5月, 2026年
2026-05-14
当たり前の話だが、人間は神様ではないから、その人の評価を“正しく下す”ことなど土台が出来ない。ただ、われわれは過去の“歴史の中の人間たち”というものを何となく知っている。そこに登場するのは、ほんの一握りの“目立っている人達”だ。そして、そういう人達によって、いまの世の中が成り立っている。だから、われわれは“そういう人達”を嫌でも知ることになるのだ。そういう意味で言って、いまの日本では、歴史の隙間に“埋もれていく人”がほとんどなのだが、稀に、その未来の歴史に“ちょっとでも顔を出している可能性ある人”がいるとすれば、ソフトバンクグループ(SBG)の創設者である孫正義氏は、その代表的な存在の一人だ。大昔、まだ「ソフトバンク」という名称を多くの人が知らなかったとき、路上で無料で携帯電話を配っていた人たちがいて驚いたが、それこそ、彼が最初に“世の中に知られる”きっかけを作った宣伝行為だった。「日本」にパソコンと携帯電話を普及させた“第一の功労者”こそ孫正義という人物だったのだ。もう、あれから何十年と経って、いまや彼は「世界の孫正義」になった。昨日SBGの決算が出て“5兆円の利益”であることが報道された。これは日本の企業としては最大の利益であるようだ。もっとも、この企業は製造業などと違って、実益を伴っているわけではない。したがって、今期良くても来期も良くなるという保証はない。そうではあるのだが、この人は、これまで何度も「危い」とか「危ない」とか言われて、ギリギリのところから立て直して今日を得ている。実際、5兆円の利益を出した報道に関しても、ネット上の評価はさまざまで、どちらかと言えば、それに見合った税金を納めていないことに対しての反発が多い。だが法律的にそうなっているのであれば、その部分を批判するのは考え方としておかしいので、どんな企業の経営者でも、それなりの節税対策を心掛けている。それよりも、いま世界で、日本の経営者の中で“世界的に知られている人物”がどれほどいるだろう。何年も前から「AIの時代」を予見していた経営者がどれほどいるだろう。投資家には“先見の明”というものが何よりも必要だが、その“先見の明”を文句なく持っているのが「孫正義」という人物だ。もっとも「AIバブル」が弾ければ、いち早く“莫大な借金”を抱えて“破産してしまう可能性”があるのも彼なのだ。実際「ITバブル」が弾けたとき、株価は暴落して「倒産ほぼ確実」とまで言われた。「波乱万丈」という言葉が、これほど当てはまる人生も滅多にない。運命学的な観点から言えば、歴史に名を遺す大成功者としてより、最期は「すべてを失った」という“名の遺し方”の方が、より魅力的なのだが……。たぶん、そうはならない。
2026-05-13
所ジョージ氏がMCのバラエティー番組で、イランで“古くからの風習”として今も行われている“結婚の習わし”を扱ったところ、それが思わぬ反響を呼んでいるようだ。番組内では、父親を亡くしている家族を扱い、まだ14歳の長男が父親の“身代わりのような形”で家族を仕切る。その家族の中で最初に嫁いでいた長女が亡くなり、3歳の男児が義父の元に遺された。そこで、古くからの風習として、妻を亡くした人物は、その妻の妹を“嫁に貰う”のがイランでは一般的だったようだ。そこで親戚たちが代わる代わるやって来て、双子の妹のうちどちらかを“後妻として嫁がせる”よう説得しようとする。けれども、14歳の長男は頑としてそれを拒否する。「妹たちはまだ12歳で、結婚するには早すぎる」と主張する。もっとも、その妹たちは「お嫁さんになっても良いよ」と比較的乗り気のようなのだ。母親は“遺された3歳の孫”が気掛りのようで「どうしてよいかわからない」と途方に暮れている。イランの風習の中で、わたしが注目したのは、まず“家長絶対”という考え方にある。本来であれば、兄と言ってもまだ14歳なのだから“家長”としては心もとないような感じだが、イランにおいては家長の考えは“絶対”のようで、大人たちも皆、その言葉を一応尊重するのだ。本人が「嫁いでも良い」と言っても、まずは“家長”がOKを出さなければ、結婚として成立しない仕組みになっている。結局、番組の後取材で、この家族の妹たちは“結婚”ではなく“学校”を選択したことが伝えられた。ただ、番組内では出演者たちのさまざまな感想や意見が取り上げられたが、その中で、発した所ジョージ氏の感想が「現代にそぐわない」としてネット上で猛反発を食らっているという。「日本」の“令和の時代”の発想としては「12歳での結婚などありえない」「姉の後妻としての結婚などありえない」「バラエティー番組として扱う問題ではない」ということなのかもしれないが、どうしてネット民は、すべての日本人を“令和の正しさ”“日本人的な正しさ”“世界的潮流に沿っていること”に統一しようとするのだろう。実際には今から百年前の日本人だって、似たような発想を持っていた。男性が戦争に狩り出されている間に、妻が亡くなった場合、その妹を“後妻として嫁がせる”ということが平然として行われていたのだ。その当時の日本人たちは“それ”に対して違和感を持っていなかったようなのだ。時代が変わり、地域が変わり、宗教が変われば“何が正しい”のかも変わってくる。一つの考え方だけを、あまりにも絶対視する「今の日本」は、ちょっと危険かもしれないのだ。
2026-05-12
TVで最初に千鳥の大悟氏を観た時「ずいぶん“田舎丸出し”の雰囲気を持った芸人だな」と思ったものだ。今どき自分のことを「わし」と表現するのも珍しい。わたしの幼い頃には、よく耳にした表現だったが…。そういう大悟氏も、もう、いつの間にが“よく見る芸人”に変わっていった。そうして、今回は“芸人”としてではなく“役者”として、映画初主演し、しかもカンヌ国際映画祭に出品される是枝監督作品であるという。ただ今回の「箱の中の羊」という作品は、どうも内容的には“近未来的な話”のようで、息子を亡くした自営業の一家がヒューマノイドの息子を迎える話…ということになっている。ただ、その一部を観たが、どうも、わたしには“近未来の世界”には感じられず、いまの日本社会そのもので、設定だけを近未来にしているようにしか感じられなかった。この種の設定は欧米の映画界が好んで用いるが、そういう場合、なんとなく“何十年後かの未来らしい”雰囲気が感じられるものだが、今回の映画では、わたし個人は“それ”はあまり感じられなくて“情緒的な部分だけ”を全面的に押し出している…よう感じられた。そういうところが、欧米人たちからはどう評価されるのか解からないが、ただ“近未来の話”とはいうものの、実際には数十年先になれば、この家族たちに近い“家族たち”は実際に生まれて来るに違いない。最近はAIとの会話をする人たちも多くなったが、なんとなくの“癒し”を求めるのであれば、それで“ペットと同じような家族感覚”を持つことが可能になっていくのに違いない。しかも、ペットの場合、言葉は返してくれないが、ヒューマノイドの場合には“言葉で還って来る”というのが情緒的には素晴らしい。ただしワンパターンだし、日本人の好む“感覚的に理解する能力”はない。したがって、どちらかと言えば、日本人より、欧米型の思考というか、感覚というか、そういうものの方がスムーズに受け入れられるような気がする。たぶん、役者・大悟氏を起用した是枝監督は、だからこそ“泥臭い雰囲気の大悟氏”を主役として持ってきたのに違いなく、言ってみれば、欧米人たちに「日本人はヒューマノイドでは満足できない」ということを“暗に教えたい”気持ちがあるのかもしれない。そうなのだ、この作品は大悟氏だからこそ“ヒューマノイドの父親”なのだ。
2026-05-11
時代の変遷の中で、ときどき解からなくなる。たとえば種々の「ハラスメント」とか「コンプライアンス」とか「イジメ」とか「ストーカー」とか……時代や国家や宗教や地域によって、何が許され、何が犯罪で、何が正しくて、何が罪なのか……一つだけ解かっているのは「難しい時代になったな」ということだけだ。わたしは知らなかったが、お笑い芸人の間で“イジメ発言”というものがあり、それがネット上で拡散し、伏せていた名前が暴露され、その結果、その双方ともがSNS上で謝罪した。先日TV番組で「10年間ぐらいずっとイジメられていた」と発言したのは芸人・中山功太氏で、その時に名前は伏せたのだが、その具体名としてネット上で拡散したのはサバンナ・高橋氏の名前だった。ところが、その騒動を“横目で視ていたはず”のサバンナ・八木氏が双方の仲を取り持ち、両者に連絡を取り、自らも「相方の責任はコンビとしての自分の責任でもある」といち早くネット上で謝罪したのは、八木真澄氏の方だった。それを受ける形で、和解したサバンナ・高橋茂雄氏、そして発言した中山功太氏の双方もネット上で“騒動に発展したことを謝罪”した。わたしは思うのだが、今日でこそ“ちょっとしたイジメ発言”でも問題にされるが、昔は、ごく日常的に一般社会で、特に先輩・後輩の間では妙な言い方だが“軽いイジメ”は行われていた。そういう時代が長く続いた。もちろん、それが良いとは言わないが、罪の意識なく発言してしまうこと、行なってしまうことは、芸人でなくても、さまざまな職場や学校で行われていた。イジメだけでなく、パワハラやセクハラやモラハラなどのハラスメント行為はもっと多かった。宗教的に異なる国においては、現代でもなお「日本」などから視れば、信じられないようなハラスメント行為や、イジメ行為や、権力が絡むストーカー行為などが行われている。もちろん、われわれは“令和の日本”において暮らしているのであるから、それに沿った“暮らし方”をしなければならない。ただ性格的なものも加わって、切り替えの利きやすい人と、切り替えの利きにくい人がいる。感覚が研ぎ澄まされすぎると、ちょっとした発言や行為でも「ハラスメント」とか「イジメ」とか言い出す人もいる。一時期「鈍感力」という言葉が流行ったが、ちょっとした言葉程度なら“鈍感に聴き流す”くらいの余裕があった方が良い。世の中を“正していく”ことは必要だが、生き方としての“柔軟性を持つこと”は、世の中を“衝突せずに生き抜く”賢い知恵でもあるのだ。
2026-05-10
「巨大ルビーの原石を発見する‼」そういうニュースは、わが日本国では残念ながら…ない。たぶん、今後も…ない。地下資源の乏しい「日本」では、そのほとんどを海外からの輸入に頼っている。高いお金を出して、運んでこなければならない民族なのだ。丁度、わたしの幼い頃のように、お金持ちのお家の子には、たくさんおもちゃがあるのに、貧乏な親の“我が家”には、何もない…と、しょぼんとしていた想い出と重なる。4月中旬、ミャンマーの北部モゴック近郊で1万Ⅰ千カラットのルビーの原石が発見された。日本円に換算すると、少なく見積もっても10億円以上の宝石の発見だ。市場では「金」「銀」「銅」が値上がりしているが、もちろん「ルビー」などの宝石類も、じわじわと値上がりしている。ミャンマーがそういう“お宝”を眠らせている国とは知らなかったが、現軍政権のトップは「巨大ルビーの発見は、昔から国の繁栄を示す吉兆と言われてきた」と古来からの言い伝えを内外に示している。実はこの地域は、昔から“お宝”の宝庫らしく、1996年にも巨大ルビーが発見されている。その時には今回よりも大きな原石だったが、今回の方が色や透明度が優れているらしい。さて日本には、そういう“お宝らしきもの”はまったく存在していないのだろうか。実はそうでもない。資源としては「石灰石」というものが世界で3~4番目に採れる国、また「ヨード(ヨウ素)」が世界で2番目に採れる国として、一応、記録されている。ただ、これらはそんなに高額なものとも言えず、重要度から言っても、まあまあ程度のものと言える。だから、それらでは“お金持ちの国”になれないのだ。可能性として存在しているのは「メタンハイドレート」と呼ばれるものと「レアアース」と呼ばれるものがある。メタンハイドレートとは、判りやすく言うと「氷の中のガス」のようなもので、これが精製できれば“日本のお宝”になり得るのだが、どうもコスト的に現在のままでは難しい。またレアアースの方は「産業のビタミン」とも呼ばれていて、IT分野などで欠かせないものとなっているので、上手く精製までこぎつけられれば“お宝”になり得るが、その実現までにはいくつものハードルがある。つまり「日本」には一応“お宝”も存在してはいるのだが、それが実際に“お金に変る”存在になるには、相当な時間や費用や技術が必要らしいのだ。まあ、あと20年くらい先になれば……というのが希望的観測なのだ。ということで、わたしは“おもちゃ”を得られないまま大人になったのだった。
2026-05-09
わたしは“その種のこと”に疎いので、どうしてそうなっているのか解からないのだが、日本のABEMA作品は、その多くがNet flixから世界配信されている。その影響が大きいと思うのだが「世界」各地域における「日本文化」への評価が、ここ数年で飛躍的に高まっているよう感じられる。元々日本は“自らをアピールする”ということの少ない民族であるから、海外からの評価が、その実力ほどには認識されていない傾向があった。その結果、ネットやデジタルの時代になって、情報があっという間に世界を駆け巡る時代になって、改めて「日本」全体が“再評価されつつある”ように思われる。その一角である“日本のドラマ”が、ドイツの国際映像祭「ワールド・メディア・フェスティバル2026」で、ABEMA「MISS KING」がグランプリ、同じく「スキャンダルイブ」が金賞、「警視庁麻薬取締課MOGURA」が銀賞…を得たという。世界34カ国から集まった作品の中からの各賞だ。もちろん、これはABEMAの作品群が素晴らしいからだが、同時に、そのいずれもがNet flixから世界配信されている。ドイツの国際映像祭の前に、既に世界配信されている…という事実が、これらの作品を“世界に押し上げている”のだ。実際、アジア配信国の多くで高視聴結果をたたき出している。この国際映像祭に、日本からはABEMA以外は出展していないのかどうか知らないが、少なくとも、既存のTV局にはない自由度や経済力など、いくつかの部分で“創りやすさ”を与えていることは間違いがない。そして何よりも、事前に世界各国での高視聴率がある。国内のTV既存各局は、現在、あまりにも各種の規制に縛られ過ぎている。ドラマも、コンプライアンスとか、俳優の偏り選択とか、漫画原作のドラマ化とか、スポンサー重視とか、予算枠縮小とか、どれをとっても日本人の多くが“本当に望むドラマ”とはかけ離れてきている。最近は、純粋に楽しめるものが少なく“生き方”や“正義”や“専門性”を押し付けるドラマも多くなった。その道の専門性などは、本来、知る必要性があるのかどうか、わたしには疑問なのだ。日本のドラマが国際的に評価され、グランプリや金賞や銀賞を得たこと自体はたいへんに悦ばしいが、世界配信されなくても国際的に評価される作品となることの方が、ほんとうは重要なことではないだろうか。
2026-05-08
女性と男性では“決定的に違っていること”というのがある。女性の側は「妊娠・出産して母親になる」ということの“選択肢”が残されていることだ。つまり、自分の“お腹の中”に“我が児を宿す”という体験は、女性にしか出来ない。どんなに社会が「男女平等」を唱えたところで、所詮“妊娠・出産”というものは、平等にはなれない。いまのところ、男性が“性転換手術”によって、男から女に変ることは出来るようになったが、妊娠・出産までの道のりは遠そうだ。その“女性だけの体験”は、或る意味で“女性だけの特権”でもある。通常、女性は“初産”によって、その体験・特権を良くも悪くも味わうことになる。もちろん、二度目でも三度目でも、似たような経験はするが、初産のように未知なるドキドキ感は無いに違いない。ところが、結婚し、妊娠・出産し、子育てを行い、仕事に戻り……離婚した場合、その時点で“女としてのワンクール”は消化したような形となる。そして20年が経つ。モデルでタレントの冨永愛氏は昨年末、新たなる男性と“事実婚していること”及び“その男性の児を身ごもったこと”を公表した。その新しい命を、無事に出産したと先日SNS上で報告した。43歳の高齢出産で、また20年以上時を経た再婚・妊娠で、或る意味では“初産のような感覚”での出産であったに違いない。正確に言えば、事実婚での出産は法律上“シングルマザーとしての出産”でもある。そういう意味では、すべてが新鮮だ。通常、体験できないようなことを、日本を代表するような国際派モデルが“やってのけた”ということでもある。一度目は、きちんと入籍して、結婚した後の妊娠・出産で、或る意味では“オーソドックスな母親”となり、20年以上が経って、もう一度生れ変ったような形で、新たな男性と事実婚をし、その相手の児をシングルマザーの形で高齢出産をし、再び子育てをしていく。モデルとしても、いろいろと“先駆け的な存在”であった人だが、今度は一人の女性として、大きく間を開けた再婚・出産で、生まれ変りのような“生き方”を世間に示して、女性たちを牽引していく…とも言えそうだ。
2026-05-07
昨日、日本の金融市場が休んでいる間に、韓国の総合株価指数が史上初「7000」の大台を超えた。また時価総額でも6000兆ウォンを突破した。これは今年2月3日に5000兆ウォンを突破してから約3か月という短期間のうちに1000兆ウォンも増えたことを意味する。もちろん、これらを牽引しているのは、韓国のサムスン電子やハイニックスといった半導体関連の企業で、昨日もサムスンは12%も上昇し、ハイニックスは10%も上昇している。日本は連休が続いていたので、今日からが“休み明けの市場”ということになり、間違いなく“大幅高”からスタートするものと思われる。前にも述べたが、韓国指数や日経平均はどうしても値がさの半導体関連の株が平均値を引っ張る構造になっている。したがって、すべての株が急騰するのではなく、一部の“AI関連株”と呼ばれるものだけ急騰して数値を引き上げていく。こういう現象は前にもあって、いわゆる“バブル経済時”の特徴と言える。したがって「韓国」も「日本」も、いまはアメリカの半導体指数に押し上げられる形で、AI関連企業の株価が急騰し、今年はそれに引き摺られる形で、モノの価格も高騰していく。つまり経済は、偏りがありながら右肩上がりとなって物価が上昇し、収入の方は“上昇型”と“膠着型”の二分化が進み、その結果として日本国全体として観れば“潤う人達”と“窮する人達”の二極化が鮮明となっていく。だから、これからは「平均」を取るのが難しい。その「AIバブル」だが、バブルというからには「泡となってはじける結果」に行き着くものと思われる。なぜなら、半導体指数の上昇が急騰過ぎるからだ。急騰したものは急落するように、昔から金融市場では出来ている。急落は「日本」より、半導体の比率が高い「韓国」の方が、その影響がより強い。したがって、あと半年くらいかもしれない急騰は、必ず“急落を招く”ということを意識して、投資をすることが重要なのだ。ただ日本企業の場合、半導体企業の比率はそれほど高くないので、まだ急騰の恩恵が“実社会の隅々”にまで達していないことが問題なのだ。したがって、こと日本に関して言えば、あと2年くらいは“AIバブル”が続いていかないと、実質的に“経済全体が上向く”というところまでは行かない。もし日銀が6月に利上げすれば、二極化はより鮮明になる。
2026-05-06
う~ん、不思議な時代がやってきた。いつの頃からかタレントの松尾伴内氏が自らのファッションに対し「男女兼用でございます」と言って、笑いを取るTV出演が多くなっていった。これが俗にいう“女装者”とかが着ているのなら違和感がないのだが、文字通り“ゴリラ顔”とでもいうか、美白とは程遠い松尾伴内氏がフリフリのブラウスなど着ると妙に面白い。だが、それが今“Z世代”の若者たちによって“最新のファッション傾向”として受け入れられつつある。どういうことかというと、スーツメーカーがこぞって「男女兼用スーツ」を売り出し始めたからだ。それも男性用スーツと、女性用スーツの中間に“その売り場”を用意し、どちらからも試着しやすい配慮までしているらしい。令和の時代となって「男子・女子」の垣根が取り払われつつあるが、その証明のように、Z世代の男性は“日傘”を好んで購入したがり、Z世代の女性は“ネクタイ付きスーツ”を好んで着用したがるという。特に女性の“ネクタイ付きスーツ”の流行は、今後、より本格化していく可能性があるという。ネクタイとは言っても、女子用は少し細めで短めで柔らかめで、ネクタイそのものに“或る種の女らしさ⁉”を取り込んでいく可能性もある。ただ基本は「男女兼用=ジェンダーレス」という意識なのだ。男子の方は“日傘”と共に“ランチ用トートバック”も需要性が急増しているらしく、確かに、実用性から考えても職場に“弁当持参”の場合には、その方が合理的だ。そう言う点から考えると、ただ単に世代的な違いというよりも、或る種の合理性が加わっての流行の変化と言えるかもしれない。最近は就職前に“脱毛医療”を試みる男性も多くなったようだ。日本では“女性受け”があまり良くない多毛症だが、欧米とか、アラブ系とかでは話が違っていて、髭や体毛の多い男性が好まれる社会もある。特にイスラム教の国などでは、男子は“髭を蓄えていること”が成人男性として重要な要素の一つだったりする。日本や韓国で体毛の濃さに悩んでいる男性たちは、アラブ世界に旅立ては“立派な男性”として迎え入れられることになる。世代が変わり、時代が変わり、地域が変わることで、世の中は大きく変貌していく。何が正しいとか、何が善いとか、一概には決めつけられないのだ。
2026-05-05
東京と大阪で“興味深い舞台”が上演される。ふた組のSEXレス夫婦が交錯するような形で繰り広げられる舞台「したいとか、したくないとかの話じゃない」が東京は5月12日から、大阪でも5月下旬に上演される。その舞台挨拶が5月4日に行われた。主演するのは宇垣美里&松崎祐介の夫婦役と、橋本マナミ&河合郁人の夫婦役で、どちらが主体ということでもないらしい。セックスレスというテーマを舞台で扱うこと自体が珍しいが、そのタイトルもなかなか意味深で興味深い。さらに、その妻役の方に、どちらかというと写真集やグラビアで名前を売った橋本氏と宇垣氏が舞台女優として主役を張っているのも興味深い。いまや二人とも、立派な女優なのだ。その舞台挨拶の中で、宇垣氏は「夫を罵倒するシーンがしばしばあるのですが、だんだん気持ち良くなってきて……」と語っている。考えてみれば、SEXレスを扱うお芝居なのだから、そういうシーンが出て来ても当然なのだが、ただ何回も罵倒するシーンが出て来る……というのは、作り手の側に“その部分が重要”という意識がなければ組み込むはずがない。そして、もちろん女優であるから、その役になり切ってしまえば“罵倒する”のも気持ちが入っていくことだろう。その結果として得た感覚として「だんだん気持ち良くなってきて……」なのだと思われる。そこで気になるのは、こういう舞台を観に来るのはカップルなのだろうか、それとも単身なのだろうか、友人同士なのだろうか、家族なのだろうか……余計なことながら、思ったりする。カップルの場合、特に夫婦の場合、別に自分がそうではなかったとしても、なんとなく男性は“妻から言われているような”感覚を持ち、女性は“夫に言っているような”感覚を持つかもしれない。なにしろ、日本人カップルの半分は「SEXレスだ」という調査もある。もしかすると、舞台とは言いながら、女優たちが男優たちを罵倒するシーンを視ることで、なんとなく奇妙なキモチ良さを感じている“夫婦カップル”が幾組も存在しているのかもしれない。
2026-05-04
女優の羽田美智子氏がリスナーからの相談に応えるような形で語った人生観の一部が配信されている。彼女は2001年に知り合った水中カメラマンの男性と、2009年に再開して交際に発展、その後、2年の交際を経て2011年5月に結婚した。ただ東京に拠点を持つ羽田氏と、沖縄に拠点を持つ水中カメラマンの夫とは“二拠点生活”のような状態が続いて、結局、2017年に離婚した。その自らの経験を踏まえて「離婚した後って出逢いが結構あるのよ。人は傷つくと成長して年輪が増える。幹が太くなったら、その幹に見合った人が来るから、より良い人と出逢えるんです」とリスナーに助言している。なかなか興味深い人生観で、57歳になった彼女だから言える言葉のような気もした。確かに、わたしも数多くの女性たちから“離婚相談”を受けたが、その時に多く感じたのが、相談者の多くは「もう、男性との出逢いなどないと思う」というような気持になっている。不思議なほど、真面目で外貌的にも優れている女性ほど、そういう風な気持ちが強い。いくら私が「これからだって、いくらでも出逢いはありますから…」と言っても、それには強く否定的なのだ。ところが、ここが面白いところなのだが、そういう風な感じで強く否定した女性ほど、その何年後かになると、別な相手とちゃっかり再婚していたり、激しく恋愛していたりする。そこで、過去を忘れてしまったかのような女性に「あの時は出逢いを否定されていましたよね」と水を向けると「そうでしたかしら…」と反応する場合が多い。女性は「いま」しか視えていない場合が多いのだ。そういう意味では、羽田氏のように「この先、出逢いなどないだろう」と思って離婚した女性が、新たな“出逢い”を経験して、その経験が“言わせている言葉”には実感がこもっている。ただ、ここで“より良い人と出逢える”と言っているのは、少し違っていて“より自分に適した人と出逢える”というのが本当なのだ。過去の経験が、自分に適した人を無意識に選別するようになる。それが“より良い人”というふうに感じる。結婚・離婚して“無意識の選別”は変わっていくものなのだ。
2026-05-03
スポーツ新聞の見出しが少しずつ変わり始めている。これまでは、どうしても大リーグと言えば大谷翔平選手だった。それが、ここにきて村上宗隆選手の名前が“大きく踊る”ようになった。なにしろ両リーグで単独トップとなる“13号3ラン”を放ったのだ。文字通り“豪快打法”を見せつけて「ホワイトソックス・村上」の名を世界にとどろかせ始めている。昔は、日本人選手と言えば“投手を連れて来る”のが大リーガーの鉄則だったが、いまや“ガンガン打ちまくる選手”を連れて来るのが“スカウト眼”の腕の見せ所に変っている。村上選手の場合、スカウトマンたちの評価は分かれていた。つまり、間違いなくスラッガーとしては逸材だが「三振が多すぎる」ということで、その評価が分れたのだ。その結果、それほど高くない契約金で村上選手はホワイトソックスに入った。それだけに、球団側としては、予想以上の出来に大満足のようだ。報道によれば、彼は前日、チームのみんなに食事代をおごったそうだ。思わぬ地元の“ヒーロー化現象”に日本人的な感覚としてはごく自然な行為だが、外人選手たちからすれば“太っ腹な人物”に映る。そのせいもあってか単独トップの13号は、日本人選手として大リーガーとなった28年間の総計として“本塁打1000号”を記念するオメデタイ一発となった。わたしは思うのだが、この一発は今やライバルとなった大谷選手にとっても嬉しいのではないだろうか。このところ大谷選手は十分な活躍が出来ていない。その一挙手一投足が“注目されすぎること”は、彼のような選手でもやや負担を感じ始めているようなところが視られる。アスリートは調子の良い時もあれば悪い時もある。特に、このところプライベートの問題などで、彼の周辺は必ずしも万全ではない。さまざまなスポンサー企業からのプレッシャーもある。もはや昔の「純粋無垢の大谷翔平」では居られなくなってしまっているのだ。新たな日本人ヒーローが出現して、マスコミの眼が“そっち”に向かう方が彼の負担は減るだろう。アスリートは結果がすべてだ。村上選手も、大谷選手も、世界のファンやマスコミの眼にさらされながら、それでも力量を発揮できてこそ超一流の選手なのだ。
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