8月, 2026年

「姉妹のような」「親友のような」母と娘の関係

2026-08-24
フィギュアスケートで一世を風靡した安藤美姫氏が、自分と娘との関係について語っている。その妊娠・出産時に大いに世間を騒がせた“未婚のまま産んだ子”こそ、現在13歳となった“その娘さん”なのだ。出産当時は今ほど世間が“多様性”に対して寛容ではなかった。それゆえ「だれが父親であるか」ということが世間を賑わせたのだ。安藤美姫氏は、それに対しては、頑なに沈黙を守った。その一方で、自らの娘の顔貌(横顔や後ろ姿など)をSNSで幼い頃から発信・公表してきた。その画像の多くは“愛情あふれる母娘のショット”であった。こうして、父親は明かせないが「この子は紛れもなく、わたしの娘である」と主張しているように視えた。同時にそれは“娘の成長後”のことも考えているように、わたしには思えた。世間に“隠すような形”で育てたなら、成長後になって娘は“自分の親”について語ることが難しい。こうして出産時から公表し続ければ、自分の母親を明かしても、だれも“そのこと”を咎めない。咎めようがない。現在13歳になっている娘との関係について、安藤美姫氏は「姉妹のようでもあり、親友のようでもあり……そういう関係」と明かしている。そして娘がスケートを始めたことに対しては、その当初も、現在も賛成はしていない。けれども、だからといって止めたりはしない。その指導は先生に任せ、自分は“ふつうの母親”と同じような立場で見守っている。こういう部分に、彼女の人生観が強く表れている。娘の人生を“妨げるような親”にはならない。ただただ娘の笑顔を守ってあげられる母親でありたい。果たして、現在のような“姉妹のような”そして“親友のような”関係はいつまで続くのだろうか。反抗期に入りつつある娘とは喧嘩もするらしいが、それは今のところ仲の良い姉妹や親友が時折ぶつかる喧嘩に近いもの…であるようだ。もしも何年か経って、娘が何らかの形で才能を発揮し、世間が再び注目しだした時、ずっと今のような関係性を保てるだろうか……もしかすると、氷上リンクを見つめる時のように“ふつうの母親”と同じように、無心に声援を送っている安藤美姫になれたら、きっと多くの人は、そういう彼女自身に対して微笑ましく控えめな声援を送ってくれるに違いない。

「いつも目の前のことに精一杯」こそ生の極み

2026-08-23
女優・歌手の大竹しのぶ氏が20日~30日までスパイラルホールで“歌と演技の独り舞台”を上演している。子供の頃から第一線を走り続けて女優だが、最近はミュージカルや“歌手”としての舞台も多い。今回の場合は、その歌と演技の両方を一人でこなし、最終的にその舞台で描かれていたのが“誰なのか”が解かる仕組みになっている“新しい試みとしての舞台”らしい。その彼女がインタビューの中で「いつも目の前のことに精一杯……反省ばかりの人生です」と語っていた。何が反省なのかはよくわからないが、常に精一杯…というのは何となく解かる。そして、この「いつも目の前のことに精一杯で…」というのは、多くの人たちに共通することでもあり、その結果として「反省ばかりの人生」というのもまた“多くの人達”が常日頃感じていることなのではないだろうか。まあ、わたしなどは多くの人と違って、いつも目の前のことに……というほど沢山、前の前のことがないし、常に“精一杯”と言えるほど一生懸命でもないし、何よりも“過ぎたこと”をほじくり返したり反省したりはしない。だから、そういう意味では彼女とは或る意味で“真反対な生き方”なのだが、ただ、ほんとうは彼女のような“生き方”の方が、人間の生き方としては尊いし、理想的なのではないか…という気がする。人間というのは、いつも“やらなければならないこと”が詰まっていると、その消化に負われるばかりで、文字通り精一杯で、それ以外のことに眼が向く暇がない。したがって“余計なこと”を考えなくて済む。人間は暇であれば暇であるほど、余計なことを考える。さらには余計な感情を持つ。余計な行動をとる。目の前のことが詰まっていると、そういうことがない。その結果として、あとになって反省するのは、その人が「自分というものを持っている」証拠で、目の前のことに追われながらも反省しないなら、それは“馬車馬のような生き方”であって、自分というものを持っていないのと同様になる。つまり、目の前のことに精一杯で……反省ばかりの人生は、もっとも人として必要とされている人生であり、その中で「自分というものを保とうとしている」人たちが、共通して感じる生き方ということになる。

「馬力屋」倒産は「倒産連鎖」足音の序曲か⁉

2026-08-22
俗に「芸能事務所」と呼ばれるものがいくつあるのか知らないが、最小“ひとり”からでも始められる特異な事業形態だけに、実質的には相当数の事務所が存在しているに違いない。その事務所の一つ「馬力屋」が東京地裁から破産開始の決定を得ていたことが報道された。この事務所の代表は俳優の布施博氏で、彼が活躍していた90年代に設立されている。したがって年数からだけ言えば、それなりのキャリアを積んだ企業と言える。ところが何度も言うように、芸能という分野は製造業や販売業などと違って、所属タレントが活躍して“収益基盤を培う”構図となっている。したがって、その事務所に活躍できるタレントが居なければ、一気に危い企業形態となる。例えば「馬力屋」の場合、代表でもある布施博氏意外に活躍できるタレントを育てられなかったものと思われる。そうなると、本人以外にもスタッフを抱えている事務所は、苦しい台所事業となる。同じような形で倒産した事務所に、はしのえみ氏が属していた「佐藤企画」、壇蜜氏や吉木りさ氏が属していた「フィット」などがある。芸能事務所というのは、大方の場合、大活躍しているタレントは一名とか二名で、あと数人とか、数十人とかが「その他のタレント」として所属している場合が多い。したがって、その他のタレントたちの収入分や、営業やマネージメントに当たるスタッフの収入分まで含めるとかなりの収入がなければ赤字経営となる。昔はTVや舞台に出ていれば“それなりの収入”を得られたが、現在はスポンサー企業自体の収益構造が違ってきていることもあり、よほどの人気タレントでもない限り、一人で大勢を養うほどの収入にはならない場合が多い。さらに、或る程度の人気が出れば“独立しやすい環境”が整いつつある。いまはSNSを上手く使いこなすことが出来れば、そこを“営業窓口”とすることも出来て、必ずしも正規の事務所に所属しなくても、芸能活動を維持することができる人たちもいる。そのような事情から考えれば、弱小というか零細というか…名ばかりの芸能事務所は、今後もますます収益を確保するのが難しい時代に入って来たともいえる。もしかすると、今後、続々と“個人事務所的な弱小企業”は次々と倒産して芸能人そのものが淘汰されていくのかもしれない。

「潤色」と呼ばれるものの「正体⁉」は難しい

2026-08-21
占いの専門用語には、一般の方達が聴いても“よくわからない”ような言葉がときどき登場する。どういう世界であっても専門家だけが“解かる言葉”を使っているのは良くない。そこで例えば観相学で用いる「潤色」という言葉を取り上げてみよう。この潤色という用語は、最近の観相学の本にはあまり出て来ない。それは、その本を執筆している著者自身が「潤色」というものの正体をよく解かっていないからだ。実は、その種の用語が観相学に限らず“占いの世界”にはたくさんある。ただ単に、誰にでもわかるよう“現代的表現”とか“新たな表記”に変えたとかいうのではなく、最初から、その本の執筆者自身がその用語をよく理解していなくて、それでいながら“専門家”として“人気占い師”として本を執筆することになったことで、そういう“わからないこと”に関しては最初から省いてしまうとか、無いものとしてしまうとか、する。何しろ人気占い師なのだから、誰も“その問題点”を指摘したりはしない。こうして、いつの間にか“消えていく用語”が占い世界にはいくつもある。だから本当はもっと専門的な技量を持った占い師が、その種の本を執筆すれば良いのだが、そういう人は往々にして人気がない。また“本を書く”というそのこと自体にも慣れていないケースが多い。どういう分野でもそうだが、専門書というのは特に“判りやすく書ける人”というのは少ない。けれども現在は文字だけで本を読む時代ではなくなりつつある。だが、たとえば元に戻って観相学などの場合「潤色」という言葉の“色合い”を写真とか図解とか、そういうもので上手く表現できるか、誰にでも理解させられるかというと、これが非常に難しい。一言で言えば、潤色というのは“潤いを持った色”なのだ。顔面上でも、掌面上でも、その一部分に独特の“潤いを持った範囲”というものが出現することがある。そうすると、その範囲が意味する事柄に関して、その人には必ず“幸運なこと”が生じて来ることになっている。ただ、この“潤いを持った色”という色なのだが、具体的には“どういうもの”かと言えば、少しだけ輝いて見える。その部分だけが“鮮やかに輝いて視える色”なのだ。だから、特定の例えば“銀色”というのとは微妙に違う。本来の色をそのままで“淡く輝かせた色”というのが多分、表現としてはいちばん近い。本来の色に“銀色”や“金色”を重ねたとしても“潤色”にはならない。あくまでも、その色の中から“淡い輝き”が滲み出てくる状態……というのが文字で表現できるいちばん近い表現だろう。

「メタプラネット」が「ストラテジー」抜く⁉

2026-08-20
日本のメタプラネット社といえば“ビットコインの企業”として広く知られている。このメタプラネット社が約4億円を投じてアメリカのナスダックに上場している「スーパーリーグ・エンタープライズ」社の経営権を取得した。今後は「スーパープラネット」に社名を変更し、メタプラの子会社として米国における“ビットコイン事業”を拡大していく戦略を取る。この報道が流れたことで、一時、エンタープライズ社は144%も株価が急騰した。この企業は元々ゲームやコンテンツを主力としてきた企業で、ビットコイン事業に関わってきた企業ではない。ただメタプラネット社が本格的に米国での事業を拡大しようとしていることが投資家たちに伝わった証しといえる。現在、ビットコインそのものが大きく低迷している。奇妙なことに、この報道の後、ビットコイン価格そのものも急騰している。一つにはトランプ大統領とコイン事業幹部との会談が持たれたせいかもしれない。とにかく、何かが“動き出し”つつある。昨年の夏をピークとして、メタプラネットの株価も急落し続けてきた。本場アメリカの“世界一ビットコインを保有する企業”であるストラテジー社の株価も低迷している。この企業を率いるマイケル・セイラー氏も最近は、ビットコインを“買う”から“売る”に転じるなど迷走気味だ。それに対して、日本のメタプラネット社の方は、むしろ事業の拡大に舵を切っていて、その違いが判然としてきた。現在は世界第三位のビットコイン保有企業だが、もしかすると何年かすれば、こちらの方が“第一位”にすり替わっていくかもしれない。しかも、この企業は元々アメリカの金融機関の投資部門で辣腕をふるっていた二人が企業を率いている。ただ単に時代の勢いとか流行とかに載って、この事業を開始したトップではないのだ。「日本」と「米国」の両方で“ビットコイン事業”を拡大して、金融市場の“新しい波”を計画しているような雰囲気が窺われる。いまはまだ「メタプラ」の株価自体も低迷し続けているが、もしかすると数年後になって、ビットコイン自体も大きく蘇り、それと同時に「メタプラの株価」も急騰して、輝かしい“新たなる金融王国”を築いているかもしれない。

「トイレで出産放置」まで気付かなかったのか

2026-08-19
ときどき“こういう事件”が報道される。そのたび、わたしは“どういう暮らし方”をすれば、我が娘の妊娠・出産に気付かず、過ごせるんだろう……と思ってしまう。妊娠して間もなくはともかく、出産が近づけば、嫌でも“お腹の突き出し”が目立ってくる。普通に太るのとは、明らかに違う太り方なのだ。長野県の商業施設内のトイレで、8月11日、16歳の女子高校生が一人で出産をし、その出産した児を放置したまま帰宅した。その直後に激しい体調不良が生じて、家族が付き添い女子高校生を緊急用の医療施設に運んだ。診断の結果は、彼女が“出産直後の状態”であることが発覚した。ただ本人が「子供はいない」というので、病院側は警察へと通報した…という経緯だ。慌てた家族は、直前まで行っていた商業施設を探し回り、女子トイレの中から“出産間もなく放置された児”を発見。すぐに病院へと運んだが、死亡が確認された。この“妊娠発覚後”の家族の行動は、常識と理性を持った大人たちの行動だ。したがって、この女子高生は、けっして“一般的とは言えない家庭状況”にあったのだとは思われない。ごく普通の家庭・家族の元で暮らしていたのに違いないのだ。それでありながら、家族は、この女子高生の身体の変化に気付いていなかったようだ。おそらくこの16歳の女性は、家族のだれにも、妊娠したことを告げていなかった。もしかすると学校の方は、夏休みに入る前1~2週間は休み続けていたのかもしれない。急速に“お腹が目立ってくる”頃だからだ。学校の方は、それでごまかせるとしても、自宅内では“身体の変化”を隠すのは極めて難しい。もしかすると、両親とか、片親とかが、仕事で忙しく、家に戻るのが遅くて、昼間はいないため“顔を合わせなくて済む”状況だったのかもしれない。とにかく、彼女は“妊娠したこと”を知られることを怖れていた。だから救急医療に運ばれたときにも「子供はいない」と噓をついたのだ。単独でも出産は“臍の緒を切る”という作業が必要なので、どうしても“本来の処置”がなされていなければ、すぐにバレる。それなのに「出産していない」と言い張ったのは、家族や学校に知られたくなかったからだ。ただ、わたしは家族は、ほんとうに知らなかったのだろうか……という疑問を持つ。何となくの変化は察知していたに違いないのだ。察知はしていたが、訊くのは怖かったのかもしれない。或いは「そんなはずはない」と娘を信じたかったのかもしれない。もしかすると、娘の「最近みょうに太り出しちゃって…」という言い訳を、そのまま受け入れてしまったのかもしれない。多感な時期の“微妙な話”は訊き出しにくいものだ。それでも明らかに異変を感じた時には、勇気を出して問いただすのが、愛情ある親の務めなのだ。

「アナウンサー」と「芸能人」の微妙な境目⁉

2026-08-18
テレビ東京の田中瞳アナの投稿が波紋を呼んでいるようだ。彼女がスタッフたちと一緒にサッカーのサポーターたちを取材していた時、直接かかわりのないサッカーファンとか女子アナファンとかが接近して来て私物などに手を触れたり、一緒にカメラ撮影をしようとしたりしたという。そこで、彼女はその経緯を述べたうえで、或る程度以上の接近に関して「控えて欲しい」旨の投稿をしたという。それに対して「事件などの取材では、被害者などの心情にはお構いなく、土足で踏み込んだ取材をする記者やリポーターが居るのに、こと自分たちが接近されるのは拒絶するのか」という反論や、アナウンサーのデビュー当時は“庶民派”として「自ら積極的に人中に入り込んでいたくせに、いざ、女子アナとして地位が確立されると“接近拒否”なのですね」といった反響が寄せられているという。なかなか難しい問題だ。確かにTVのリーポーターとは限らないが、災害や事件の被害者たちに対して、執拗に質問し続ける記者たちがいる。TVカメラが同行していると、その質問を受ける側も、極端な拒絶反応を示せない。また外出時のアナウンサーやリポーターには、芸能人顔負けの“庶民派”や“体当たり型取材”を試みる者もいる。特に若い女子アナの場合には、そうやって人気を獲得していった女子アナもいる。さらに、その延長ともいうべき、フリーとなって、役者転向する者や、二刀流で多数のバラエティー番組で活躍する者もいる。現代は、そういう点で「アナウンサー」という職業は、時に芸能人の“予備軍的な存在”とみられても仕方がない時もある。ただ、それにしても“街角取材”をしているか、プライベートなのか、その“中間ともいうべき時”なのか、遠目であっても、視る側から観れば大体は判る。それに応じて、接近度を測るのが賢い視聴者というものだ。またTVに限らないが“取材陣”という立場にあるからといって、災害や事件の被害者、また加害者家族であっても、どこまでも踏み込んで良いという法則はない。人には、それぞれ、その人によっても“垣根とする領域”が異なり、たとえば私のような常に誰に対しても無防備な者もいるが、そういう人は少ない。多くの人は“自分の垣根”を超えてくる人に対して“心の中の銃弾”で身構えているのだ。

「AI占い」が「ほんとうの占い」に脱皮する時

2026-08-17
最近、さまざまな分野で「AI」が活用されるようになってきた。良いことなのか悪いことなのかわからないが、少なくとも、あと十年もすれば“誰もが普通にAIを使っている時代”へと突入するのだろう。「占い」の分野など、そういう意味ではもっとも進出の可能性が大きい分野だ。元々現在の「占いコンテンツ」というのは、初期AIを用いた占い回答で成り立っている。したがって、そういう意味ではもっとも早くから“占い産業”を手助けしていた…とも言える。ただし、その多くは実在の“占い師が回答した形”となっているのが、現在の占いコンテンツだ。だから、実際のというか、ホンモノのというか、その占い師に“直接鑑定”を試みたなら、何かしら「占いコンテンツの回答」とは、異なった印象を受けるはずだ。わたしは昔、あるソフト会社と組んで、まだ現在のように“AI回答”が一般的ではない時代に「占いソフト」というものをいくつか開発をした。そこでは例えば生年月日時を打ち込めば、その人の“運命の大要”が書き込まれたものが数ページにわたって出てくる。他にも何年、何月、何日の“運勢”でも即座に占ってもらえる。但し、それらは“一般の人向け”というよりも、どちらかといえば、そのソフトを使って商売をしたい人向けのものとして開発された。ただ急いで開発しなければならなかったせいもあり、細かなチェックなどはしないまま発売された。その結果どうなったのかといえば、たとえば“女性であるか・男性であるか”の区別や“職業的な区別”や“既婚や未婚の区別”や“年齢的な区別”を盛り込んでいなかったため、それらに無関係な内容として出てくる。したがって性格の判断とか才能の判断とかは良いのだが、家族との関係とか、恋愛・結婚に関しての判断とか、健康状態に関しての判断とか……そういう面ではどうしても“個々の違い”というものが出て来てしまう。わたし自身は各惑星同士のアスペクトによる判断とか、トランジット惑星と出生時惑星との関係とか、そういうことだけで書いているので、本来なら個々の違いはソフト会社の方で“編集する形”で組み込むべきものだった。それがなかったから、実際にはとても及第点とは言えなかったが、当時としては画期的な商品として世の中に出た。たぶん、今後はほんとうの意味でのAIを用いて、その内「占いヒューマノイド」が誕生すると思うが、但し、現在と同じような“12星座別の運勢判断”に終始しているようでは、とても現実の悩みになど堪えられない。もっと個々の生年月日時による“微妙な違い”を組み込んでいかなければ結局、わたしとソフト会社が行った過ちを繰り返すことにしかならないだろう。

「飛び出した小島」「居残った天山」運命の扉⁉

2026-08-16
人間には誰でも「運命の分かれ道」というような時期がある。そこで、どう決断し、どう行動するか、それが“その後の人生”を決定的にする。そういう例として相応しいのが、昨日、国立国技館で「引退試合」を行った新日本プロレスの天山広吉選手と、現役を続ける小島聡選手のふたりだ。今から20年以上も前の話だが、天山選手と小島選手は「テンコジ」と呼ばれて、タッグの名パートナーを務めていた。そこで数々のベルトも巻いたのだが、どういういきさつからかは知らないが袂を分かち、天山氏の方は新日本にそのまま居残り、小島氏の方は新日本から飛び出して他団体で活躍するようになった。そうして今度はタッグではなく、小島聡ひとりで数々のベルトを巻くようになった。客観的な立場から観れば、その後の活躍は明らかに小島選手の方が上回っていた。身体も一回り大きくなって、風貌にも王者としての風格が表れるようになった。もちろん、新日本に残った天山選手が活躍しなかったかといえばそうではない。彼は彼でIWGPの王者にもなったし、一時的には盟友と同じような力を発揮していた。ただレスラーとしての衰えは早く、一方の小島選手が“一匹狼”としての力を長期間発揮し続けたのに比べて、明らかに“尻つぼみ”の状態となった。年齢は二人とも同じで、経験的にもほとんど変わらない。けれども、その引退試合に登場した二人には、最初から“大きな力の差”を誰しもが感じた。一つには天山選手は、ここ何年か腰や脚に持病を抱えていて試合にも出ていない。身体も明らかにやせ衰えていた。一方の小島選手の方は、一時期からは衰えたが、現役としてのパワーが漲っていた。ほぼ同等だった力を持つ二人が、二十年以上の歳月を経て、その一方は第一線とは言い難くても、未だ衰えぬパワーを見せつけ、その一方は試合後のセレモニーでも立っていられず倒れ込んでしまった。小島選手の方は、自ら“未知の世界”に飛び出し、それまで手にしていたものを棄て、未来の可能性に自分を掛けたことが、今日のタフさに繋がっているような気がする。人間はいつからでも、どういう形からでも、未知の世界を覗くことは出来る。ここで終わり、と自分で決めつけたら、そこで終わりになってしまうのだ。

「人間の運命」を教える「志茂田景樹の人生」

2026-08-15
時折、自らの病状などをSNS発信しているのが作家・タレントの志茂田景樹氏(86歳)だ。若い頃はさまざまな職業を体験し、その後、作家となって直木賞を受賞。さまざまな分野の小説を矢継ぎ早に出していったが、その後はタレントとしても活躍。特異なファッションで世間から注目を浴びた時期もあった。近年には子供たちに“読み聞かせをする活動”に情熱を傾けていたのだが、2017年に膠原病や関節リュウマチを患ってからは、徐々に動けなくなり、その病状などについて継続的に発信している。最新の発信では、もはや指の痛みでスマホさえも持つことが出来ないという。良い部分だけを発信するのではなく、病とも真正面から向き合う形での発信も続けている。人間にはさまざまなタイプの人がいて、表立ったところでは“良い部分”しか見せたくないという人もいれば、彼のように、自分のすべてをあからさまに公表して“生きている証”とする人たちもいる。どちらが良いとも、悪いとも、わたしには言えない。ただ“人間の運命”を研究する側に居る私には、すべてを正直に公表してくれた方が運命研究の参考に出来る部分が多い。どのような人であっても、幸運な時期があり、不運な時期がある。人生は「回り舞台」なのだ。必ずしもボランティア的な行為を重ねて世の中に貢献したからといって“幸運”がやってくるわけではない。「運の巡り」は、ちょっとした偶然に支配されていることも多い。社会的な名誉運や仕事運の強い人が、必ずしも、すべての面で幸運とは限らない。家庭・家族の問題で悩みを抱えている人も多いし、健康面で次々と問題が襲ってくる人もいる。特に、人生の晩年期においては、それまでとは全く違った健康状態や心身の異常に襲われるケースも多い。若い時に健康だったから、70歳を過ぎても健康だとは限らないのだ。若い時に“不遇な家庭環境”に置かれていても、年齢が行くうちに家族がどんどん増え、恵まれた家庭環境へと変わっていく人もいる。5年後というのは予測しやすいが、20年後というのは“予測できない”のが人生なのだ。

わたしの判断は正しかったが雑誌掲載は消えた

2026-08-14
わたしは以前、正月が近づくと、いくつかの報道メディアから「来年の運勢」という形で取材・掲載を受けた。その中の一つに北海道を代表する経済雑誌があった。その雑誌の性質上、同じ「来年の運勢」でも、どちらかと言えば政治・経済・社会現象などの総括的な内容が多く、やや異色の“運勢内容”となっていた。その中でも、忘れられない“判断内容”がある。その当時は“北方領土の返還”機運が高まっていた時で、そういうことに関して、雑誌の方から問われるまま“来年の展望”という形で占い内容を語っていたのだ。その当時は安倍晋三首相の時代である。わたしは「来年は返還交渉をするのに絶好の機会が来る」と判断したが、そのかわり「今、世間が言っているような4島返還ではなく、とりあえず2島返還の方針で行くべき」と伝えた。「そういう形でないと、彼らは応じないし、返還も上手く行かない」と述べ、さらに「もし、この機会を逃すと、二度と交渉は出来なくなってしまう」とも付け加えた。この判断内容は、その一部が微妙に書き換えられたが、一応、わたしの語らんとすることは、そのまま雑誌掲載された。そして、この交渉に関しては、日本のマスコミなどが事前にあれこれ騒ぎ過ぎたせいか、実際には行われるはずだったものが流れた。そうして、それ以降、二度と正式交渉は行われていない。昨日、ロシアのプーチン大統領は北方領土の択捉島を電撃訪問した。なぜ電撃訪問したのかは解かっていない。そしていろいろ述べたのだが、その中で、彼は安倍首相時代には「良い関係が築けていた」と述べ「現在は違う」と変化を伝えた。そして改めて北方領土が「ロシアのものである」と宣言した。こういう言い方をしたのは初めてのような気がする。つまり、彼は“あの当時”は必ずしも北方領土全島が“ロシアのもの”とは考えていなかったが、少なくとも今は“全島ともロシアのものだ”との宣言を世界に向けて表明したのだ。あの雑誌は、なぜか翌年から、わたしに「来年の運勢」を依頼しなくなった。なぜ、そうなったのか……わたしは知らない。

「中道」「れいわ」も時代の波に飲み込まれて…

2026-08-13
日本の“政治政党”が徐々に変貌しつつある。生まれて間もない小川淳也代表率いる「中道改革連合」の地方支部が次々と解散しているのだ。現在まで解散・閉鎖した支部は30にも上る。もはや“風前の灯火”といった感さえある。同じように山本譲司代表率いる「れいわ」改め「いのちの党」も、先行きが怪しい。何しろ強烈なカリスマであった山本太郎氏が居なくなったのだ。観ようによっては“放り出した”とも言える。学校のクラブ活動ではないのだから、放り出されても困るのだが、とにかくそうなった。だから、こちらも“風前の灯火”なのだ。「中道改革連合」に関しては、最初から問題視されていた。本来、政治思想に違いのある「立憲民主党」と「公明党」が“一体化できるのか”という当然の疑問だった。フタを開けてみたら、実際には内部分裂的な要素が強く、完全に一体化したのかと思えばそうではなく、未だ「立憲民主党」と「公明党」も存在し続けている。したがって両党とも、その数だけが“半分に減ってしまった”かのような状態にある。これは「日本」だけのことではないが、現在は世界各国で“政治の潮流”が目まぐるしく変わりつつある。まだ“変わっていく途中の段階”のようでもある。そういう意味では「日本」も「世界」と同じように、その政治的な潮流の波に飲み込まれ、大きく変貌している途上にある……とも言えそうだ。こういう時には、予想外のところから、予想外の政党が出現してきて、あっという間に“大きな政党”へと変わっていくケースも多い。それだけ地球全体というか、社会全体が“大きな変化のうねりの中”に巻き込まれつつあるともいえる。もはや「世界平和」という言葉が虚しい響きすら感じる世の中になった。今後、もしかすると、もっと、もっと、世界各地で“小さな戦争”が勃発して、文字通り「世界平和」という言葉自体が消滅していく可能性すらある。最近は日本人と外国人の区別さえ定かではなくなりつつある。そういえば性別も判然としなくなりつつある。貨幣価値もどんどん変わって電子マネーとかが普通になった。そのうちヒューマノイド(AIロボット)とかが出て来て、あちこちの店に居て接客をし、工場作業をし、家族の一員となり、ペットが追い出されて……子育てすらも、ヒューマノイドが受け持つようになっていきそうだ。そうなっていけば、もう誰が誰だかわからなくなってきて、誰もが「むかしは良かったなあ」と、小さなため息をつく。 « Older Entries