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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


“孤独な人”しか住めない「生活感のない家」


いつの頃からだろう。セレブの家は「生活必需品が眼に視えるところに置かれていない」という“噂”というか“伝説”というか、まことしやかに広まったのは…。それは、確かに、お手伝いさんが何人もいるような豪邸であれば、そういうことも可能であろう。けれども、自分で掃除・洗濯・調理もしているような家庭で、生活必需品を“視えないようにする”などということは、事実上は出来ない。いや、行っても良いが、余計な手間がかかるばかりで、あちこち動き回らなければならず、ゆったりと寛げない。まあ、普段、忙しくて、家には“寝るだけ”に帰って来るような人であれば、それも良いだろう。ほんとうに家庭・家族を愛する人の家というものは、そんなにきちんと整理・整頓されていないし、多少、雑然となっているくらいが人間らしくて良いのだ。「風水」的な観点から言っても、普段、生活必需品がまったく見えない部屋というのは、まず「潔癖感が人一倍強い人の住む部屋」ということになる。また“家庭的なものがない(視えない)”ということは、その人には「安らげる家庭がない」というのと同じことになる。もちろん、これは「散らかっている部屋が良い」ということではないし「整頓されすぎた部屋が良くない」ということでもない。けれども、われわれは自然に暮らしていく中で、いやでも部屋の中は多少は散らかるし、毎日使うものは、手に取りやすい場所、目立つところに置いておくのが普通だ。そういう「普通」を生活から取り除こうという人は“虚栄の人”ということになる。また「日常的なつながりを嫌う人」ということににもなる。つまり、潔癖感が人一倍強く、精神的に寛ぐことが出来ず、虚栄心が強くて、交際範囲も狭い人が暮す家こそ「生活感のない家」だということになる。何度も言うように、お手伝いさんが何人もいるような「超セレブ」なら話は別である。もっとも、そういう人だって、その家には実質ほんとうには馴染んでいないはずだ。生活必需品を自分自身でどこにあるのかわからないような部屋で寛げるわけがないからである。或る種、ホテル暮らしのような感覚で暮らすのであれば、馴染んでいくことは出来るだろう。そのような点から言えば、少なくとも日本人の感覚で、普通に生活している人は「生活感のない家」など求めない方が、幸せに暮らせるのだ。

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