7月, 2026年
2026-07-27
厚生労働省の調査によると、日本人の平均寿命はほんの少しずつ長くはなっているものの、基本的にはあまり変化ない状態が続いていて、男性は81歳くらい、女性は87歳くらいで推移している。この数字は、女性の方は「世界1」であり、男性の方は「7位」くらいに当たるらしい。どうしてそうなるのかわからないが、日本の女性は長生きなのだ。男女とも合わせた平均寿命では、大体、毎年そう大きな変化はなくて「日本・スイス・シンガポール」の三カ国が、84~85歳という感じで“長寿国”となっている。スイスとシンガポールは経済大国で、それが長寿していくうえでの基盤となっているような気がするが、日本の場合には経済的な面ではちょっと疑問で、そうすると“医療機関が充実している”ことや“食生活の在り方”が、この数字を創り出しているような気がする。もう一つ重要なのは、日本における“医療福祉”の部分で、他の国に比べて、こと医療に関しての福祉関係は整っているような気がする。では、日本の場合、どうして男性と女性とでは、その寿命に6歳くらいの開きがあるのだろうか。一つには、男性たちは年齢が行っても“働き続けている人達”が多いということが関係しているような気がする。女性で高齢でも働き続けている人と、男性で高齢でも働き続けている人とを比較すると、圧倒的に男性の“働き続けている比率”が高いように思われる。海外の男性たちを観てみると、高齢に達すると、のんびり余暇を過ごしている人たちに出遭う確率が高い。たぶん、健康であるかどうかには関係なく、或る程度の年齢に達したなら、長時間勤務の仕事などは、身体に負担がかかりやすいのではないだろうか。したがって日本の男性たちも、高齢になったら、労働時間を減らしていくよう変えていけば、もっと男性の平均寿命も延びていくに違いない。もう一つ、日常生活に支障のない「健康寿命」という観点から観てみると、男性は73歳、女性は75歳と、その距離がグッと縮まる。そして、この数字は、日本の医療が進んでいることの証しでもあるが、同時に多くの人達が70代の半ば近くになると、もう“何らかの疾患を抱えている”証でもある。もしかすると女性の健康寿命が10歳以上も縮まってしまうのは、社会的労働から早くに遠ざかってしまうこと…とも微妙に関係しているのかもしれない。
2026-07-26
昨日、私的な用事があって、同じ札幌市内の中でも“普段は行かない街”へと出向いた。そこは“昔からの人たち”と“学生たち”とが共存しているような街だった。考えてみると、もう札幌に定住してから50年くらいも経っているのに、ほんとうに自分が“知っている地域”なんて数えるほどしかない。札幌の街の中心とか、主要な地下鉄駅の周辺とか、何かしら必要性があって何度も行ったことがある場所付近とか、わたしの知っている「札幌」なんて、そういう点から言えばほんとうに少ない。とにかく昨日の街は、そういう意味ではほぼ“初めての街”を訪れたような印象深さがあった。何よりも印象深かったのは、古くからやっているに違いない“小さなお店”が多かったことだ。いつの間にか“大きな商業施設”に慣れてしまったせいか、こういう昔からの“小さなお店”というのが何故か妙に懐かしい。ところが、どのお店も意外なほど…というと失礼かもしれないが、地元の人達で繁盛している。わたしは小さなパン屋さんでパンを買い、その向かい側の二階にあった小さな食堂で食事をした。店名が何だったか憶えていない。だから、食堂と書いたが、実際にはレストランだったかもしれないし、カフェだったかもしれない。とにかく、食事のメニューには珍しい名前のものがあって、興味深かったので、それを注文した。わたしが「食堂」と書いたのは、大昔、わたしがまだ室蘭市に居た時、よく行ったお店に雰囲気が似ていたからだ。その店だって名前は憶えていないが、物でも、人でも、店でも、わたしは若い時から固有名詞を憶えるのが苦手だった。まさか昨日入った店が、わざと“レトロ風”に改装して始めていたわけではないと思うが、そこに置かれてあった椅子も妙に重くて、それでいて小さくて、テーブルに掛かっているビニールなんかも、懐かしい趣を持っていた。たぶん、学生街だからだろう、そこのご飯は最初から大盛りで、小皿の品もいくつか付録に付いて、そのどれもが“むかし懐かしい味”がして美味しく食べれた。いま「むかし懐かしい味」と書いたが、ほんとうに“そういう味”だったのかはよくわからない。もしかすると、その店の雰囲気が、わたしに“大昔の懐かしい場面”を想起させ、そういう味に思わせたのかもしれない。最近では“上品な店”が多くなったせいか、食べた後で“お腹いっぱい”と感じることは少ないが、昨日は文字通り“お腹いっぱい”という感じで店を出た。そうして、その街の“小さなお店”の前などを歩きながら、もうお店を出た後なのに街自体が“懐かしい風景”に視えてきた。そうして、日常の細かなことなど、どうでもよくなってきた。郷愁というのは、不思議なほど“癒し効果がある”ものだと歩きながら気づいた。癒されたければ“レトロな街”を歩き、レトロな店に入れば良いのだ。
2026-07-25
阪神の才木浩人投手は昨日、対巨人戦で“11連勝”という大記録に挑んでいた。そして8回まで巨人打線を0点に封じ、このままいけば63年前に権藤博投手が達成した“対巨人戦11連勝”という大記録に並ぶはずだった。そして九回二死まで、いや「あと1球」というところまで……完封は目の前まで来ていたのだ。当然、阪神ファンは「あと1球」大歓声コールだ。ところが、ここでドラマが起こる。巨人のダルベック選手が逆転2ランを放ったのだ。打たれた瞬間、才木投手はその場に座り込み、その後、約30秒間そのまま動けなくなった。九回二死まで完封ペースで来ていながら、最後の最後で打たれてしまう……という場面は時折出現する。野球というスポーツは、1球で“勝ち”が“負け”に変ることがある競技で、そこに勝負としての醍醐味もある。それに、チームのエースが振り返り、マウンド上でガックリ膝を落とすこともたまにある。けれども、この日は日本で63年前に打ち建てられた“大記録”が掛かっていた。当然、9回まで完封ペースで投げて来て、本人の中でも“記録”は意識する。あと一球コールが背後から響けば、なおのこと意識する。けれども63年間、誰にも打ち破られて来なかった記録というのは、それなりの“重み”をもっている。記録は、特にスポーツ競技の記録は、次々と“破られていく”のが普通だが、そうではない記録もある。そして、ずっと打ち破られて来なかった記録は、多くの場合、日本の球界を代表するかつての名選手が持っている。その記録に並ぶことは、その名選手に並ぶことなのだ。もしかすると才木投手は、まだ権藤投手に及ばないところがあるのかもしれない。わたしは権藤投手の現役時代をあまり知らないが、ただ野球解説者になってからの権藤氏の解説はときどき聴くことがあった。そうして、この人の何とも言いようのない人間味のある声や物言いに、深く興味を持っていたものだ。そうなのだ、もしかすると、まだ27歳の才木投手にはまだまだ“人としての権藤博”に足らない部分を持っているのかもしれない。それを持ち合わせるようになった時、彼はただ単に“並ぶ”だけではなくて“抜いていく存在”になっていくに違いない。
2026-07-24
今からもう50年以上も前の事件なので、忘れている人や知らない人も多いことだろう。それが当時の赤軍派テロリストだった岡本公三らが行ったテルアビブ空港乱射事件だ。実行犯は日本人三人だったが、その内のふたりは銃撃戦の中で死亡し、岡本だけが生き延びて逮捕となった。当時まだ24歳の若者であった。或る意味で過激派テロとしての乱射事件は計画を達成し、そこにたまたま居合わせた100人が死傷している。逮捕された岡本は裁判にかけられ「終身刑」となった。実の父親は死刑を望んで嘆願していた。ところが、その13年後に“捕虜交換”が行われ、その結果、岡本は釈放され、国際指名手配とはなったが、政治犯としてレバノンに亡命し保護されることになる。こうして、岡本は比較的安全な形で、その余生をレバノンのアパートで過ごすことになったのだ。その岡本が7月23日78歳で病死したことが報道された。これを思想的な観点とか、歴史的な観点とか、政治的な観点とかからも書くことは出来るが、ここでは“占い的な観点”から記してみることにしよう。彼の四柱命式を観ると月干のみに「劫財」が表出していて、わたしが昔から「事件トラブルに巻き込まれやすい運命」の一つのタイプとして指摘してきた型に当てはまる。ホロスコープの方では、その出生時において太陽が木星と“0度一体化”して生まれていることが注目される。これは何らかの形で“生命が保護されやすく”目上からの引立てを受けやすい人生であることを物語る。テロ事件というのは、大体が“死を覚悟して”引き起こす事件だ。この場合でも、彼は当然、仲間たちと共に死亡するのが本来の姿だ。ところが、彼は生きて掴まり、しかも、裁判でも何故か「死刑」ではなく「終身刑」となった。そして13年後には“捕虜交換”という形で釈放され、レバノンで“政治亡命”が受け入れられたのだ。最近では日産のゴーン元会長が“同じ道”を辿っている。必ずしも、生きながらえたから幸運とは限らないが、ただ「運命の神」が彼の人生にも、奇跡をもたらしたことは間違いがない。岡本は途中から、自ら望んでイスラム教徒となった。文字通り「神」に保護される人間となった。果たして、死して後にも、この法則は活かされ、彼は“聖戦を生きた戦士”として神に称えられながら、天国の扉を拓くのだろうか。
2026-07-23
「ヒューマノイド」というのは「人間のような…」という意味だから早い話がロボットだ。この分野では中国が著しく先を行っている。とにかく、あらゆる分野の“ヒューマノイド型のロボット”を開発中なのだ。但し、中国らしいと言えばらしいのだが、それぞれの分野には特化しているが今一つ“人間的”という感じのヒューマノイドは、わたしの知る限りはまだ誕生していないような気がする。どういう部分での“人間的”を求めているのかと言えば、子供達を“教え導く”という意味での“倫理観を持ったヒューマノイド”のことだ。生成AIの進化で、いまや、そういうことも身に着けられる時代に変わりつつある。どうして、そんなヒューマノイドが必要なのかと言えば、先日、文部科学省から考えさせられる調査報告が上がった。ここ15年で公立の小・中・高校の教職員の退職理由として「精神疾患」を理由とする人が二倍以上に増えているからだ。15年前までは600人だったのが、昨年度は1300人以上となっている。特に小学校教員は800人を超えていて、いかに“精神を病みやすい職場”であるかが浮き彫りとなっている。昭和の前半までは、学校の先生と言えば、子供達を預ける保護者の誰もが“敬意”を抱いていた。なにしろ、子供達の将来が、先生たちの指導一つに掛かっている……と思われていたからだ。両親が敬意を抱けば、当然のように子供も尊敬・信頼を抱く。現代は、それがない。子供達の両親で、学校に対して、或いは教師たちに対して、日頃から敬意をもって接している人達など見たことがない。どこか“疑惑と不信の眼差し”で教職員たちを観ている。当然、それらは子供達にも伝播し、心から先生を信頼して“教えを乞う”という姿勢がまったく見られない。そういう中で仕事をしていくのは大変だ。特に子供たちを扱い慣れていない若い先生たちにとって、そういう子供たちを相手に仕事をしていくのは、よほどの覚悟がなければできるものではない。子供達が小さなうちから携帯電話を持つことも、教師として指導していくうえで、プラスに働くとは思えない。結局“子供たちを扱う”というコツのようなものが掴めないうちに、精神を病んでしまうケースが多いのだと思われる。こういう過酷な環境に強いのは、精神が病まないのは、我らがヒューマノイド教員以外にないではないか。彼らに対しては何よりも“日本人の倫理観”を強く埋め込み、そのうえでの教育知識を習得させる。相手がヒューマノイドと判っていれば、子供達も接し方に困惑しながら徐々に近づくので、問題が生じにくいのだ。そういう風に変えていくことで、幼い頃から“日本人らしい倫理観”を習得した子供たちが次々と誕生していくことになる。
2026-07-22
ドル円相場が静かに動き始めている、昨日から今日にかけ“1ドル=162円”を突破し“1ドル=163円台”へと突入している。あれあれあれ…という感じである。「1ドル160円が限界」などと言われていたが、もうとっくに“そういう限界”は突破し、静かに静かに“163円の壁”を通過してきている。こうなってしまうと、もうかえって日銀が介入して「円安を是正しよう」などと思わない方が良い。だいたい、介入するなら、もっと早くに介入すべきで、その時機を逸したのだから、下手に介入すると、もっと急速に円安方向に進む可能性すらある。今回の場合、投機筋が円安誘導している雰囲気は乏しい。何となくの世界情勢が自然に引き起こした“ドル円相場”という感じなのだ。こういう場合、一気に164円まで進めば“日銀介入”もしやすいが、徐々に徐々に押し上げられるような感じでの“ドル高相場”は手出しがしにくいのだ。また、仮に介入しても、短期間で“元に戻る”可能性が強い。それに、より本質的なことを言えば、現在の状況は「ドルが本来の価値に戻った」というのが正しく、その結果として“円安”が進んだ…ということにすぎない。なぜなら日本円は、これまでにもユーロに対しては“円安”がじりじり進んでいた。このところのドルは、世界全体で視ると“ややドル安”だったから、一時的に“ドル円”は160円付近で留まっていただけなのだ。つまり世界的な視点で視ると、必ずしも「円安に動いた」のではなく「ドルが本来の価値を取り戻した」ということに過ぎない。その証拠に“金価格”は一時期に比べて大きく下がり、完全に「値動きが止まった」状態にある。つまり資金を「金に変えていた人々」が再び「ドルに戻した」というのが、今回の状況なのだ。したがって、そういう点から言えば「円安を是正する」という状況ではないのだ。もっとも、それではこのまま「傍観すべきか」と言えば、そうでもない。この状況を静かに喰い留める一番の決め手は、日銀の「もう一段の金利上昇」を、早期に行うべしという市場からの“催促”だともいえる。つまり、日銀は利上げしたばかりなのだが、次の日銀会合でも「再利上げ」を決めなければ、さらなる“円安を招く”という“静かなる警告”としての“1ドル163円突破”の現象であることを知らなければならない。
2026-07-21
わたしは若い頃、会社勤めをしていた。もっとも私が勤めていたのは“零細企業”という部類の会社で、当然ながら給料も安く、ボーナスも低かった。いくつかの会社を経験したが、時代が時代だったので、わたしは社長に対して言いたいことを言い、残業があっても極力せずに帰った。ハッキリ言って、わたしは会社勤めに向いていなかった。ただ自分でもそれは自覚していて、将来的には“占い師”になるか“作家”になるか、どちらかになると決めていた。極力早くそうなりたい、と思っていた。会社勤めに対して執着がないから、勝手なことを言い、勝手な行動をとったりもした。そのかわり仕事の技術そのものには手を抜かなかった。それに、仕事以外のことで、わたしは会社に貢献していた。その一番は「社内報」を創始したことだった。会社内の人達の家族にまでスポットを当て、写真とか、子供の絵画とか、文章とか載せ、単なる社内報の域を超えていた。当時20代前半の若者であったが、仕事時間中にも、自分の上司にも、原稿執筆をお願いしたり、写真撮影に協力して貰ったりした。多少、暴走しがちではあったが、それでも会社内で、わたしのように企画・編集から執筆迄何でもこなせる人物はいなかったから、そして出来上がったものは、社内報としては華やかな異色の内容だったから、内外から評判が良かった。社長は特に喜んでいた。なにしろ、その一面には女子社員の大きな笑顔と共に、自分が書いた社員への巻頭言が載る。そういう社内報はどこにも見掛けない。自慢できるのだ。だから、わたしは残業もせず、欠勤も多かったのだが、誰からも叱責を受けなかった。いまのような時代だと、わたしのような者は入社すら難しかったかもしれない。ところで、今は“夏のボーナス”時期だ。こういう時期になると、わたしは今更のように会社員の人達が羨ましくなる。ボーナスの出る生活はいい。暮しに“潤い”が生まれるではないか。大企業と零細企業では、このボーナスにおいて大きな格差が生じる。今年の賞与年間ランキングでは、三菱商事がトップで477万円、キーエンスが2位で411万円、東京エレクトロンが3位で338万円となっている。大手商社とハイテク企業が儲かっているようだ。ただ、どちらの企業も忙しそうではある。わたしはやっぱり今でも「自由」の方を択んでしまいそうな気がする。
2026-07-20
「韓国」の総合株価指数KOSPIの下落が止まらない。先月半ばまではどこよりも急騰していた株価指数だ。それによって韓国経済は完全に二極化が進んでいた。わが「日本」にも似た要素はあるが、韓国経済ほど極端ではない。「韓国」の株価指数は、アメリカの半導体指数SOXを抜きには語れない。まるで相似形のようにSOX指数と同じような曲線を描いて、韓国の株価は急騰してきたのだ。しかも、重要なことは、そのチャート曲線は上がる場合も下がる場合も、SOXよりもやや激しい。その結果として、韓国は今年になって世界一株価が急騰する国になった。ところが、いまその逆流が始まっている。つまり、今月に入ってからは下落が止まらなくなっているのだ。その影響を強く受けているのが日本のAI関連株だ。「日本」は韓国ほど急騰したわけでもなく、韓国ほど急落しているわけでもない。とは言っても、こと“AI関連株”に限って言えば、韓国の株価とそれほど変わらない。したがって、どうしてもSOX指数やKOSPI指数の影響は受ける。ここにきて先月までもてはやされていた日本のキオクシアも急落し続けている。さて韓国の方だが、一応、急騰以前の株価水準付近まで指数が戻っている。それはアメリカの半導体指数の方も同じで、そういう点では、一応の“急落調整”は果たしたのではないか…と、わたしは視ている。今回の場合、韓国の投資家たちはレバレッジを掛けて購入しているので、一応の調整は済んでも“損切りせざるを得ない人々”が多数いる。したがって、日本のキオクシアの方もそうなのだが、まだ完全に“再浮上”は出来ない。しばらくは“行ったり来たりの展開”となる可能性が強い。それでも、一応の調整が済んだことで「AIバブルは終わっていない」という観方が徐々に優勢となっていくだろう。なにしろ、バブルとして捉えた場合、3カ月余はあまりに短い。通常「バブル」と言われるものは、少なくとも一年弱くらいは続くのが通常だからだ。その代わり、本格的に“バブルの終焉”が来たときにはいっせいに急落する。極端に急落する。例えばキオクシアの株価推移を視ていると、そういう感じの急落の仕方ではない。金曜日もストップ安になったが、それまでにかなりの時間が掛かった。ほんとうの“バブル消滅”なら、あっという間にストップ安になり、似たような株がどんどん増えて、それが何日も続くのだ。
2026-07-19
よくパソコン画面上に「地震」「台風」「大雨」などの“危険情報”というものが表示されることがある。例えば今日もそうだが「北海道」に“危険警報”などと示されていたりすると、つい、自分が暮らす「札幌もそうなのかな⁉」と想ったりする。北海道は広いので、こういう危険情報とかでも、実際には道南の一部地域で、道央の札幌圏には直接関係がなかったりする。ところがTVの「天気予報」などでもそうだが、昔から基本は同じで、広い北海道を全国ニュースなどでは“一括り”としている。現代のように個々の地域の微妙な違いを、誰もが知っているようになっても、未だに昔からの地域割りのようなものが、そのまま使われて今日に至っている。もしかすると「天気予報」の場合は、気象庁などからの規制があって、自由に“独自の地域割り”など採用できないのかもしれないが、たとえば「強風」「濃霧」「地震」「津波」「吹雪」「豪雨」「雷」「竜巻」「雹」「黄砂」「花粉」「氾濫」「噴火」などの“特殊な気象や現象”を記号や図解で“天気予報”の中に盛り込むことは出来ないものなのだろうか。これらを示す“共通記号”のようなものがあるのかどうか知らないが、もしあるのであれば、もっと一般に浸透させた方が良いし、記号がないのであれば、共通図解のようなもので気象予報に加えていった方が良い。それと、地域割りも、行政割とかに基づくのではなく、もっと気象予報に相応しい“地域区分”というものは出来ないものだろうか。毎年、そこだけが極端に気温が上がるとか、逆に下がるとか、地震が多いとか、土砂崩れしやすいとか、花粉が飛びやすいとか、濃霧が出やすいとか……一部地域に特有の現象がある場合、そこだけを抜き出しての予報を加えることは出来ないものだろうか。逆に、無意味な“ファッションチェック”など加えている局があるが、出掛ける時間や帰宅時間は人によってまちまちで、雨から晴に変るときもあり、着ていくものなどは“その時”の時間帯や出掛ける場所によっても、大いに変わって来るのが通常で、そんなものを毎日“似たような形”で伝えていっても意味はない。むしろ、大雨の時とかは、その地域の映像をリアルタイムで入れるなど出来ないものなのだろうか。もっと実用に適した形の「新しい天気予報」があっても良いのに…と思うのは、わたしだけなのであろうか。
2026-07-18
今から4年前に「性被害を受けた」と陸上自衛官を辞めて、名前を出して告発したことで知られる五ノ井里奈氏(26歳)の最新インタビューが載っていた。陸上自衛隊という“特殊な環境”の中で複数の男性自衛官が行ったとされる“性的な行為”は社会的にも反響が大きく、刑事裁判と民事裁判の両方で行われ、民事の方の最終的な合意は、今年の1月に行われていたらしい。その後の彼女は、繰り返し行われた法廷内のやり取りなどがトラウマとなって一時的に“引き篭もり状態”が続いたという。その前後、自分と同じような境遇にある人達を救いたい…という志から“その種のフォーラム”を起ち上げたりもしたが、実際には過去のトラウマが生じて来て続けられなかったようだ。結局、彼女の心身を救ったのは“それ”にはまったく無関係の就職先“スコーンのお店”での労働と接客だった。要するに「過去」から完全に“切り離された領域”での初めての労働や接客だった。元々柔道の道から自衛隊に入っている彼女にしてみれば、そういう格闘技関連や、警備関係の仕事などの方が苦労がなさそうであるが、そういう仕事は“過去がくっ付いてくる”のでトラウマが蘇ってしまうからダメなのだ。世の中には、性被害だけでなく、さまざまな理由から過去の“強いトラウマ”に悩まされ続けている人たちが多い。そういう人達がトラウマを克服するのには、いくつかの方法がある。まず、彼女のように“法的に闘う”という方法だ。これは多少、時間と金銭とか必要になる。彼女のように“勝利する”ことも出来るが、勝利すればトラウマが消えるかというと、そうでもない。法的な勝利とか、相手側からの謝罪とか、そういうことで全面的に無くなるものではないのだ。丁度、切り過ぎた爪が、時折ハッとするほど痛むように、トラウマは予想外の時に予想外の形でフラッシュバックする。では、もう一つの方法である“正規の形に戻してもらう”ことで無くなるかというと、それも違う。なぜなら、そこから徐々に“トラウマの過去”が始まっていくので、一見、何も無くなって解決したかのような印象を第三者的には受けやすいのでが、そこに繋がっていく形は、どう変えようとトラウマを潜在化に留めるのだ。もっとも良いのが、新たなる環境で、まったく“過去に繋がらない仕事や人選”をすることだ。そうすることで初めて、人は過去のトラウマから救われる。というか自分の記憶から徐々に消されていく。トラウマは「過去」を引き摺れば、必ず、その向こうに視えない形で付いてくる。
2026-07-17
世界的に“山火事の多い国”というのは或る程度決まっていて、その中でももっとも深刻なのが“カナダの山火事”だ。オーストラリアなども山火事災害が多いことでは知られているが、大きな島国なので、隣国にまで影響が及ぶということはない。それに比べてカナダの場合は、アメリカとの国境が延々と続く。それだけに大規模な山火事の場合、どうしてもその影響はアメリカにまで影響を及ぼす。なにしろ、カナダの山火事はいまのところ防ぎようがない。日本時間の昨日午後の時点で850カ所以上で山火事が発生して燃えているのだ。今年の夏はいままでに3500件以上の山火事が報告されている。日本でも、たまに山火事が起こって周辺地域がざわつくが、とりあえず、山付近に近づかなければ問題はない。ところがカナダの場合、山付近を列車が通るのだ。今回の場合などでも、結局、列車が炎に包まれて動けなくなった。今回の山火事は東部で多く発生している。その結果、そこに隣接しているアメリカのペンシルバニア州、ニューヨーク州、ニューイングランド州にまで煙が流れてくる。それらの煙は気管支炎を引き起こすとか、糖尿病や心臓病に悪影響をもたらす。したがって隣国の山火事なのに、アメリカの東側の州では既に“警戒注意報”が発令中なのだ。特に風の流れに影響を受けるため、今日からその影響が強まることが予想されている。最近、アメリカとカナダとは“その関係性”が微妙によろしくない。こういうことが起こると、より関係性が悪化してしまうかもしれない。本来なら、両国の力を合わせて“消火を行う”とか、最新の科学を用いて“発生を防ぐ”とか、協力体制が必要な時だと思うが、それは難しそうだ。アメリカも大自然の脅威であるハリケーンに対してはほんとうに無力だ。多数の命を危険にさらす、こういう自然災害こそ“最新科学の力”で解決してほしいものだが、そういうものには何故かあまり“科学的対処法”が研究されていない。そういえば「火星」を目指すスペースXの株価が下落し続け、公開価格割れとなってしまった。盛り上がりは一瞬だった。結局、地球そのものの問題を解決できないのに、地球外に飛び出しても“誰も悦ばない”ことに気付いた結果なのだろうか。
2026-07-16
タレントのスザンヌ氏が故郷熊本の老舗旅館を買収・改装して、新たな旅館業に乗り出したことは、さまざまな形で報道されてきた。あれから2年弱経って、その経営状態は「どうにかこうにかやっている」状態であることが本人の口から語られた。70年続いた老舗旅館を「何とか残していきたい」という志から始めたという話だが、最初から改装費用が掛かり過ぎている点が問題視されていた。どんな商売でも、最初から、あまりに金を掛け過ぎた商売というのは、成功例が少ない。この旅館の場合、旅館本体の買収資金に比べ、その改装費用が4倍くらい掛かっていて、総額1億5千万円くらいを掛けた開業と言われる。巨大なホテルとかであれば、そのくらいの費用を掛けても十分に元は取れるが、元々が“小さな旅館”でスザンヌ氏の説明によれば“1日2組限定の形”を取っているという。一日2組なら、どんなに頑張ってもその収益は知れている。したがって「どうにかこうにか…」という結果にならざるを得ない。これは彼女の経営がどうとかいう以前の問題で、こういう旅館の場合、最低でも4組くらいの客は入れる形でないと、従業員を雇えなくなる。旅館業というのは、サービス業であるから、どうしても或る程度の“従業員の数”は必要で、家族経営でもない限り、一日限定2組では成り立たない。どうして周囲の人達は、そのことを教えてあげなかったのだろう。それでなくても、改装費用が掛かり過ぎているから、その分を少しずつ収益から“差し引ける”くらいでないと、経営としては難しいのだ。タレントなど有名人の人達が、飲食店とかブティックとかさまざまな業種にチャレンジするケースは珍しくない。けれども、それでほんとうに成功しているケースは稀で、実質経営は他人任せのことも多い。だいたいが人気稼業だった人はサービス精神が旺盛なので、収益度外視の経営をしがちな特徴もある。もしかすると「どうにかこうにか…」のうちに手を引いた方が、後々大きな借金など背負い込まなくて良いかもしれない。東京に戻れば、タレントとしての需要はまだまだありそうな気がする。
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