7月, 2026年
2026-07-15
日本人の感覚からすると、なかなか理解できないのが「停戦したけどしていない」という形でのイラン戦争の再開と、どちらも神に誓っての「引くに引けない戦争」という部分だ。だいたい、イランとイスラエルというのは大昔から“戦い続けていて”トータルで言えば2000年間も戦い続けていて、だから「和平」とか言っても、その根本では難しいのが現実なのだ。一番の難しさは、双方(本当はイランとイスラエルだが、これにアメリカも加え)いずれも“宗教の違い”がその背景としてある。イランは紛れもなくイスラム教国家だ。イスラエルはキリスト教国家だ。そして、アメリカも、トランプ氏は熱心なキリスト教信者だ。つまり三者とも“神様”が背後に付いている。だから、負けることは出来ないのだ。なにしろ、大昔から、これら宗教の発祥の頃から、神様同士は仲が悪かったようで、旧約聖書には「わが神、わが神、敵を蹴散らしてください」というふうな表記が頻繁に出てくる。この場合の「わが神」というのは、もちろん自分たちが信じている神様なのだが、ここが重要なのだが“戦いの神”でもある。決して、日本人的な感覚で視てしまいそうな“平和をもたらす神”ではない。戦いの神で、敵を懲らしめる神で、だからこそ、わが神に誓って“負けること”は許されないのだ。なぜなら、わが神の力添えで“勝利した者”こそ、神の祝福と、死後における“永遠の幸福”を得ることが出来る。この基本的な考え方は、実はイスラム教も、キリスト教も、その本質は同じなのだ。厳密に言えば、キリスト教は「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい」で“争いごとを嫌う”教えだが、それは“イエスの教え”であって、その根本にある「旧約聖書」の“教え”ではない。日本人的な感覚では、キリスト教徒は“イエスの言葉”を信じている人たちのように勘違いしがちだが、実際には彼らの多くは「旧約聖書」からの言葉の方を信じている。その旧約聖書では「目には目を‼」と書いてあるではないか。だから、彼らは……というかトランプ大統領は「やられたらやり返す、徹底的にやり返す」の実践者なのだ。彼は、そういう点で「旧約聖書」そのままの生き方であり考え方なのだ。つまり神様同士の戦いなのだから、どちらも、負けるはずがないのだ……。
2026-07-14
サッカーのワールドカップでは各国の「国」というものが、あらためて問われた。それを代表するのが、スペインの前首相が発した「フランスチームにはフランス人が一人もいない」という趣旨の発言だ。この発言にフランス政府やマスコミなどは猛反発したが、どうして猛反発したのだろう。どう考えたって、こんな発言、まともに受け取れるわけはなく、まあ“強烈な皮肉”とか“嫌味ある冗談”というのが、普通の人の受け止め方だと思う。近代に入って、世界は行き来が自由になり、さまざまな国の人が入って来て、自国からも抜けていく。そういう世界になった。また人種的に“ハーフの人達”もどんどん増えている。日本人の場合は、国境が海に囲まれているので、そうではない国に比べると、国の出入りはそう簡単ではない。にも拘らず、最近は十代の頃から、国境をまたいで海外に出るというか、海外で暮らす人たちも多くなった。或いは、海外からやってきた外国人と日本国内で結婚する人も多くなった。とても妙な言い方だが、純血の日本人は徐々に徐々に減っていく。そして純血の日本人ではなくても、日本人として生まれ、日本人として育って、或いは“二つの国の国籍”を持ちながら、とりあえず「日本」で暮らしている人たちも多くなってきた。これまた妙な言い方だが、ハーフの日本人の場合、どちらかというと見た目的に“純血の日本人”ではない外貌の方へと成長しやすい。したがって環境にもよるが、どうしても早くから自分が「日本人なのかどうか」を自らに問いかけるような状況が招かれやすい。外国との間の境界線が“地続き”である国や、隣国との言語が共通な国に比べ、或いは元々の血統が入り乱れていて判然としない国に比べて、日本人ハーフは幼くして“自分の立ち位置”を意識せざるを得ないようなところがある。近年はそれがプラスに働き、アスリートとして、或いはアーティストとして、早くから頭角を現す人たちも多くなった。フランス人チームに“フランス人に視えない人達”が加わることが多くなったように、日本人チームにも一見しただけでは“日本人”と判別がつかない人達も多くなっている。オリンピックとか、ワールドカップとか、世界的な音楽祭とか、ファッションショーとか、もはや「国」の垣根で争うこと自体が無意味に変わりつつある。そのうちヒューマノイドも加わって、自分が“いったい何者なのか”わからない人達だらけの地球に変わっていくのではないだろうか。
2026-07-13
わたしは仕事柄「点」でその人を観ることはせず「線」でその人を観てしまう癖がついている。「点」とは“その時”一瞬の人物評価のことだ。「線」とは“何年”とか時に“何十年”とか、人生の一部分を“切り取るような形”で、その人を評価することだ。例えば70年代前半「天地真理」という歌手がデビューし、一気に“時代の寵児”となった。透明な歌声で「水色の恋」を歌い、昭和における「白雪姫」として絶大な人気を誇った。ただ、わたしはこの人の声質があまり長続きしないような気がした。事実、何曲目かを出した時、その声から透明感が失われ、くぐもった濁声に近い雰囲気に変った。もしかすると、あまりに多忙で、声を休ませるひまがなかったからかもしれない。その声の変化のせいなのか、人気も急降下していった。やがて、二十年以上経ってからだと思うが“懐かしの歌声”的な番組に彼女が出た。その、あまりの変わりように、誰もが息をのんだ。清楚な雰囲気はまるでなくなって、体型的にもストレス太りのような印象を受けた。確か歌も歌ったが、普段歌っていないせいもあって、プロ歌手の歌声ではなくなっていた。それ以降、彼女は表舞台では視掛けなくなった。ところが、近年になって、彼女は再び、ささやかながらタレント活動を始めているようだ。既に74歳になっている“プライベート写真”を公開している。そこには、年齢は確かに行ったが、かつての「白雪姫」の雰囲気が戻った「天地真理」の姿があった。これは、どういうことなのだろう。確か“懐かしの歌声”的な番組の時には、結婚もして仕事も変わり、生きることに“精一杯な印象”があった。だから昔の「天地真理」ではなくなっていた。けれども、現在の彼女には何かしら“心の余裕”が感じられる。それに、過去との決別も感じられる。わたしは詳しい事情など知らないし、履歴的なものも知らないが、おそらく、彼女は何らかの理由から“初期の天地真理”に戻ったのだ。もちろん年齢は隠しようもないのだが、その心身というか、境遇というか、何かが元に戻ったのだ。人は、だから、いったん失ったものでも、状況や境遇が変われば、元の姿そのままとは言えなくても、その雰囲気だけは“元の雰囲気”に戻っていくことが出来る。恵まれた状態から転落し、別人のまま終わるとは限らないのだ。
2026-07-12
芸人で今や漫画家でもある矢部太郎氏(49歳)が、将来のことを考え「老後に相応しい趣味を探している」という。正直、ちょっと驚いた。老後になど備えなくても、嫌でも向こうから“老後”はやってくる。だから、やって来たなら、その時に考えれば良いことで「わざわざ探さなくても…」と、わたしなどは思う。人間は、それぞれの年齢によって自然と“好むもの”とか“楽しいもの”とか“やりたいこと”とか“美味しいもの”とかが違ってくる。違ってくるというか、変わっていくという方が正しいのだろう。心身に“合う”ものを身体が見つけていく。いまは人生90年なのか、100年なのか、わからないが、とにかく長くなりつつある。だから、わざわざ探さなくても、黙っていても、そういう年齢は密かに忍び寄って来て、その時々に相応しい“好み”を与えるようになる。わたしは何でもそうだが、前もって、前もって、と考えるのはあまり好きではない。それに、面白くない。人生には、いろいろな出来事が起こって来て、それによって微妙に“未来修正”が施されて行って、最終的に“神が与えてくれたもの”を、われわれは手にする。そういう考え方のわたしは、だから、極力“老後”というものを意識せず、暮らしていく方が若々しい心身で生きて行かれると思っている。ところで、わたしは矢部太郎氏が絵本作家のやべみつのり氏の息子であることを初めて知った。そうだったのか。だから、矢部氏は『大家さんと僕』という絵本というか、漫画というか、そういう本によって世間的な評価を得た。つまり、父親と同じ道を歩み出したことで「カラテカ矢部」ではなく「矢部太郎」として成功した。蛙の子は蛙だったのだ。その矢部氏だが、昨年12月に自らの名を冠した“たろう社”という名の出版社を起業していた。そこでは、自らの本を売るのではなく、父親が描いた本を売ろうとしている。ブックフェアに立つ矢部氏の姿は相変わらず極端に痩せていて、なんとなく“社長という雰囲気”ではないが、けれども、父親の本を自らの出版社から出した…という何とも言えない晴れやかさに満ちているような気がした。
2026-07-11
旧統一教会の総裁ハン・ハクチャ被告に対して、前大統領の妻に対して高級ブランド品など贈って見返りを求めた罪などにより、韓国の検察は被告に対して“懲役13年”を求刑した。旧統一教会というのは、日本でもいろいろ問題を起こしたが、その発祥地で元々は“教祖の妻”であった現総裁が逮捕され、自国の検察から“政治がらみの罪”により求刑された。旧統一教会というのは、奇妙な宗教である。一応、キリスト教から派生した宗教という体裁をとっているのだが、その解釈はあまりにも逸脱している。その要点だけ述べれば、教祖はキリスト教の「原罪」というところに着目した。つまり、原罪というのは各民族が持つ“歴史的な過去”が関わっている罪をも含む…という点を強調する。そして日本軍人の一部が世界大戦時に韓国人女性を従軍慰安婦として扱った…という部分を重要視し、それこそが“日本人の原罪”である…という解釈をする。したがって教祖によれば「現在の日本人は誰もが、韓国人に対して“原罪”を背負うって生きていかなければならない」というような考え方を主張する。その結果、特に日本人女性は“韓国人男性の花嫁”として“贖罪的な意識の強い結婚”をすることで神の救いを得ることが出来る……というような奇妙な理論が「合同結婚式」という奇習を生んだのだ。近年は、本来の目的である「韓国人男性&日本人女性」の組み合わせは減っていったが、元々の意義は“そこ”にあったのだ。一方、日本人男性は“そういう事情⁉”から、韓国に対して「金銭的な対価を支払う」のが妥当と解釈される。つまり女性は韓国人男性に仕え、男性は韓国に寄付を投じ続けることこそ、原罪を償う道である……という奇妙な論理から始まっているのだ。そういう意味では、もっと早く日本の検察も旧統一教会に対して対処すべきだった。遅れては仕舞ったが、それでも本国の韓国で、教祖の妻であった現総裁が逮捕され、懲役13年という重い求刑を得たことは、或る意味で“ほんとうの神様”が居て密やかな罰を与えたかのような不可思議さがある。ただ日本人信者の中には“純粋な人達”もいる。そういう人達が、この宗教を日本の中で“生れ変らせてくれる”ことを、願っていたい。
2026-07-10
数年前から全国の自治体で、それぞれ独自に行われ始めた“結婚支援”や“出産・子育て”対策。もっとも有名なのは東京都の婚活アプリ「TOKYO縁結び」で、これまで36000人が申し込み、265組が結婚に至っている。確かに小池都知事が自ら称賛するように、確実に成果が出て来てはいる。ただ東京都の数値としては、今ひとつ物足らないのが実感だ。そこへいくと、もっと確実に成果を上げているのが鳥取県の取り組みで、県が運営する「えんトリ―」という“結婚支援サイト”では既に370組が結婚にまでこぎつけている。鳥取県という場所を考えると、こっちの方が東京都よりもはるかに大きな成果を出している。どうしてなのか、その理由は二つあって、県外の人であっても、結婚して鳥取県に移住を希望するのであれば、登録が可能なことだ。確かに、大昔の見合い結婚には“遠方へと嫁いでいく”ケースがしばしば見られた。本人同士さえ良ければ、そういう方が過去に引き摺られることなく身軽な場合もある。もう一つ、この件の“見合い”が「成婚」に結び付きやすいのは、ボランティアの仲人さんたちが控えているからだ。昔から、お見合い結婚では“仲人の腕次第”で成婚率が大きく左右されたものだ。世の中には、何らかの形で「貢献したい」と想っているお年寄りの人達が沢山いる。特に“世話好きの中年女性”には、仲人がピッタリという人柄の人達がいる。そういう人達が中に入れば、まとまりやすくなるのが当然なのだ。これまで「縁がなかった」という人の中には、自分から積極的にはアプローチしていかないため、出逢いはあっても交際まで結びついていないケースというのが意外なほど多い。どちらも好感を持ちながら、どちらも大人しくて積極性に欠けている場合、仲人さんさえ頑張れば、成婚に結び付くケースは意外なほど多いのだ。これからは全国に潜んでいるはずの“仲人好きの中年オバサン”が活躍すべき時代に入ったのだ。各自治体は、そういう人達を発掘し“凄腕仲人”として広報などで積極的にアピールし、その仲人さんに惹かれて「わたしも申し込みました」というような人達が沢山出てくるような“そういう縁作り”を、自治体が主導してぜひ増やしていってもらいたい。
2026-07-09
このところ世界的に株価が不安定だ。これまでの上昇を打ち消すような急落が続いている。特に韓国株の急落が顕著で、それに引き摺られる形で、日本株もズルズルと下げていく。そういう展開が続いている。前にも述べたように韓国の株価というのは、半導体企業の比率が大きく、偏りが大きい。そのため、上昇も一気だが、下落の方も一気に来る。韓国に比べると、わが日本は偏りが少ないのだが、それでもやはり“世界の景気敏感株”としての側面もあるので、アメリカ株が急落すると、その影響は顕著に出る。市場時間の関係で“いちばん先に出る”のだ。したがって、世界的な観点から言えば、アメリカ市場の影響が一番なのだが、その影響に“どれほど世界が振り回されるのか”を視るには、日本の市場、中でも「日経平均」の動きが重要となる。本来であれば、だから韓国市場を日本市場がリードしなければならないのだが、AIバブルの展開となって以降、もっとも上下に振れやすい韓国の値動きが、今は日本に影響を与えている……というのが実情なのだ。その韓国の市場にもっとも強く作用しやすいのは、アメリカの市場でも独自に動く「半導体指数(SOX)」の値動きだ。このSOXの値動きが、このところ“微妙な境界線付近”を上下している。つまり、わたしの観るところ、このラインを低下してしまうと、もう再浮上は難しいというか、時間がかかるというか、そういう付近まで低下してきている。ただ、完全にそのラインを割ったかというと、そうでもなくて、微妙に再浮上してそのラインの前後辺りに居る。つまり、これ以上、下落すれば確実にバブルはいったん終了というギリギリのところで、迷ってでもいるかのような“微妙な動き”を続けているのだ。したがって、もし“ここ”で踏ん張り切れれば、再浮上して一気に急騰していくし、持ちこたえられなければ“奈落の底”へといったん落ちる。落ちた場合には、そこに戻ると言っても完全な戻りはなく、その少し手前に戻るのがせいぜいなのだが、それでも半年近くは掛かる。もしギリギリ反転出来れば、今度は急上昇して一気にこれまでの通過点を抜いていく。日本株も一気に2~3か月で7万5千円くらいまで駆け上っていくことだろう。今が正念場なのだ。
2026-07-08
最近は別に流行好きな人ではなくても、日常会話の中で「AI」という言葉が“ふつう”に飛び出すようになっている。数年前には考えられなかったことだ。こんなに急速に日本人の中であっという間に浸透したのは何故だろう。一番の理由は、妙な言い方だが“一応信じられる相手”だからだ。つまり、最近の世の中は“信じられる相手”というのが少ない。それは“嘘つき”とか、そういうことではなくて“社会の仕組み”自体が複雑になっていて、何が何と繋がっていて、誰が誰と通じ合っているのか、判然としていないからだ。或る意味では世の中の仕組みが、単純ではなくなり、その結果、人間同士の“信頼”を奪っている。そういう中で、人はだんだん周りを信用しなくなっていき、自分の考えとか、気持ちとか、予想とか、そういうことを話すことを怖れ出し始めている。昔は、信じられる相手に話すことで“安らげた”のだが、今は誰もほんとうには“信じられない”状態となっていて、その結果として、一応、自分を“理解してくれそうな対象”として「AI」がそこにある……というようなケースが多い。だから、多くの人は、特に潔癖感の強い日本人は「AIに訊く」という日常が妙に“板につき始めて”いるのだ。もっとも、それでは「AI」はそんなに信用できるのかと言えば、実はあまり信用は出来ない。なぜなら人間同士の対話で多い心底思ってはいないけど“一応言葉にしてみること”とかに対し、答えなくてもいいのに答える。つまり、だんだん「ウザイ奴」になっていく。だから、情緒性が豊かで、想像力に富んだ人ほど、徐々に“付き合いづらい相手”に変わっていく。それなら訊いたりしなければ良いものを、いったん、訊く習慣が身に付いてしまうと、それが癖になって止められなくなるのだ。つまり「AI依存症」になる。いつの間にかなる。どういうわけか、孤独な日本人には“当たり障りのない相手”である「AI」は傍に居て邪魔にならない。だから、いったん、訊く習慣が付くと、手放すことなど出来ないのだ。こうして、ほんとうはあまり信用してなどいないのに、それでも誰よりも身近に“つい訊いてしまう相手”として数年後の日本では「AI依存症の人々」が社会問題化していく。
2026-07-07
あれは何年前だっただろう。わたしがここに「日本のインフレ」の予感を書いたのは……もう5年くらい前だったか、もっと前だったか……とにかく、アメリカでインフレが顕著になってきたときに書いたのだ。その当時、日本はまだまだ“インフレの予兆”はなかった。なかったが、わたしには“日本株”が急騰しだせば、必ず、それに伴なって日本の物価も急騰していく。というか、日本の場合には先にインフレがやって来て、その後から“日本株の急騰”が来る……と思っていた。順序的には、本来は「株」の方が先にやって来て、その後を追うように「物価高」がやって来るのだが、その時には状況的に“日本株の急騰”など考えられず、したがって私は後先が逆だが、日本の場合には「物価高」が若干先に来て、それを追いかける形で「日経平均の急騰」が来る……と踏んでいた。まあ、捉えようによっては何年も前に「日経平均の急騰」を予感していたのだから、或いは「一気に来るインフレ」を予想していたのだから、そのこと自体は“素晴らしい”ともいえるが、実際には何ら役に立たず、防ぐことも出来ず、いつから……という時期指定も出来ず、まあ、冷めた目で「この役立たず‼」と叱られてしまいそうな予感記述なのだ。というわけで、今年9月から小林製薬では“三度目の値上げ”に踏み切るそうだ。121品目だそうだ。5~15%の値上げだそうだ。「液体ブルーレット」や「命の母エクオール」といった商品が対象であるらしい。こういう生活用品というのは、通常、買わずに過ごす……ということが難しい。したがって、消費者はいやでも値上げを受け入れざるを得ない。食料品などの消費税を無くしても、結局、生活用品類が値上げすれば、実質的には変わらなくなる。年に三回も値上げするのは“勇気のいること”だと思うが、他に類似品が乏しく、使わざるを得ないものであれば必ず受け入れられる。わたしが言うように、もし、日本株が“日本経済の先読み鏡”であるなら、今年は年間「日経平均」が40%くらい上がっていて、ようやく“収入が値上げに追いつく形”ということになる。けれども大企業だって、躍進中の企業だって、個人の年収で40%も昇給する企業というか職種というか、普通ない。株を買ったって、高額なAI企業群以外の株は、そうそう上がらない。結局、予感したって、予測出来たって、どうにもならないのが庶民の“つらいところ”なのだ。
2026-07-06
わたしは外出した時に、よく雑誌や週刊誌を買う。もう永年の癖というか習慣のようなもので、そういう形で未だに雑誌や週刊誌を購入してしまう。考えてみれば、いまは週刊誌よりもネット記事の方がニュースとしては早い…のが一般的だ。しかも、週刊誌の記事自体も、その途中までならネット上で公開されていたりする。そういう意味では、現代における雑誌や週刊誌の持つ役割は確実に狭まっている。実際、雑誌や週刊誌を購入はしても、その中で自分に必要な記事というのは限られている。その部分を読んでしまえば、或いは写真として観てしまえば、その雑誌や週刊誌の役割は終わる。それでも、雑誌や週刊誌には“買う”だけの価値のある記事がときどき載っている。例えば、昨日私が購入した週刊誌では、なぜ今なのかは忘れてしまったが、往年の“猪木アリ戦の写真と解説記事”が載っていた。それを観て、ふと、もう「二人ともいないのだな」と改めて想った。そして同時に、双方とも当時は、世界の格闘技界のトップを走っていた人物だが、そしてこの試合は世界中に放映されて「アリ」よりも「猪木」の名を不動のものにしたのだが、その二人とも晩年は病に苦しみ、身動きが出来なくなって“強いまま”では死ねなかったことが興味深い。ふと、この二人に「トランプ」と「プーチン」の姿が重なり合う。この二人も、その強さを“競い合ってきた二人”だが、現在は微妙な情勢で、その“強さ”を十分に発揮できているとは思えない。結局、チャンピオンだったアリも、猪木も、やがては“病に敗れて”身動きさえも自由とはならず、朽ち果てていったように、もしかすると時代は、やがてトランプとプーチンに“似たような状況”を与えて、強かった過去が信じられないような状況を創り出すのではないのか。結局、どんなに“神のように振舞っても”それは一時的なものであって、時代はすべてを呑み込んで、新たな時代を創り出していく……その時に余分なものは一掃される。過去の歴史はそういう風に出来ている。先日BSで放映されていた「クレオパトラ」を観たが、あの映画にも、神になろうとしてなれなかった歴史上の人々が出てくる。人間が、神に近づこうとするのは“危険な行為”なのだ。
2026-07-05
7月4日にアメリカは建国250周年だそうで、改めて“若い国”なんだなと感じる。確かに、或る意味では良くも悪くも若々しい。そこへいくと卑弥呼の時代も加えると2000年に近い日本は、すごく“お年寄りの国”なわけで、あちこちギシギシいうのは当然かもしれない。トランプ大統領は建国の日の演説で「アメリカは歴史上もっとも成功した国だ」と誇らしげに述べた。う~ん、そうなのかなあ……と思っていたら、そのすぐ後で現在のニューヨーカーたちの暮らしぶりが紹介されていて、インフレで物価のことごとくが高騰し、もはや若者たちにかつての「アメリカンドリームを期待するものはいない」と断言している人たちがいた。つまり、かつてのようにアメリカにやって来れば、豊かで自由な暮らしが手に入るという幻想は持つべきでない…と忠告している。ただ独立記念日に“85万発の花火”を打ち上げる国は、他にない。そういう点では経済格差が大きいものの、成功者たちが沢山いる国には違いない。実際、近年は日本からアメリカにわたって“大いなる成功”を掴んだアスリートやミュージシャンやアーティストや起業家などが沢山いる。そういう意味では“才能”と“幸運”とに恵まれれば、日本に居るよりもはるかに大きな栄誉や収入をもたらしてくれる国ではある。実は「日本」も、アメリカほどではないが、徐々に格差が広がりつつある。経済的な格差だけが取り上げられがちだが、実際には学力の格差とか、地域ごとの格差とか、年齢的な格差とか……比較的“平均値の人達”が多かった日本だが、徐々にそれが崩れてきている。いまや年収によっても、学歴や履歴によっても、暮らしている地域・区域によっても、年代・世代的な違いによっても、微妙な違いが徐々に拡大するようになっていて、日本人を一律では語れないような状況が生まれつつある。おそらく、今後、この傾向はますます拍車が掛かっていくに違いない。同じ国で、同じ民族が同じ言語を用いながら、何かしら同胞観を得られず「違っている」と感じてしまう状況が当たり前になってしまいそうなのだ。
2026-07-04
フジテレビで、またしても問題が起こったようだ。夫婦設定のドラマで、過去の体験から“身体接触の制限”がある女優に対して、夫役俳優が身体を触り、そのことでプロデューサーから“制限の存在”を知らされ、夫役の俳優が女優に対して「俳優を続けるべきではない」という趣旨の発言を行ったという。ところが、その発言が「ハラスメント行為」だとして、週刊文春や女優側弁護士や事務所から抗議を受けている。それに対して、男性俳優側事務所も「正しく伝えられていない」として反論している。どうも、最近はこの種の問題が多い。今回の件に関して言えば、わたしには男性側の主張の方が“理に適っている”よう思われてならない。役者というのは、その“役になりきる”ことで成立する職業だ。もし、身体接触によるトラウマがあるなら、わざわざ身体が触れてくるような職業を択ぶべきではない。しかも、今回の場合には“夫婦役”という設定で、身体が触れるのは或る種“必然性がある”よう思われる。というか、仮に夫婦役でなくても、役者は“その人物に成りきる”ことが、職業的な第一歩のはずで、それに“成りきれない女優”を、わざわざ何故用いたのか。フジテレビ側の俳優指定が理解に苦しむ。しかも、事前にそのことを男優側には知らせていなかったようで、それも理解に苦しむ。その男優が一応のアドバイスとして、女優に対し「俳優業を続けるべきではない」と言った行為がハラスメントに当たるというのだが、先輩が後輩に対して「この職業には不適ではないか」と述べるのが、どうしていけないのか。この先も俳優業を続けるなら、当然、恋愛ものとか、夫婦ものとかの役も“演じなければならない”はずで、それを考えれば、先輩として後輩に対してアドバイスするのは何ら問題ではない。仮に“余計なお世話”だというなら、もし、将来的に彼女が“演じられるもの”が無くなって収入に支障が生じた時、誰が助けてくれるのか。助けることも出来ないのに、お節介なハラスメント行為だと、どうして決めつけることが出来るのか。更に週刊誌は、なぜ、役者という“特異な職業”の本質を解かってあげようとはしないのか。土台が“役に入り込めない役者”など使い物にならないのだ。そういう役者を使うから、最近の日本のドラマは“希薄なもの”が多くなるのだ。本気で描こうと思ったら、その役に没入できる役者を使わなければすぐれた作品は生まれない。
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