8月, 2026年
2026-08-12
最近、どうも「世界」というのは、日本の“昭和の繁栄期”を理想としているような…そんな気がしないでもなくなっている。昭和の繁栄期と言っても、昭和の“バブル期”を指していっているのではない。むしろ、その少し前の“1970年代頃”のことを、わたしは勝手に“昭和の繁栄期”と言っているに過ぎない。この時期、日本には実にさまざまな文化が登場した。この時期のことを「日本」の“高度成長期”というふうに捉える人がいるかもしれないが、実際には微妙にずれている。高度成長期は60年代から始まっているからだ。この“昭和の繁栄期”に大きく成長したものの一つに、日本の「漫画」と「歌謡曲」と「推理小説」とがある。或る意味では、これらが日本の文化全般を導いていた…と言ってもいい。今年の英国の世界的に知られる文学賞であるダガー賞の翻訳部門の最終候補作として注目を浴びたのが、日本の覆面ホラー作家として知られる雨穴著『変な絵』だった。残念ながら受賞とはならなかったようだが、英国に招待されていたようだ。実は、わたしはこの作家も作品も知らなかったのだが、既に270万部も売り上げ、世界40カ国に翻訳出版されているのだという。翻訳出版の作品が“売れるかどうか”は、日本人作家の場合は特に“翻訳者”の腕にも掛かっているところが大きい。世界40カ国に翻訳出版されているということは、一つには“文学的である”というよりも“翻訳しやすい小説作品”だということに他ならない。この作家は“覆面ホラー作家”というだけあって、英国であっても、その覆面姿で全身黒タイツ姿でインタビューなどに応じて、より注目を浴びたようだ。昔、日本の江戸川乱歩氏などが、盛んに“この種のやり方”を推理小説に取り入れていた。だれなのかわからない「謎めいた姿」で最初から登場する…という出没の仕方だ。要するに、こう言っては悪いが、昭和のど真ん中に“使い古されていた手法”なのだ。ところが、この手法が“今の世界”には受ける。日本の「漫画」や「歌謡曲」や「推理小説」でも、だから“昭和のど真ん中”を持って来ればいい。なぜなら、今の若い世代の日本人は“それら”を知らないから“新鮮”に映るし、より“新鮮”に受け止めてくれるのが「世界」の人々なのだ。漫画だって、歌謡曲だって、今のモノばかりでなく“昭和のど真ん中”をアレンジして“現代風”に味付けすれば、間違いなくそういう方が「世界」には受ける。言ってみれば、その当時の「日本」は文化の面で“世界の最先端”を走り抜けていたのだ。
2026-08-11
わたしがタロットというものを最初に手にしたのは…いつの頃だっただろう。十代だったことは間違いないが、正確に“何歳”というところまで思い出せない。とにかく、その頃からずっと、タロットはわたしの傍らにある。もっとも、近年は…というか、相当に前から、わたしは相談・依頼者の質問に対しては、タロットを使わなくなった。どうしてなのか、ハッキリとした理由はない。何となく面倒になった…というのが一番正しい回答かもしれない。その代わりとでもいうか、易占(筮竹占い)の方を多用するようになった。これも判然とした理由はない。なんとなく、そうなった…というのがいちばん正しい。もしかすると、タロットで“スプレッドしていく”よりも、易占で“算木を置く”方が、若干、時間的に早く済む…からかもしれない。ところが、これも奇妙なのだが、自分自身に関することを占う時とか、社会的なことを占う時とかは、今でもタロットを用いる。というか、ほとんどの場合、タロットしか用いない。だから、現在まで常に“傍にある”のだ。まあ、わたしにとってはペットのようなものだ。いや、もしかすると“AIのようなもの”かもしれない。ちょっとしたことを訊ねるのにはいちばん良いからだ。もっとも、その占い方は、通常とは違っていて、完全なる“一枚引き”だ。要するに、一つのことを訊くのに、カードの中からパッと一枚だけ開いて、そのカードで判断する。丁度、明日の天気を“下駄の裏表で占う”という古典的な方法と同じだ。わたしが幼い頃には、けっこうまだ“下駄ばき”の人達が沢山いた。わたし自身も下駄履きが好きだった。その履いている下駄を、意図的に天空へと飛ばして、その墜ちて来たときの下駄の裏表で、明日の天気が“晴れるかどうか”占うのだ。庶民の間で、大昔から継承されてきた占い方だ。それと同じように、78枚のタロットの一枚だけを開いて、そのカードの図柄で判断を下す。まあ、こういう感じの占い方だから、人前ではできない。でも、自分で占う分には、これで十分なのだ。むしろ、これを行うことで“日々の霊感”には磨きがかかる…と言っても良い。ただ、もちろん、この方法はあくまで簡易すぎて、正式な占い方でもないから、人には勧められない。だんだん人は横着になる。僅か3秒くらいあれば答えが出る…この方法は、わたしの場合には、特に“ちょっとしたことの決断”にはうってつけなのだ。それにしても、なぜ、そういう時には易を用いないのだろう。自分でもよくわからない。昔は腕時計を観て一瞬で占う独自の“梅花心易法”を用いた。もしかすると、あの方法は、わたしの中でのブームを過ぎてしまったからかもしれない。とにかく、年齢が行くほど“自分用の占い方”が単純になっていく。
2026-08-10
わたしは基本的に“流行を追う”タイプではない。日本人は世界的に観ると、比較的“流行に敏感な人達”が多い。例えば「靴」だ。わたしは子供の頃から現在まで、一度もスニーカーを履いたことがない。物心がついてから今日まで、確か小・中学校の“体育の時間”には運動靴を履いたような気がするが、それはあくまで“運動靴”であって“スニーカー”ではない。少なくとも、わたしの記憶の中で、試しにさえもスニーカーを履いた記憶はない。一番の理由は、靴ひもを結ぶのが苦手だからだ。いまは“靴紐タイプ”ではないスニーカーもあることは知っているが、とにかく死ぬまでスニーカーを履く気はない。ところが、最近は徐々に“革靴のコーナー”が狭くなっていて、だんだん“肩身の狭い存在”となって来ている。なぜ、こんなに日本人の誰もが、スニーカーを履くようになったのだろう。数年前、外で昔からの友人と逢ったとき、彼が革靴派からスニーカー派に変化していることを知って驚いたものだ。訊くと、お孫さんの影響であるらしい。お孫さんと逢う機会が多いと、いつの間にかその影響を受けて、革靴のような“従属感のあるもの”からは解放されたい気分になったという。それ以来、ずっとスニーカーだと言っていた。ただ彼の服装は、昔とそんなに変わらない。だから、そういう意味では“その服装センス”には、少し違和感がある。つまり、肢の部分だけが“現代化”しているような感じなのだ。持ち歩いているバッグも昔のままの革製だった。流行というのは、いろいろなところに表れる。例えば髪型にしても、今は男性でも女性でも、髪型という点では、特別大きな違いはない印象を受ける。髪の長い男性も多くなった。昔というか、わたしの若い頃は、髪を長くしていた私は“異色の存在”だった。わたしは別に音楽バンドをやっていたわけではないが、ずっと長髪だった。いまでも、長髪というほどではないが、普通の男性達よりは長い。ズボンを細くすることも、ズボン丈を短くすることも嫌いだ。だから、わたしは流行に後れても構わず、ずっと、幅広ズボンと、長め丈ズボンを着用してきた。すると、奇妙なことに、若い人たちは“再び幅広ズボン”を着用するようになっている。ズボン丈も長めに変って来た。要するに、流行は繰り返すで、やがては戻ってくる。ということで、きっと「革靴」も見直される時代が、もうすぐやってくる。必ず、やってくる。そうなった時、もし、わたしが生きていれば、わたしは“流行の最先端”をいく“老人”となる⁉
2026-08-09
人は誰でも、自分の中で“打ち消したい過去”とか“言えない秘密”とかを持っている。どんなに順調な人生を歩んできたように視える人であっても、それはあくまで表面上であって、その人の内部では“消したいのに消せない過去”があり、多くの人達には“話すことの出来ない秘密”を持っている。それが人間というものだ。最近、芸能界の中でも“華やかな人生を歩んできている”ように視えた二人の人物が、自分の過去や秘密について語り始めている。その一人は広末涼子氏で、過去のトンネル内追突事故に関することとか、双極性感情障害や甲状腺機能亢進の病気持ちであることとか……或る意味で“自らの仮面”をかなぐり捨てたともいえる。女優には“情緒不安定な要素”を生み出す病気を抱えている人が多い。通常の会社員などと違って、芸能人は“自らを人目にさらす職業”だから、なおのこと、そういう秘密や過去は「知られたくない」意識が強い。けれども、今は昔と違って、有名人の多くが自らを語り始めている。そういう告白をすることで、生まれ変ったかのように新たな分野に飛躍していく人生もある。タレントの神田うの氏も、過去の履歴は華やかで、何らの汚点もないかのような印象を与えがちだが、最近になって、自らが“三度の流産”を経験していること、現在は“薄毛治療”をしていること、さらに“アル中体験”を持っていること……などを明かしている。どちらかと言えば、これまでは“虚栄心が強い女性”のような印象だったが、まるで生れ変ったかのように、自らを“曝け出す”ようになった。彼女たちだけでなく、SNSでの発信が容易になったせいもあり、最近は多くの有名人たちが、自らの「影の部分」を晒すことが多くなった。そうすることで、自らを開放し“楽に生きられる”ようになり、また多くの一般の方達にとっても、有名人たちが“身近な存在”と感じられるプラス効果も生まれている。実際、世の中に“完全な人”などいない。ほとんどの人達は“ギリギリの部分”を胸に仕舞い込みながら生きている。人生上における“過去の汚点”とか“傷だらけの部分”とか“汚れを隠しながらの歩み”など、みんなボロボロになりながら、それでも“さわやかそうな笑顔を作って”生きているのだ。
2026-08-08
世の中には“ムダな才能”が著しく発達している人がいる。たぶん、この人物も本職は「税務署員」だったのだが、それよりも「競艇の予想屋」としての才能の方が、より優れていたに違いない。なにしろ三年間の間に“競艇”で3億円以上もの払戻金を獲得していたのだ。しかも、そればかりではなく、彼には“詐欺の才能⁉”もあって、税務署員として所得調査に赴いて知り合った高齢女性から、さまざまな名目で金銭を取得していた。高齢女性は言われるまま、彼に対してお金を与えていたとみられる。おそらく、この女性は高齢ながらも高収入を得ていて、自宅調査に来た彼に対して、少しでも心証を良くすることで“税負担を軽く”してくれると信じていたようだ。その心理を巧みに利用し、この20代の税務署員はいろいろな名目を着けて金銭をせびった。高齢女性は半信半疑のまま金を渡したが、その結果、彼から“詐欺被害”を浴びたことになる。こうして得たお金もすべて、彼は競艇に使っていたようだ。そうはいっても、その払戻額は3年間で3億円以上に上る。一般人の“遊びの範囲”をはるかに超えている。その場合、当然のことながら、ギャンブルなどによる「一時所得金」は年間90万円を超えると申告が必要になる。その課税金額は大きく、彼は本来は“そういうたぐいのお金”を収めさせる側なのだが、自らのお金はスルーし“納税逃れ”をしていた。その課税額はなんと1億円を超える。つまり彼の場合、まず、本来の仕事である高齢女性宅の所得調査では、ややグレーな詐欺行為によって金銭を何度も引き出させ、その金も使って競艇にのめり込み、その予想は不思議なほど的中することも多くて、払戻金額が3億円と巨額だったために無申告がばれ、その捜査の過程で、自宅調査名目での詐欺行為もばれ、結局、税務署員としてよりも“競艇の予想屋”としての才能が眠っていることを結果的に教えた。もちろん、もう税務署員には戻れないから、彼の今後は“競艇の予想屋”になりそうなものだが、残念ながら、競馬の予想と違って競艇の方は、それほどの需要がない。それでも、自分の予想だけでも十分に“暮らしていくことは可能”だと思うが、ときどき“二刀流”でやっている時には上手く行くのだが、本業一本に絞ってしまうと、急に予想が外れだす……という例も多いので、彼の場合は後者になりそうな気がし、招来には暗雲が漂っていそうな……そういう20代の元税務職員なのだった。
2026-08-07
世の中には“怪しいモノ”がいっぱいある。特に「儲かる」と謳うものには、そういうたぐいのものが多い。不動産小口化投資商品の「みんなで大家さん」の運営会社が、今季の営業利益が65億円の赤字、純利益が2984億円の赤字、純資産が2881億円の債務超過であることを公表、37000人以上いるといわれる出資者たちのうち、支払われるはずの分配金が停止しているとして、既に2500人が集団で“出資金の返還訴訟”を起こしている。「みんなで大家さん」という名称の通り、それぞれが一口100万円以上(運用期間は5年間)に対して出資している。その分配金は本来であれば年利7%の商品とされ、不動産の投資商品として高額の利回りとなっている。もっとも一般投資家から金を集める高利回りの商品は、昔から“怪しい商品”の代表格として、過去にも事件化していったケースが多い。今回も、集めた出資額が約2000億円で、債務超過が2800億円以上で、集団訴訟を起こしても出資金が戻ってくる可能性は少ないような気がする。この投資ファンドの「みんなで大家さん」という名称自体が妙に怪しい。投資は基本的に個人で行うべきもので、集団で行うべきものではない。大体が昔から“集団で行う投資”で良い成果をもたらしたという話を聴いたことがない。この会社の場合も、テレビCMや雑誌やDMなどで盛んに出資者を募っていたようで、派手な宣伝をしているから、経営状態が良いとは限らない。一口100万円で“不動産の持ち主になれる”というのは、しかもそれが発展中の「ゲートウェイ成田」という不動産商品であれば、なんとなく“成功者の一翼”を担っているような印象を与える。だが100万円で不動産は買えない。ましてや一般的に不動産で7%の金利配当はなかなか得られるものではない。テレビCMに流しているから信用できるわけではない。どういう投資でも、苦労無くして“大きな利益”はなかなか得られるものではない。投資家と呼ばれるような人達のほとんどは、過去に大きな失敗や損失を経験していて、それを教訓とし、バネとして這い上がってきた人たちなのだ。
2026-08-06
「仕事」でも「結婚」でも「老後」でも、やたら“倖せの条件”を持ち出す人がいる。雑誌記事の中で、54歳の公務員男性がファイナルシャルプランナーに“老後の相談”をしていた。その男性は妻と二人暮らしで子供はなく、現在「うつ病」が治ったばかりらしいのだが、一年後には早期リタイアをして、その後は地味に生活していく予定で、最終的には施設で終末を迎えたい希望を持っているらしい。現在、預金額は8150万円だというのだが「それだけでは今後の暮らしを考えると不足なのではないか」と悩んでいる……というのだ。この男性は公務員だから、早期リタイアをしても、当然、退職金も出る。また、妻はパートで現在も働き続けているらしい。もちろん公務員だったので、普通に年金も出る。特に趣味があるというのでもなく、現在の地味な暮し方を、今後も続けると言い切っている。正直、わたしなどから観れば、50代半ばで8000万円以上もの預金があり、持ち家を持っていて、子供もなく、奥様はパートで収入もあり、いったい何を悩んでいるんだろう……と思ってしまう。一時期、老後2000万円問題というのがあったが、この人の場合には、その4倍もの預金を持っている。仮に来年から“早期リタイア”をするとしても、奥様はパートながらも収入を得続けていく。二人とも公務員らしく保険にも入っていて、既に家のローンも終わっていて、両親や子供の面倒を見るでもない。お金の出所がない。まあ、この方は「うつ病」になるだけあって心配性なのは判るが、50代半ばで預金を8000万円以上も貯めて来たということは、地味な暮らし向きであることは明白なのだ。むしろ、今後の暮らしを考えると、子供もいないのに、預金が余ってしまう。もっと趣味など持って、早期リタイアを楽しむ生活に変えていかないと、今後も悩み続けて生きていくことになる。だれだったか忘れたが、理不尽なことで刑務所暮らしをした人が、その刑務所の中でさえ“自分の楽しみ”を見出し、それからはとても快適だった……と回想していた。よく将来の金銭事情に関して悩む人がいるが、普通に働いていれば、或いは普通に暮らしていれば、お金というのは何とかなっていくものだ。大きな借金がある人は別だが、そうでなければ過去を生きた人たちが、みな“何とかなって暮らし”ながら、やがては亡くなっている。どんなに時代が変わろうと、人の暮らしなんて、そうそう違うものではない。その人に見合うような形で、それなりに“お金が回る”よう、上手く神様が手配し配慮してくれているのだ。
2026-08-05
最近は、どういうものか“キン肉マンブーム”で、ジムに通って身体を鍛えている男女がことのほか多い。まるで、そうすることが“一つのステータス”であるかのように思い込んでいる人たちもいる。ただ“身体を鍛えること”が、そのまま“心を鍛えること”には繋がっていない。その典型的なケースが、発覚した。東京五輪で重量挙げ96㌔級日本代表だった選手の山本俊樹(34歳)容疑者が、東京北区のコンビニで、卵などの食料品を万引きして、それに気づき追いかけた店長を突き飛ばし怪我を負わせ、強盗致傷罪で逮捕された。防犯カメラの或る店内で不審な動きをしていて、従業員が「もしや…」と警戒している中での犯行だったようだ。それにしても、万引きした商品が“筋肉を創る”生卵ケースだったのは興味深い。本人も“万引き”に関しては「急に万引きしようという気持ちになった」と認めている。この場合、彼が“初犯”なのか“常習犯”なのかは重要なところで、アスリートには時々どうしても目標を達したいがため「何をやってもいい」というような感覚になってしまう人達がいる。例えば彼の場合「もっと、ここの筋肉を発達させたい」という意識が「そのためには、もっと卵の白身を採らなくっちゃ」という思いを強くさせ、何気なくお店に入った時、無意識に“卵に手が伸び”欲しい欲求が一段と強まり、ついには「万引きしてでも…」という気持ちに変わっていく。もしかすると、身体が要求するとでもいうか、もっと言えば“身体に要求される”とでもいうか、そういう状況が生まれてきやすいのだ。そういう風な気持ちから“万引き”を覚えてしまうと、今度はそれが日常化しやすくなる。わたしは彼についてはほとんど知らないが、一部ではかなり知られた人物のようで、こと筋肉に関しては“理想像”のように語る人たちもいる。そうなると、彼自身の中でも“筋肉を維持すること”は使命感のようになる。ただ、わたしは彼の写真画像から、この人の顔の中で“口唇が異様に小さい”ことが気になった。こういう人は自制心が乏しい。意志が弱いのだ。だから、身体の方から「欲しい」という欲求が強まった時、それを自制する意志が途切れてしまったのではないか。とにかく常習犯であった場合は、精神面から治療していかないと、意外なほど闇は深いような気がする。
2026-08-04
わたしは前から最近のドル円相場で“円安が進んでいること”は、俗にいう「投機筋」などではなくて、ごく自然な世界情勢の変化がもたらしていることだから、政府・日銀がアメリカと協調して為替介入に及んでも、それほど効果はなく、必ず、徐々に元に戻る筈なので無意味であると予告しておいたが、それでも日米政府はこのところ“あからさまな為替介入”を何度も行っている。正確にいうと、日米両政府が協調して…と言われているが、日本がアメリカに頼み込んで…の協調に過ぎない。前にも述べたように、もし本気で「円高方向」に変えたいなら、日銀が次の会合で“利上げをする”のが手っ取り早く、確実な方法なのだ。それを行わず「円高方向」に進めたい意図が今回の介入には表れすぎていて、それもあるからなおのこと市場は反発しやすいように視える。最初、日本の1日深夜に1ドル164円の手前から為替介入に入って、1ドルは157円前半まで一気に進んだ。ところが、その後、比較的早くに1ドル159円まで戻っていったので、160円が近づいたところで再び介入に入って1ドル155円前半まで「円高方向」へ向かわせた。これは、たとえ一時的にドル円が元に戻っても、強引にでも「円高方向に変える」という政府・日銀の強いメッセージだが、はたしてどこまで効果を維持できるか……わたしには大いに疑問なのだ。それに、昨日の財務大臣の会見が、日本の株式相場が開かれている時間に重なっていたせいで、日本の金融市場は大きく混乱し、ドル円相場も、株式相場も、午前中は上下に激しく揺れ動いた。日本の経済を安定させるのが目的のはずなのに、日本の金融市場が開かれている時間帯に財務大臣が発言するのは、少し不用意すぎるようにも、わたしには感じられた。憶測では、最近までの1ドル160円台から、出来れば1ドル150円前後まで持って行きたい意図が窺われる。ただ現在の金融市場はグローバルな国際間の関係性で動いているので、昔ほど為替介入自体にも効果がない。今回の場合は、日本が欧米の金利に少しずつ近づけることで、ドル円相場も「円高方向」に動いていく…というのが自然なように思われ、為替介入はあくまで一時的な効果に過ぎないよう、わたしには感じられるのだが……。
2026-08-03
アメリカが最初に言い始めたことだが、最近はどの国でも「自国ファースト」が当たり前になっている。自分の国の人達を優先する。当然と言えば当然のことなのだが、最近は「日本」でも“この種の風潮”が強くなっている。けれども、一言で“外国人”とか“外国籍”とか“在日二世”とかいろいろ言うが、さまざまなタイプ、さまざまなケースの人達がいる。実にさまざまな事情を抱えながら、よその国に来て、或いは住んでいる。ただ行政的な立場からすれば、その“さまざまな事情”のようなものを聴いて判別するのは極めて難しい。或る程度は“一括り”する以外はないのだ。そういうことで、外国人の多く住む街では、徐々に“さまざまな問題”が生じてきている。たとえば群馬県の大泉町の場合、人口4万人の町だが、その内の2割は外国人で、その中でも日系ブラジル人が圧倒的に多い。故郷ブラジルは地球の裏側だ。帰りたくても、そう簡単には帰れない。やって来たときの「日本」は高度成長期やバブル期でも、今の日本は“経済が停滞している”から、当然、福祉関係も予算が少ない。70代、80代の日系ブラジル人は、もはや働きたくても働き口がない。国籍が“ブラジル籍”のままだと、当然のことながら「日本」の年金は下りない。生活保護も、難しいのが実情だ。結局、その地方のボランティラが支援する“生活物資の給付”などに頼らざるを得ない。ただ最近は、そのボランティアそのものも、だんだん窮地に陥りやすい状況にある。なにしろ「自国ファースト」が浸透したことで、在日外国人に対しての風当たりが強く“福祉関係”が軒並み“後ずさり”し始めている。もちろん、そういう活動が無くなったわけではないのだが、徐々に予算が切り詰められている。世界的に「自国ファースト」なのだから当然で、どこにも不満を持って行きようがない。「日本」で暮らす外国人の中には、事業や商売で大成功している人たちも沢山いるが、日系ブラジル人は少ない。だから、そういう“仲間的支援”も乏しい。もしかすると、地球の裏側の自国に居た方が「裕福になれていたかもしれない」が、当時は“夢のある国”は「日本」の方だったのだ。そういう“外国人の町”が、日本には目立たないがたくさんある……。
2026-08-02
高市総理の正式表明で、どうやら来年4月からの2年間、食料品税は8%→1%へ減税されることが決まった(⁉)ようだ。最近はだれでも食料品の価格が“異様に高くなっている”ことは実感している。だから、その減税が行われること自体は望ましいのだが、そうではあるが、必ずしもみんなが賛成しているわけではない。高市政権の基盤である自民党内からも、多数の反対者や疑問符を抱く人が出てきている。国民に対する調査でも、賛成派と反対派の比率は拮抗していて、必ずしも、賛成派ばかりではない。反対派の中でも、特にまとまって反対しているのは“外食産業”に関わっている人たちだ。一般家庭の食料品類が安くなると、外食には足を運ばなくなる可能性が強まるというのだ。確かに食料品価格も高くなった…と感じるが、最近は各種の飲食店メニュー価格も値上げしているところが多い。外食産業では大量仕入れなど行って、少しでも仕入れ価格を安くすることで、利益を捻出している。その結果として、安くて美味しいものを提供することが出来て、客足を確保している。ただ最近は調味料などあらゆるものが値上がりしているので、メニュー価格も変更せざるを得ない。もし減税となって“家庭で作った方が安上がり”となれば、客足はますます遠のくというのだ。もう一つ各種の小さな食品販売店でも、強く反対している人たちが多い。それは税率がいろいろ変化すると、それに合わせてレジ機械など変更しなければならず、そのコストがバカにならないからだ。それ以外で反対している人が多いのは、何らかの“社会保障”を国から受けている人たちだ。減税の財源が不明なので、各種の福祉関連などの費用が削られるのではないか…という疑念があるからだ。自民党の内部では「いったん1%にしてしまったら、元の8%に戻すのは容易ではない」という反対論もある。この人達の多くは、そうなると自民党が不利だから…という気持ちがあるようだが、わたしはそれよりも、国民の多くが一挙に8%も上がる食料品税を払って「二年間と同様な暮し」が出来るのだろうか、という疑問を持つ。二年間で慣れてしまった“舌”というか“味”というか“量”というか、そういうものを一気に戻すことなどできるのだろうか。暮しに余裕がある人達は問題がないのだが、暮しに余裕のない人ほど、食料品の量や質を下げるのは難しいものだ。現金給付なら、使い過ぎは本人の責任だが、食べ慣れた量や質を元に戻すのは、本人の責任ばかりとは言えないような……。
2026-08-01
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