-29
よく占い師が“来年”のことを、あれこれ予測する。特に「日本」全体のことを占うことも多いが、ほとんどの場合は当たらない。私は昔『ムー』という“不可思議系の雑誌”の特集で、日本の代表的な占い師たち8名くらいが「新年」の“さまざまなこと”を占っているページを毎年スクラップしたが、5年くらい続けて稀に毎年1項目くらい当たる人が一人くらい居るのがせいぜいで、ほとんどの場合、ことごとくの分野で外れていた。私自身も雑誌で何年間も「新年の占い」を行ったが、当たるのは半分程度で、それ以上は難しかった。占いは、特定の問題に対して、具体的に問われたことに対しての回答は比較的的中するが、漠然とした“未来予測”というのは難しいのが実態である。大体、最近のTVは「過去を当てる」のを“売り”にしているが、過去などどんなに当たっても、今後に役立つものではない。だいいち芸能プロダクションの“お抱え占い師”が、同じ仲間内である“芸能人の秘密”を言い当てたところで“やらせ”の可能性が強く、そのまま信用できるものでもない。大体、一年の区切りが運命学的に“どこ”なのか、誰も明確に答えられない。私個人は“24節気”でいう「小寒」の頃、つまり1月6日頃が、その区切りとしてふさわしいのではないか、と実証的にも、理論的にも思っている。けれども、こういう考え方をする占い師はほとんどいない。彼らはいったい何を基準として、運命学的な“一年の区切り”を考えているのだろうか。本当は、こういうことを一流の“プロ占い師たち”と討論したいのだが、誰も、こういう“金にならないこと”には加わってこようとしない。多分それよりも、運命学的な一年の区切りを“改めて論ずる”などということ自体が怖くて出来ないのかもしれない。多くの人は知らないが、よく東洋系の占いで“立春(2月4日頃)”こそ一年の区切りと力説する人が居るが、そういう人は元々の区切りが“立冬(11月8日頃)”に置かれていた歴史があることを知らないのだ。西洋系では“春分(3月21日頃)”を一年の区切りとしている。これは通常の一年の感覚とは大いに異なっていて、通常の生活者として“年間の区切り”として捉えること自体が難しい。そういうわけで、来年の1月の“初旬”~“中旬”くらいに起こって来る「大きな出来事」「社会現象」「ビッグなニュース」こそ、その年を牽引する「日本の運勢になる」と私は思っている。さて岸田総理は、前にも述べたが「首相公邸」に12月半ばに引っ越された。それによる“運勢変化”は、そのまま日本の運勢変化にもつながる。そういう意味でも、ここ2~3週間の「日本」の出来事は来年の日本を象徴するものとなるのだ。

まだまだ遠そう日本の「キャッシュレス」時代

2021-12-28
昨日、久しぶりにATMを利用しようとしたら、どのATMも“長蛇の列”になっていた。よほど日を改めようかとも思ったが、私はそんなに外出をしないので、この後というと来年になってしまいそうな気がする。それも、ちょっと嫌だなと思ったので、長い列に並んだ。普段、街には“若い人”は少ないのに、どういうわけか、ここだけは“若い人達”が圧倒的に多い。当たり前の話だが、ATMを使うということは“現金を使用している”ということになる。「キャッシュレス時代」という言葉だけは浸透したが、この分では“我が国”で実際に「キャッシュレスの時代」がやって来るのは相当先のような気がした。ふと十数年前、私より15才くらい上の知人と話をした時の記憶がよみがえった。彼はその当時、70代の半ばだったが、今まで一度もATMを使ったことがないと言っていた。私が驚いて「どうしてですか?」と訊くと「いやぁ、信用できないからね」と頑固に言い放った。「でも、それじゃ、お金を下ろすとき、どうされてるんですか」と訊くと「もちろん、銀行の窓口に行くよ」当然でしょ、と言わんばかりに応えられた。確かに我々だって昔はそうしていたのだった。いや、今でも“大きいお金”の時には、そうしているではないか。人は、或る行為に慣れると、昔を忘れていく。もし日本で、もっとキャッシュレス化が進んだなら、こうして各所のATMに“長蛇の列”を作ること自体が無くなるに違いない。若い人たちの多数が、ここに並んでいる限り、日本でのキャッシュレス化は進みそうもない。中国などは、あっという間にキャッシュレス化が進んだが、その理由の一つは“偽札”が多いからのようである。つまり「現金」が信用できないからキャッシュレスに向かったのだ。そういう点から言えば、確かに思い当たることがある。海外では妙に“お札”の汚れている地域が多い。日本は余程のことがない限り“しわくちゃな札”にお目にかかることはないが、海外では洗濯でもしたのではないか、と思うような“しわくちゃな札”を手渡されることが多い。もっとも、現金というのは銀行側にとっては“維持費”の掛かるものなので、早期にキャッシュレス化に持っていきたいということで、各銀行が独自の“デジタル通貨”への移行を進めている。やがては、年末年始であろうと、ATMが閑散とする時代がやって来るに違いない。

「69m金色座像」と「41mブロンズ涅槃像」

2021-12-27
世界的な観光地といえども、コロナには勝てない。ということで我々が知らない間に観光地に“新たなる見もの”が出現していることは多い。例えばバンコクだ。さまざまな仏教寺院や遺跡などで“見どころ”は多いのだが、今年の6月にまた“もう一つ”新たな見ものが誕生していた。それがワットパクナム寺院に出来たパブッタ・タマガーイ・テーモンコンなる金色の仏像である。何しろバンコクの中心街ではないが“座像”なのに69mもあるので、街中からでも胸部以上が望見出来るのだ。元々金色だが、バンコクの夕日を浴びると、より妖しく輝く。何度もバンコクに行った人だと「もう寺院はいい」となりがちだが、街中からでも視ることが出来る金色の座像には何となく手を合わせたくなるではないか。日本にも、そういう意味で言えば“何となく手を合わせたくなる仏像”はある。しかも、この仏像、横になっている。いわゆる「釈迦涅槃像」というやつだ。昨日、その涅槃像に対して“御身拭い”と呼ばれる行事が参拝客も含めた二百名以上で執り行われた。福岡県篠栗町にある南蔵院というのが、その涅槃像のある寺院だ。ブロンズ製の美しい涅槃像は横41mもある。縦は11mだが、それにしても大きい。ブロンズ像としては“世界一”と言われる。真言密教系の寺院だが、ここの住職である林覚乗氏は“ジャンボ宝くじ”で1億3000万円を射止めたことでも有名らしい。そのせいか「宝くじのパワースポット」という形でも広く知れ渡っている。この寺院で発売している“大黒天をかたどった御札”が金運を引寄せると評判だ。元々は「出世大黒天」という形で、金運というより出世運を“売り”にしていたのだが、いつの間にか“宝くじ運”に変わったようだ。通常の寺院は“宝くじ”のような現世利益的な効能を嫌うのだが、ここは密教系なので、涅槃像や大黒天のやや“東南アジア系の仏教”を想起させるのが特徴だ。さてバンコクに出現した69mの金色座像も魅力的だし、福岡に存在してきた(私が知らなかっただけかもしれない)41mの釈迦涅槃像も魅力的である。そのうち機会があったら両方とも視てみたいものだが、最近は齢なので、長時間飛行が私はおっくうである。私は寺院に限らず、宗教遺跡や宗教施設を観て歩くのが好きだ。特に、ほかのことろには無いようなものが存在している所は、私の好奇心を刺激する。そういう点で言うと、がらんとした空間だけのイスラム寺院はちょっと寂しい。日本の神社も、もう少し独自性があっても良いような…。

“ガチ梅沢流”これこそ本当の「NGなし」回答

2021-12-26
よく芸能人が「ガチで答える」とか「本音でぶっちゃけ」とか「NG回答なし」とか、番組のサブタイトルには記されていても、いざ実際にトークやインタビューが始まると、肝心の部分に“ピー”が入るなどして判らない場合が多い。そういうTV番組が多い中で、感心させられたのがTOKYO MY「5時に夢中」にゲストで出演した梅沢富美男氏の「ノーコメントで3問以上」答えれば“豪華景品”という触れ込みの“即答型インタビュー”だ。そこで彼はすべてに即答し、今の住居は30年前に3億ぐらいで購入したこと、150坪くらいであること、NHK紅白に出演した時のギャラは7万円だったこと、一番嫌いなTV局はNHKであること、いま浮気したい女性タレントは熊切あさ美氏であること……など、ズバズバと答えていった。もちろん、生番組だから“ピー”も入らない。その結果として彼には“うまい棒が1000本”という賞品が与えられたのだった。まあ、自宅の購入価格などは、30年前の購入であれば答えても支障はないだろうが、嫌いな放送局名はタレントである以上、多少は忖度しそうなものである。“お呼び”がかからなくなったら困るからだ。彼は、この点に関して、自分は“時代劇俳優”であるのに、NHKの歴史大河ドラマから声が掛からないことを不満に思っているようだ。確かに、下手な芸人俳優を起用するなら“時代劇俳優”を起用するのが、本来から言えば“筋”のような気はする。日頃、オヤジタレント的な役割の多い梅澤氏だが、やはり“時代劇俳優”としてのプライドは強いのかもしれない。さらに、いま「浮気したいタレント」を訊かれて、即座に「熊切あさ美」の名を挙げた。それもちゃんとした理由があって、最近購入した彼女の写真集を観て、そのお尻の大きさが気に入ったらしい。そういう部分がいかにも“本音”という感じがして、何らかの思惑があっての“名前出し”ではなく、ほんとうに「浮気したい」という気持ちの表れとして何と素直な反応だろう。多くの芸能人も、少しは彼に見習って“本音でぶっちゃける”番組を増やしてほしいものだ。番組欄などで「ホンネで…」というのに限って、何かの宣伝だったり、TV局側や事務所側からの指示だったり、誰かに対しての忖度があったり、“ピー”が入ったり、ちっとも“ホンネ”になっていないものが多すぎる。いや、そうあっても良いが、それなら“ガチで”とか“ホンネで”とか書かないでほしい。

「令和」という元号が“元凶”ではない証明を…

2021-12-25
「そんなことを言ってはいけません」と、誰かに言われそうである。そうかもしれないが、もしかすると誰もが“うっすら”感じているかもしれないことなので、まあ、その代弁だと思ってもらいたい。「令和」という元号に変わってから、どうも「明るいニュースが少ない」という話だ。もちろん、これは「日本」に限ったことではなくて、世界的な現象でもある。だから「令和」に“それ”を持っていくのは、いささか“可哀想”なことではある。季節的に「冬至」が過ぎて「クリスマス」が過ぎると、もはや「来年」が気になる。誰でも「来年は“好い年”になってほしいなあ」と漠然とではあっても思う。どうして、今年と来年とでは“違う”と、思うのだろう。それは誰もが、本能的に“年ごとの違い”というものを感じているからだ。別に、占いなど信じていない人であっても、なんとなく“その年ごとの違い”というものは本能的に感じ取っている。そして、奇妙なことには、その区切りは、なんとなく“年末年始辺り”に置いている。どうして誰もがそう感じるのか、よく解からないが、とにかく“年末年始辺り”が区切りの時、変化の時節であることは、何となく感じてしまうものなのだ。実際、われわれの記憶は“あの年”という括り方をする。「あの年はとっても幸運だった」とか「あの年は災難ばかり起こった」とか「あの年に出逢っていなければ今日は有り得ない」とか「あの年からすべてが変わった」とか……だから、そういう意味で「日本国」の元号である「令和」は、日本人全体の運命を秘かに導いている…と思ったとして不思議はない。そういう意味で「令和」が“元凶ではない”証明を、来年に求めたくなるのは、私だけだろうか。何しろ「令和」に変わってから「我が日本国として、こんなに素晴らしいことはない」と思うような出来事が、今のところ、見当たらないのだ。前にも書いたことがあるが、昔の為政者は勝手に元号を変えた。不吉なことが続くと、“その元号”は縁起が悪いとして、新たな元号に変えたのだ。だから、ものすごく短い元号期間というものがある。別に、そうした方が良いと言っているわけではなくて、そうしたくならないように“幸運な出来事”“晴れやかなニュース”“明るい話題”が、次々と登場する“新年”となってほしいのだ。そうすれば誰もが「令和」に対して“良い記憶”を刻むことが出来る。例えば、日本の科学者が世界的な大発見をするとか、日本の楽曲が世界的に大ヒットするとか、日本近海で海底油田が発見されるとか……何でもイイから「日本」として“悦び溢れる”ような、そういう出来事がやって来てほしい。

「ネット販売の女王」は「脱税の女王」だった

2021-12-24
中国のオンライン通販は、日本人から見ると“異様なほどの熱気”がある。日本でも通販番組はいくつかあるし、その“生配信”というのも、それなりに活気はある。けれども、中国のような“異様な熱気”を感じたことはない。一つには“市場規模”が異なるからで、その結果として“巨富を得る人物”などが出て来ることになる。12月20日に「脱税」によって摘発された美人女性も、そんな“通販ドリーム”から誕生した「生配信の女王」と呼ばれていた黄薇だ。彼女は「ビヤ」というインフルエンサー名を使って、いくつもの通販番組で活躍していた。そのフォロワー数は1億1000万人とも言われる。そりゃ、ものすごい“売り上げ”に結び付くわけだ。11月11日の「独身の日」などは、一晩で1500億円を“売り切った”と言われる。そういう彼女なので、わざわざ「脱税などしなくても…」と私などは思ってしまうが、どういうわけか、中国の“金持ち”は総じて“お金に汚い”人物が多い。彼女の逮捕容疑は2019年~2020年にかけての売り上げに関するもので、つまり一年間だけなのだが、それでもその脱税の“未納金”“追徴課税金”“罰金”を合わせると、日本円で238億円になる。確かに、それだけの税金だから、ごまかしたくなるのかもしれないが、わざわざ脱税しなくても“ものすごい収入”であったことは間違いがない。最近の中国はSNSや通販の普及で、こういった“たなぼた式の大金持ち”が多数出現、貧富の差が大きすぎることが“問題視”されている。習近平政府は、その是正に躍起となっていて、その一つの政策として、こういった“成金富裕層”への監視体制を強めている。日本ではいくら“通販ドリーム”で大金持ちになったと言っても桁が違う。中国の場合は13億の人口を抱えているので、どうしても“偏り”が出て来る。ハッキリ言って「経済的な平等」を謳っても現実的には不可能ではないだろうか。そういう意味で言うなら、日本の場合には島国で言語も統一され、民族的にも大体統一し、教養程度も似通っているので、或る程度まで“収入格差を減らす”ことは可能なような気がする。一時期、総中流意識が浸透していたが、あの頃がもっとも格差が少なかったような気がする。いまは徐々に“格差が広がって”特に“貧困層”が増えてきているので、それを喰い止める努力をしていかないと、今の中国のように“取り返しがつかない状態”に陥りやすい。やっぱり、いま考えると“総中流意識”を国民が持つって、素晴らしいことなのかもしれない。

プロである「松田聖子」は「紅白」に出る⁉

2021-12-23
私は、俗にいう“気を遣う”ということをあまりしない。もちろん、社会的な常識の範囲内で“気を遣わなければならない場面”では、気を遣う。けれども、それを必要とするのかどうか、微妙なところでは基本的に“気を遣わない方が良い”という考え方を持っている。とかく日本人は、必要以上に“気を遣いたがる”ところを持っている。だから逆に対人関係の場面で“ぎくしゃくする”と、もう元に戻れなくなったりする。さて、神田沙也加氏の急逝で、その母親である松田聖子氏の「紅白出場」が微妙になっている。基本的には“出場者”の中に入っているのだが、実際に出場するのか、出来るのか、何を歌うのか、まだすべてが決まっていない。ディナーショーも取り止めているので「出場自体が難しいのではないか」というのが大方の観方であろうと思う。けれども、私は多分出場するだろうと、普通に思う。そして“我が子=沙也加”に関係した曲目を歌うに違いない。途中で泣き出すかもしれないが、そういう形をとるだろうと、私は思う。紅白の出場自体を占ったわけではない。あくまでも私の直感に過ぎない。だから外れるかもしれないが、彼女は“プロ中のプロ”である。よく役者は“親の死に目に会えない”と言われる。歌手だって同様だ。それがプロなのだ。ディナーショーは観客との距離が近く、トークも必要で、普通に歌を歌っていれば良い場ではないので、中止の方が良い。けれども「NHK紅白」のような“特別枠”や“別撮り枠”を指定できる歌謡ショーの場合、“今年の総括”としても出場した方が良い。そうしないと、かえって来年のスタートが難しくなる。大体が歌手というのは、心を込めて“歌える場面”があった方が聴く者の胸に響く。プロ歌手である彼女は、言われなくても、そんなことは百も知っているはずなのだ。これまでだった彼女は、例えば“郷ひろみ氏との別れ”を泣きながら語った後にも、それから時を経ずして“神田正輝氏との婚約”を晴れやかに発表した。その時々の感情的な変化や状況的な変化を、或る意味では見事なまでに“新曲”に込めた。そうやって「歌手・松田聖子」を作り上げてきたのだ。今回は“特別”と、どうして言えるだろう。もしかすると“特別枠”でも“別撮り枠”でもなくて、全身全霊を込めて、我が児へ向けて歌うのではないだろうか。

日本の「肝っ玉母さん」聖子氏の“古本募金”⁉

2021-12-22
いぶかしる人たちも多かったが、日本の“肝っ玉母さん”ともいうべき野田聖子氏の「こども政策担当相」としての地道な活動が眼を引く。21日の昼間も国会内に設置した段ボールに自ら率先して古本を何冊か投入した。そうして一般の人達だけでなく、国会議員に対しても、それを呼び掛けていく。さすがにそういう点、ただ単に“目立ちたがり屋”で総裁選に立候補しているわけではない。私は知らなかったのだが、実は5年前から内閣府や文部省などが率先して「こどもの未来応援国民運動」なるものが行われていたらしい。地道な活動なので、マスコミもあまり大きく報道しなかったのかもしれない。要するに「こどものみらい古本募金」と名付ける運動で、既に読み終えてしまった古本をサイト経由で“古本買い取り販売”の「バリューブックス」に送ると、その査定金額が“子ども食堂”や“学習支援団体”など、貧困を抱える子供たちを支える団体へと自動的に寄付される仕組みになっているという。そういうシステムがあったのか。おそらく多くの方は知らないのではないだろうか。“子ども食堂”の取り組みを評価しても、いざ自分がそれに参加できるかというと、普通なかなか難しい。そうはいっても、多少なりとも寄付できるようなシステムがあるのでああれば、それも手間を省く形で“読まなくなった古本”を「バリューブックス」に送るだけで可能なら、誰もが可能だということになる。子ども達の貧困支援に関しては、さまざまな団体が取り組んでいるが、その継続性とか透明性とかは、必ずしも信頼できかねる団体や地域もある。そうはいっても、やらないよりは、やる方が良い。ボランティアの方々のように本格的に取り組むのは難しくても、気が付いた時に、さりげなく、ちょっとだけ手助けするみたいな形が、実際には長続きもするし、世の中の“動き”としても望ましい。高度成長期やバブル期には視られなかった“貧困世帯”が確実に増えてきている以上、せっかく「こども庁」を設置したのだから、もっと“大きなうねり”となるような取り組みを行政だけでなく、マスコミも加わって行うべきだろう。若い人気アイドルたちが次々と行うなどしていけば、あっという間に拡散するだろう。こういう時こそSNSを大いに活用しなければならない。

「ダウ急落」して「日経急騰」となる可能性⁉

2021-12-21
12月7日にも書いたように岸田総理は自宅から「首相公邸」へと引っ越した。私がそれを書いて数日後のことである。「幽霊が出る」という“噂ある”いわくつきの公邸である。その後、特別な問題も起こらず「日本国内」は経過しているように見えるが、どうも安定していないのが「日経平均」だ。ここ二日間で1000円以上も下げている。その前日には600円近くも値上がりしていたのに…。つまり、そのせいかどうかは分からないが、引っ越しが住んで以降の「日経平均」は妙に“不安定”で上下激しく変動している。もちろん、それは日本固有のことではなくて、その直前まで“アメリカ株”が取り引きされているので、その影響を受けてのことでもある。ただ「ダウ」や「ナスダック」は金利動向の影響を受けた“調整の範囲内”で済む話だが、我が日本の株価はアメリカほど話が単純ではない。前にも述べたが、日本の株価は「日本」の事情で動いているわけではない。“世界経済の先読み”で動いている。したがって、アメリカが咳をすれば、日本が風邪をひくのだ。いや、アメリカだけでなく、中国が咳をしても、欧州が咳をしても、日本が風邪をひく。だから、日本経済というのは「みんな咳きしないでね」とお願いするしかない。いまなら「みんなオミクロン広げないでね」とお願いするしかない。日本の株価は“外国人投資家”で動く。特に“短期先物買い”の強力ヘッジファンドで動く。特に“意味なく下落する”時には、そうだ。例えば今日は、アメリカの「ダウ」は500ドル以上も下げている。したがって普通に考えれば「日経平均」も再び500円以上下がっても仕方がない。けれども、最近の「日経平均」は“先回りしすぎ”なので、もう昨日の段階で“目いっぱい下げて”しまっている。だから今日のようなときには、もっと“先回り”して急騰していっても良いくらいなのだが、残念ながら“買い手”が居ない。もう買ってくれそうな欧米ヘッジファンドは“クリスマス休暇”に入ってしまった。彼らの“クリスマス休暇”は長い。日本のように年末ぎりぎりまで仕事をしたりしないのだ。そうなると、大きく“買い上がってくれる”主体の投資家が居ない。日本の個人投資家の“買い”など、すぐにつぶされる。ただ「日経平均」に“もう下がる余地”が残っていないのは間違いない。だから通常なら“急騰”すべきなのだ。「首相公邸」を幽霊が占拠していない証としても、ここはぜひ“岸田総理の運試し”で急騰に賭けたい。

「芸人」「声優」の“人気後追い”の危険性

2021-12-20
私には最近、気になっていることがある。マスコミの世界で「芸人」と「声優」で“占める枠”が大きくなってきていることである。同じような出来事があっても芸人や声優が加わっているような事柄は大きく報道する。世間的にも、そういう人達に対しての“人気”や“羨望”が強まってきているよう感じられる。けれども、そのどちらもが本来は“芸能のわき役”で、本道そのものではなかったはずなのだ。それが、いつの間にか、その領域を徐々に拡大し、われわれの“暮し”に深く根付き始めている。ワイドショーとかバラエティーの“顔”として、今や完全に主役的な役割を演じ始めている。だから、子供たちの中で“憧れの職業”に変わりつつある。時代、時代によって、大衆の“憧れを持つ職業”に変化が出て来るのは致し方がない。けれども、その“分野の人気”が頂点に立っているとき“それ”を目指すことは、自ら“いばらの道”に突き進んでいくようなものであることを、もっと浸透させておく必要がある。昨日「M-1グランプリ」で“漫才の日本一”に挑んだ「錦鯉」が見事その栄冠を手に入れた。「錦鯉」の長谷川雅紀氏は50歳で“最年長チャンピオン”となった。そのこと自体は、年齢に関係なく“栄冠を手に出来る”という見本を示した形で大変に悦ばしい。但し、だからといって誰もが“そうなれる”わけではない。世の中には、さまざまな分野で“標準年齢”を過ぎながらもチャレンジし続けている人達がいる。けれども、その中から、いったい何人が“栄冠”を手に出来るか。TVなどのマスコミが“下積み”で苦労している人達に「夢」を与えることは素晴らしい。けれども、それによって供給過剰となって、その仕事から“あぶれる人達”が多数出て来るのも世の常なのだ。例えば、長谷川雅紀氏が「お笑いに向いているか」と問われれば、即座に「向いていない」と運命学的には答える。但し、彼には“役者として成功する素質”がホロスコープ的に示されている。したがって、所属事務所が“そういう方向性”で今後売り出すようにしていけば、十分に将来を保証できる。最近は、若い声優たちの“活躍”も目覚ましい。昔は、どちらかというと“裏方的な仕事”だったのに、今では一流アイドルのような活躍を見せている人達も多い。ただ声優というのは、どう考えても“狭き門”で、よほど人気を出さなければ、それだけで芸能人として暮らしていくのは容易ではない。個人的な“才能”だけでなく“運”と“タイミング”も、成功への鍵だと知ってほしい。 « Older Entries